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ブックマーク / amon.hatenablog.com (6)

  • 労働力が不足するから労働力を輸入するのではない。労働力の再生産にコストを払う気が無いから労働力を輸入するのだ - 非行型愚夫の雑記

    諸君、余だ。 今日も今日とてヘイトスピーチや史実否定といった「愛国活動」に勤しんでいる諸君。 余は諸君に感謝している。 諸君が容易く分断されることに感謝している。 諸君の境遇に対する不満が滅多なことでは企業に向かうことがないことに感謝している。 諸君が労働運動を敵視し、労働運動により救済された人々をも敵視することに感謝している。 自分より悪条件でも働くからと外国人労働者を敵視し、自分より好条件で働いているからと公務員を敵視し、共に待遇改善を勝ち取ろうとはしないことに感謝している。その際、諸君らが自らの蔑視や嫉妬といった感情に基づいた言葉に対し必死で理屈をこねる姿を見るのはまことに楽しい。 諸君がそのようにあり続ける限り、諸君の活動により諸君の生活が向上することはなく、貧困問題が解決されることもないであろう。 そういう諸君の行動を支える諸君の性質を余は素晴らしく思う。 構造的問題を個人の努力

    労働力が不足するから労働力を輸入するのではない。労働力の再生産にコストを払う気が無いから労働力を輸入するのだ - 非行型愚夫の雑記
  • 史実派と否定派をどっちもどっちと言うのは只の知的怠惰の表明 - 非行型愚夫の雑記

    南京事件を否定してしまうのは入門知識すら身につけてない証 - 模型とかキャラ弁とか歴史とかのコメント欄やはてなブックマーク - 南京事件を否定してしまうのは入門知識すら身につけてない証 - 模型とかキャラ弁とか歴史とかでの案の定な反応には何とも言えない残念な気持ちにさせられますね。 それではぼちぼち答えていきますか。 何で「30万人説」を否定するとおこられるの? 日側の研究では30万人説の蓋然性が低いことは常識です。なのに「30万人説」を否定してどっちもどっち的なことを言うと(この論争においていつものことですが)おこられたりすることがあるわけです。理不尽に思えますよね。その反感わかりますよ。 その事情を説明しますので読んでいただければと思います。 6「虐殺少数説」の登場 章で見てきたように、一九八〇年代は、南京事件をめぐる激しい論争に触発されながら、南京戦に参加した旧軍関係者の記録や証

    史実派と否定派をどっちもどっちと言うのは只の知的怠惰の表明 - 非行型愚夫の雑記
  • 南京事件を否定してしまうのは入門知識すら身につけてない証 - 非行型愚夫の雑記

    一体、「南京」で何があったのか。 来は笠原氏なり秦氏なりの新書を一冊読めば大体のところはわかるのですが、ネットではその手間すらかけずに、ネット情報のみでいい加減な発言をしている方を見かけることが珍しくありません。 例えば、よく見かける「南京大虐殺はなかった」という表現にしても、発言者はどこまで意味をわかって発言しているのか。「中国側のいう30万人規模の大虐殺はなかった」ということでしたら、この点は日側研究者のほぼ合意ですので、理解できないことはありません。しかし「南京における(少なくとも数万の)大規模な虐殺」の存在まで否定してしまうというのは、ちょっと無理な議論でしょう。 南京事件 初歩の初歩 まずよく誤解されるのですが、「南京事件」というのは、例えば数万人なり数十万人なりを一箇所に集めて、まとめて機関銃なり銃剣なりで殺した、という事件ではありません。基的には、数多くの中小規模の「事

    南京事件を否定してしまうのは入門知識すら身につけてない証 - 非行型愚夫の雑記
  • ハシモト知事はファシストではない - 非行型愚夫の雑記

    諸君、余だ。 なんでも世の中にはハシモト知事のことをファシストと呼ぶ者がいるそうではないか。中にはハシモトとファシズムを引っ掛けてハシズムなる言葉を使う者もいると聞く。 バカげたことだ。実にバカバカしい。 余に言わせれば、ハシモト知事は、断じて、まったく、絶対に、ファシストでありえない。 ハシモト知事がファシストだというのであれば、彼は手厚い社会保障と福祉で国民が安心して暮らせるようにし、安心して消費活動を行えるようにしてみせるべきだ。 教育育児に対する手当てを充実させることで「国民の再生産」を支援してみせるべきだ。 「低賃金労働者の輸入」としての外国人労働者の流入を規制してみせるべきだ。 有用で国民生活を向上させるような事業の推進により雇用を作り出し経済を不況から回復させてみせるべきだ。 国民を、飢え・失業・その他、国民の目前にある不安から救ってみせるべきなのだ。 そのようにして国民の

    ハシモト知事はファシストではない - 非行型愚夫の雑記
  • 価値否定論法 - 非行型愚夫の雑記

    価値否定論法は対象の「正しさ」自体ではなく「正しさ」の価値を否定する論法。 主に対象の「正しさ」を否定できなくてもそれを認めたくないときに使われます。 認知的不協和という人間の心理構造により非常に強い効果を持ちうる論法です。 認知的不協和とは相容れない複数の認知を抱えたときに生じる心理的緊張状態(例えば不快感)のこと。 人間は認知的不協和を解消するために自分の認知の方を変更してしまいがちです。(認知的不協和理論) 例えばイソップ寓話の「狐と葡萄(ブドウ)」(酸っぱい葡萄) べたいブドウを手に入れられなかったキツネは「あのブドウは酸っぱい」と思うことにしました。 「あのブドウをべたい」という認知(変更可能)と「あのブドウを手に入れることはできない」という認知(変更不可能もしくは変更困難)の不協和に対し、前者を「あのブドウは酸っぱい(からべたいとは思わない)」と変更することで「あのブドウ

    価値否定論法 - 非行型愚夫の雑記
  • 白燐弾はどういう兵器でどのように使われてきたか - 非行型愚夫の雑記

    白燐弾はどういう兵器か 英語圏ではそうではないのですが、何故か日語圏のネット情報では「白燐弾に焼夷効果は無い」とかのトンデモがまかり通っています。 そこで、中央公論社版図解科学の第21号(昭和18年11月号)に白燐弾(黄燐弾)の詳細な説明が載っていますので、そこから引用して紹介したいと思います。今から60年以上も前の雑誌ですが、それで白燐の物性が変わるわけでもありませんし。 ただ、この雑誌は戦中のなだけに旧字旧かなで書かれているので、旧字旧かなを読めない人のことも考えて引用にあたって新字新かなに訳しました。 この黄燐焼夷弾こそは,前大戦直後からいち早くアメリカがその戦術的価値をみとめて研究をすすめて来たもので,現在は化学爆弾の一種として重量30ポンド(約15キロ)の発煙弾WP.M1型として制式になっている.内部の装薬は6キロで,頭部にMkXIV型の安全装置付着発信管をもち,目的は煙幕展

    白燐弾はどういう兵器でどのように使われてきたか - 非行型愚夫の雑記
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