判断は執着の一種 仏教では、判断は執着の一種と言われています。『こうあるべきだ』、『きっとこうに違いない』と言う気持ちは、私たちの心を苦しめます。また、過去を引きずることも執着にあたるそうです。 私達が判断し、執着してしまうのは、そういう生き物だからだと思います。なんとなく体調が悪い時は不安になりますが、病院へ行き診断をされると安心するのと同じ。診断をされると原因がわかったり改善することができるため、安心に繋がります。それと同じように、人は物事や他人に対して、『これはそう言うことだ』『この人はこういう人だ』と判断をすることで、対処の材料になり、安心を得ようとする生き物なのではないかと思います。 判断しないためにはどうしたら良いのか では、判断しない ためには私達はどうしたら良いのでしょうか。著書には、まずは心の状態を理解するところから練習をすることを勧めています。 www.kakkoii-