細井 敏彦は、教師として最初に赴任したN工業高校で、職員室前で不良生徒に取り囲まれたり、生徒指導で逆恨みを買い、車に傷をつけられたりした。細井には柔道の経験があったため、力で敵わないと見るや、不良生徒たちは、すれちがいざまに暴言を吐いたり、答案用紙に卑猥な言葉を書くなど、嫌がらせを行った。同校では、授業中に教師にカッターナイフを投げたり、定期テストで赤点を付けられた生徒が、採点した教師に殴る蹴るの暴行を加えるなどの事件があった。その後、N工業高校は、成績による留年の徹底を行うなどして、荒れた校風は飛躍的な回復を示した。こうした高校での生徒指導担当者としての経験が、細井に校則を徹底的に守らせることの必要性を実感させた[2]。 高塚高等学校への赴任後、細井は風当たりが強く神経をすり減らす生徒指導部の仕事を嫌い、図書部か総務部を希望したが、体格が大きいこともあって「生徒指導部向き」とされていた細