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ブックマーク / amberfeb.hatenablog.com (14)

  • ゼロ年代から遠く離れて——テレビアニメ&アニメ映画ベスト10で振り返るゼロ年代 - 宇宙、日本、練馬

    昨年末に書いた以下の記事が存外多くの人に読んでもらえたので、せっかくなのでということでゼロ年代もテレビアニメ10、アニメ映画10の計20で振り返っていきます。 黄昏と殺伐の時代の生存戦略——テレビアニメ&アニメ映画ベスト10で振り返る2010年代 - 宇宙、日、練馬 10年代振り返りは、その20に託して時代の空気感みたいなものを書き記しておきたいという問題意識があったのですが、ゼロ年代においてその方向で何か語ろうとすると、どうにも大きな物語を無理くり捏造して振り返りをやらんと成立しないなという気がしたので、あくまで個人的な経験をひとまず物質化する、という方向で書きました。居直り的な「すきなもの」語りともいえます。 ゼロ年代は既に遠く、後追いで視聴した作品も(10年代振り返りと比べて)多いです。特に劇場アニメに顕著。諸々の記憶が捏造されたものである可能性はぬぐえません。ともかく、テ

    ゼロ年代から遠く離れて——テレビアニメ&アニメ映画ベスト10で振り返るゼロ年代 - 宇宙、日本、練馬
  • 黄昏と殺伐の時代の生存戦略——テレビアニメ&アニメ映画ベスト10で振り返る2010年代 - 宇宙、日本、練馬

    はやいもので、もう2020年も暮れようという感じでございますが、2010年代からあまり遠く離れないうちに、わたくしにとっての2010年代の経験とはなんだったのか、書き留めておこうと思います。この試みはなかなか難儀なもので、総花的に語ろうとするといつまでたっても終わらず中途で投げ出してしまったのですが、さしあたってこの10というリストを作成し、そこにわたくしの経験を託すという仕方であれば、零れ落ちるものは膨大になるでしょうが、ひとまず形にすることはできるだろうと思いまして、その方針でやっていくことにしました。 さしあたってテレビアニメ10、アニメ映画10をセレクトし、わたくしの10年代を語っていきます。わたくしのフィクション経験を広くカバーしたい気持ちがあるため、制作会社や制作者などの固有名がなるべく重複しないかたちで選出しました。よって純粋なベスト10とはやや趣が異なるわけですが、や

    黄昏と殺伐の時代の生存戦略——テレビアニメ&アニメ映画ベスト10で振り返る2010年代 - 宇宙、日本、練馬
  • ありふれてあることのわからなさ――『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』感想 - 宇宙、日本、練馬

    このところ、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』をみていました。この作品を、このタイミングで視聴できたことは、なんというか、ありがたいことだと思いました。以下感想。 彼女は道具だった。他者を殺戮し、主に勝利をもたらすための。それが彼女の存在の証明だった。しかし、彼女は深く傷ついて両手を失い、主もまた彼女の前から姿を消した。やがて彼女は、主の友人に導かれ、新たな役割を得た。新たな両手、まがいものの金属の義手によって、彼女は他者を殺すのではなく、他者の思いをくみ取り伝えたいと願った。それはなぜか。彼女の主の言葉の意味を知るために。「愛している」という、巷にあふれ、ありふれた言葉。ともすれば何の気なしに交わされる言葉。その意味を知らねばならないと願ったとき、彼女の物語は始まる。 19世紀後半から20世紀初頭、あるいは第一次世界大戦後の欧州を想起させる、しかしそれとは決定的に異なる地理と歴史とをも

    ありふれてあることのわからなさ――『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』感想 - 宇宙、日本、練馬
  • 『天気の子』の東京を歩く - 宇宙、日本、練馬

