2008年10月17日のブックマーク (2件)

  • Emergencyというモバイルアプリをモックアップしました

    7月は青森でセミナーをした思い出に残る月ですが、同時に岩手・宮城内陸地震に遭遇した月でもあります。地震が大嫌いな私にとっては地上14階の地震エクスペリエンスはかなり恐ろしかったわけですが、同時に気付きがある瞬間でもありました。地震が発生した数分後、母からメールが来ました。青森にいることを知っていたので心配してメールをしてくれたわけですが、書き出しが「電話が繋がらないのでメールしました」になっていました。 恐らく携帯電話のネットワークが災害時はパンク状態になって繋がらなかったのでしょう。しかし、ネットではあっさりコンタクトがとれたわけです。メールだけではなく、ウェブサイトへのアクセスも同様です。地震が発生するとネットユーザーは真っ先にウェブに情報をアップしています。例えば「揺れた」「地震」と書き込む人は Twitter だけでも結構います (プライベートモードにしている人も含めたらもっといる

    Emergencyというモバイルアプリをモックアップしました
    leva
    leva 2008/10/17
    位置情報+メッセージという組合わせは仲間内での待ち合わせとか、トランシーバチックな使い方ができそう。災害情報はどうだろう、ホントに連絡取りたい時にネットにつないで状況を書いている余裕はあるんだろうか
  • 大学教員の日常・非日常:「論理的」とは「具体的」である

    クビにされそうだった大学教員です。現役大学生とか、これから大学生になる人とか、大学生の親になる人向けのつもりで。 面白かったときにブログランキング【ココ】を押してもらうと、中の人が喜びます。 「論理的思考力を」なんてなスローガンに対抗するため、最近は、宇佐美寛先生の著作を読みふけっています。 今まで教えていたことがいかに浅薄であったかということを認識させられ、鼻血も耳血もふきつくしました。国語教育で論理的思考力を養う目的は、論争の能力を高めることである。 方法もこの目的と同質的な方が効果がある。(これは教育学の定理の一つであろう。)つまり、まさに論争を教育方法にするのである。「論争による、論争のための教育」を行なうべきなのである。 1〈論理〉とは、もともと論争を通じて論争のために考え出されてきたものである。2各個人の論争能力を育てなければ、各個人は自衛し得ず、民主主義は成り立たない。この二

    leva
    leva 2008/10/17
    論理的≒わかりやすい≒具体的(抽象的でも論理的であり得るだろうし)という構図の中での錯誤な感じもする。引用具合が気になるので読んでみようかな