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明治の新聞(19)〜記者クラブの誕生 - 月明飛錫
00:34 | 現代の日本のマスメディアは、記者クラブからの情報提供に一方的に依存していることによる弊害... 00:34 | 現代の日本のマスメディアは、記者クラブからの情報提供に一方的に依存していることによる弊害や閉鎖性が指摘されているが、この傾向は明治時代にすでに指摘されていた。 そこで、今回と次回の2回にわけて、明治時代の記者クラブの発生と形成過程および問題点について見ていきたい。 1.「新聞記者去勢術」 まずはじめに、1910年(明治44年)の雑誌に掲載された、記者クラブへの批判記事を紹介しよう。 「・・・其省に隷属せる記者団に対し、一斉に同じ種を供給す。抜け駆けの功名は全く不可能となれるなり。故に該会若しくは該倶楽部に名前を載せ、紋日物日に顔出しさへして居れば、馬鹿でも阿呆でも腕利機敏な記者と同じ種を取り得るなり。現に其の受け持ちの記者が都合で社を欠勤の場合にても社にては更に不便を感ぜず、通信にて立派に夫れだけの記事を載せ得る事となれり。・・・(中略)・・・どの新聞見ても記事は同じとあり
2010/05/12 リンク