    天気の子』の舞台のモデルとなったところに足を運びました。網羅的ではまったくなく、ほんのさわりのさわりぐらいの感じではありますが、歩いてみて思ったことを適当に書き留めておきます。なお、作品の核心にかかわるネタバレが含まれますのでご注意ください。 今日の朝は雨模様でしたが、国立近代美術館の高畑勲展に行ってるあいだに止んでくれてました。ありがたいといえばありがたいとはいえ、雨降っててもよかったのになという気持ちはなきにしもあらず。 まずヒロインの天野陽菜のアパートの最寄り駅として登場する田端駅へ。 南口から出るとちょうど台地の縁に出るようなかたちになっている。『君の名は。』のラストの空気をなんとなく喚起する階段なんかも南口すぐ近くにある。 あのラストの坂も南口を出てすぐ。 作品の画面のなかから推察されるように、ちょうど山の手と下町の境界になっている。 海面上昇した際にどのあたりまで水没するのか

    『天気の子』の東京を歩く - 宇宙、日本、練馬
  • 涙の川は絶えず流れる――『劇場版 響け!ユーフォニアム~誓いのフィナーレ~』感想 - 宇宙、日本、練馬

    『劇場版 響け!ユーフォニアム~誓いのフィナーレ~』をみました。以下、感想。 水。流れる水。それはどうやら川であるとわかる。寒々しい空気。川には橋が架かっている。橋の上に立つ若い女と男。告げられる好意。驚きの声。新たな物語の始まり。 『響け!ユーフォニアム』シリーズの最新作は、テレビシリーズの直後、黄前久美子たちが2年生になり、新たな部員たちとともに吹奏楽部の活動に打ち込むさまを描く。『リズと青い鳥』で切り取られた出来事と、時間軸的には重なり、『リズと青い鳥』の出来事を想起させる諸々の場面は散りばめられ、クライマックスではその記憶を強烈に引き出されるのだが、それでもこの『誓いのフィナーレ』はあくまでテレビシリーズの続編、という感触が(キャラクターデザインから一目瞭然ではあるのだが)、強い。 新入生の入部、おきまりのイベント、残酷なオーディション、そして全てを賭けて臨む、大会の舞台。それらは

    涙の川は絶えず流れる――『劇場版 響け!ユーフォニアム~誓いのフィナーレ~』感想 - 宇宙、日本、練馬
  • 千反田えるはなぜ春の予感を告げたのか?――『氷菓』、ホームズ、歴史の磁場 - 宇宙、日本、練馬

    米澤穂信による連作短編集『遠まわりする雛』および、それを原作としたアニメ『氷菓』は千反田えるが春の予感を告げ、締めくくられる。これはなぜか。それがこの短い文章が答えようとする問いである。 「寒くなってきたな」 しかし千反田は、少し驚いたように目を見開き、それから柔らかく微笑んで、ゆっくりとかぶりを振った。 「いいえ、もう春です」*1 以上は、『遠まわりする雛』の結部からの引用であり、この折木奉太郎と千反田えるのやりとりはアニメ『氷菓』最終話「遠まわりする雛」でもほぼそのままといっていいかたちで使われ、そして物語は終わる。 夕暮れの道中で交わされるこの短い発話のうちには、いくつもの暗示や暗喩が読み込めることは疑いがない。たとえば、春を告げる千反田の言葉のうちに、青春的なるものへの「保留」から始まった折木の物語が、あからさまに、避けようもなく青春という「春」に向かいつつあることの暗示ともとれる

    千反田えるはなぜ春の予感を告げたのか?――『氷菓』、ホームズ、歴史の磁場 - 宇宙、日本、練馬
  • ちがう歩幅で一緒に歩く――『リズと青い鳥』感想 - 宇宙、日本、練馬

    『リズと青い鳥』をみました。掛け値なしの傑作です。以下感想。 歩く、歩く、立ち止まる。彼女の姿を認める、再び歩く。歩く、歩く、一緒に歩く。歩く、歩く、校舎を歩く。歩く、歩く、彼女の数歩後ろを歩く。歩く、歩く、音楽室へ歩く。二人は一緒に歩いてきた。これまでは。しかし、いつまで一緒に歩いてゆけるのだろう。 『響け!ユーフォニアム』および『響け!ユーフォニアム2』のその後の物語を、山田尚子監督が映画化。監督が変わり、タイトルからユーフォニアムの文字は消え、雰囲気もまた大きく変化して、続編的な立ち位置にも関わらず圧倒的に山田尚子のフィルムであるという強烈な主張が前景化している。 そうして、既存の作品世界を大胆に再編成して語られるのは、静かな決別の物語。中学時代からともに吹奏楽に取り組んできた二人。彼女たちがそれぞれの行き先を見出すまでの道を、コンクールで演奏する楽曲であり、また童話でもある「リズと

