政策総動員で借金の山=邦銀海外進出に世界の壁-リーマン・ショック10年 2018年09月13日07時41分 100年に1度の金融危機となったリーマン・ショック後、日本は経済政策を総動員した。だがそのツケは大きく、後には借金の山が残された。一方、メガバンクや大手証券は危機をきっかけに海外に本格進出したが、世界の壁は厚い。 ◇恐慌防いだ国際協調 「これから何が起こるのか」。2008年9月15日、国際決済銀行(BIS)市場委員会の議長だった中曽宏日銀金融市場局長(当時、前日銀副総裁)は電話会議を緊急招集した。米国第4位の証券大手リーマン・ブラザーズの破産申請公表からわずか90分後だった。 世界各地で株価が急落するなど市場はパニックに陥っていた。中曽氏は、ドル資金を相互融通する日米欧など6中央銀行の取り決めに奔走。このほか、20カ国・地域(G20)の枠組みなど「国際協調の仕組みが整っていた」(篠原