マリー・アントワネットと子どもたち(1785年頃、アドルフ・ウルリッヒ・ベルトミュラー画) 実家からも見捨てられ 1793年1月、夫ルイ16世が処刑されたことによって、元王妃マリー・アントワネットは、「未亡人カペー」となりました。 国王をギロチンに送った国民公会も、この時点では、彼女まで処刑しようとはしていませんでした。 むしろ、戦争中の敵、ハプスブルク家オーストリアの人質になるかも、くらいに考えていたのです。 しかし、彼女の甥、皇帝フランツ2世は、無情にも、叔母を助けるいかなる手立ても打とうとしませんでした。 わずかに、王家の復活に望みをかける貴族が、彼女とその息子「ルイ17世」を救い出そうと陰謀を巡らしましたが、失敗に終わったどころか、逆効果となりました。 王は処刑しましたが、後継者がまだいる重大さに、革命政府は気づいてしまったのです。 引き離された息子 王太子ルイ=シャルル(ルイ17