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  • 私の知らないあなたの物語――『響け!ユーフォニアム2』感想 - 宇宙、日本、練馬

    『響け!ユーフォニアム2』をみました。あらゆる創作物には、それと出会うのに最も適したタイミングというものがあり、すなわち出会うべきとき、出会うべき場所で出会うことが最も重要なんではないかと思うのですが、僕にとっては今この時この場所こそがまさにそのような場所であったと、そう強く思います。以下感想。 あなたのことを知るために 雪のちらつく空模様。微風。学校、おそらく校門の近く。そこに佇む少女が一人。ノートを手に、どこか遠くを見つめる少女。そのノートを開き、驚きの表情。彼女を呼ぶ声。そして彼女は戻ってゆく。再び夢の続きを生きるために。それが彼女の、黄前久美子の、さしあたってはたどり着いた、見つけ出した場所。暑くて熱い夏と、その余熱がじりじりと燃える秋を経て、辿り着いた場所。そうして物語は始まる。彼女がいかにしてその場所に辿り着いたか、その旅路を語るための物語が。 『響け!ユーフォニアム2』で語ら

    私の知らないあなたの物語――『響け!ユーフォニアム2』感想 - 宇宙、日本、練馬
  • 「特別さ」と二つの涙 ――『響け!ユーフォニアム』感想 - 宇宙、日本、練馬

    落ち着いたらみようと思っていた『響け!ユーフォニアム』をみました。ノックアウトされた。以下感想。 「あんたは悔しくないわけ?」 中学三年、最後の大会。結果は金賞。ダメ金だけど、金。三年間がんばってきた結果としては、まずまず、いやかなりいいとこいけたんじゃないか。そんな満足感を味わう黄前久美子の隣には、膝に顔をうずめて嗚咽する、もう一人の少女、高坂麗奈。「高坂さん、泣くほどうれしかったんだ」。そんな風に彼女の胸中を推し量った黄前久美子の予想はドラスティックに裏切られる。「あんたは悔しくないわけ?」。高坂麗奈のこの言葉が、黄前久美子の物語の始まりを告げる。 そんな彼女の物語は、まずなによりも「悔しい」と思えるようになる物語であり、それは中学最後の大会、つまり物語の始まりの場所において高坂麗奈の立っていた場所に、黄前久美子も立つ、そういう物語である。それはつまり、彼女も高坂麗奈と同じく、「特別」

    「特別さ」と二つの涙 ――『響け!ユーフォニアム』感想 - 宇宙、日本、練馬
  • 「あなたが決めろ」と悪魔は笑う――『響け!ユーフォニアム』と選択の意味 - 宇宙、日本、練馬

    『響け!ユーフォニアム』・『響け!ユーフォニアム2』は、何かを決めるとは、選ぶとはいかなることなのか、それはどのような意味を持つのか、そのような問いを提起した。その問いに対する回答の輪郭を粗描することが、さしあたってのこの文章の目的である。 「なんとなく」決めること 私たちが何事かを選ぶとき、そこにどのような機制をが働いているのか。それをおおざっぱに整理するならば、「なんとなく」選ぶか、「決然と」選ぶか、という両極を想定することができるだろう。私たちはたぶん、事を選ぶとき、何か身近なものを買うとき、ぼんやりとテレビのチャンネルをザッピングしているとき、等々、おそらく「なんとなく」なにかを選び取っている。一方で、例えば自分の将来の進路を選ぶとき、高価な買い物をするとき、重大なことを他者に告げるとき、私たちは「なんとなく」は決めないだろう。そこに賭けられる感覚のことを決然さとここでは名指し、

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  • 整然とした長い一日――『日本のいちばん長い日』(2015年版)感想 - 宇宙、日本、練馬

    『日のいちばん長い日』をみました。戦後70年を意識しての企画だったんだろうなと推察しますが、あの傑作の名に恥じないものにするのだという気迫が画面から伝わってくるような映画だったように思います。以下で感想を。ネタバレが含まれます。どうしても1967年版との比較が多くなってしまうような気がしますのでご留意ください。 整然とした「いちばん長い日」 まずそもそも確認しておかなければならないのは、原作を同じくしつつも2015年版と1967年版はまったく異なる映画となっている、ということ。扱う出来事や人物造形は、一部の重要人物を除いてほぼ同様だが、両者の印象は驚くほど異なる。 67年版が焦点をあてたのは、1945年8月14日から15日正午にかけての出来事だが、15年版は3部構成で、1945年4月の鈴木貫太郎内閣の組閣から、聖断を経て玉音放送が流れるまでを扱う。終着点は同じだが、時間の流れが大きく異な

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  • 混沌とした狂気とその切断―『日本のいちばん長い日』(1967年版)感想  - 宇宙、日本、練馬

    喜八監督『日のいちばん長い日』をみました。先日読んだ『日輪の遺産』をレンタルしようかとも思ったんですが、やっぱり古典的なやつを見とこうかなと思ってこちらを視聴。公開は1967年、もう半世紀近く前の映画なのにも関わらず、現在でも十二分に視聴に耐えうる、それほどのパワーのある作品だと感じました。以下で感想を。 狂気を混沌のなかに描く 作は、1945年7月26日、日が連合国の発表したポツダム宣言を認識するところからはじまる。そこからかけ足に原爆投下、降伏という方向性が定まっていく様子などを駆け足で追って、そして8月14日、正午から翌8月15日正午、つまり玉音放送までの一日=「日のいちばん長い日」の混乱が描かれる。 ポツダム宣言受諾をめぐって、徹底抗戦を主張する陸軍相阿南と鈴木総理大臣らの喧々諤々の議論なども丹念に取り上げつつも、メインはそうした政治劇にあるのではないだろう。メインとな

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  • 『機動警察パトレイバー the Movie』と「東京」の創造と破壊――ロマンチストとしての帆場暎一 - 宇宙、日本、練馬

    もうお盆も終わって、夏の終わりも見えたり見えなかったりするぐらいの感じでしょうか。夏になると見たくなる映画っていくつかあるんですが、『機動警察パトレイバー the Movie』は自分のなかでその筆頭。もう何回見たか分からないほど見ていて、今日もだらだらと見返していたんですが、その感想を適当に書いておきたいなと思います。 エンタメとそれに回収されない「風情」 『機動警察パトレイバー the Movie』を見返していつも思うのは、エンタメとしてパーフェクトに完成されているなーという。自殺した天才プログラマー帆場暎一の陰謀を、警察が探るサスペンスは半端なく面白いし、台風が来襲するクライマックス、「方舟」のなかでのレイバーのアクション...。押井守監督作品のなかでこんなにまっとうな娯楽作品ってあるのか?と思えるレベルだと思うんですよね。単純に筋をおって画面を眺めているだけでも十分すぎるほど楽しい。

    『機動警察パトレイバー the Movie』と「東京」の創造と破壊――ロマンチストとしての帆場暎一 - 宇宙、日本、練馬
  • 究極の虚構を撃ち抜く弾丸――『シン・ゴジラ』感想 - 宇宙、日本、練馬

    TOHOシネマズ新宿で『シン・ゴジラ』をみていました。いやこれはすげえもんをみさせてもらったなというのが正直な感想です。上映終了後、舞台挨拶があったわけでもないのに自然に拍手が起こった、というのは初めての経験でした。以下感想になりますが、ネタバレが当然含まれます。先の見えない宙づりの感覚こそこの作品の核にあるものだという気がするので、ネタバレは絶対避けたほうがよいと思います。ということで未視聴の方はその点ご留意ください。 「想定外」を越える想定外の危機 東京湾羽田沖で、漂流中の船が一隻。海上保安庁が保護に赴くも、船内は無人、いくつかの遺留物が残されているだけだった。捜索のさなか、突如水面下から水蒸気が噴出する。その水蒸気によって東京湾アクアトンネルが破損したことにより、政府は対応を始めることになる。だが政府の、いや日に住まう人々はまだ知る由もなかった。想像すら及ばない未曽有の危機が、もう

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