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ブックマーク / www.newsweekjapan.jp/column (3)

  • 零下10℃下の門前払い

    12月25日。クリスマスなのに、近所にあるちっぽけな店で昼ごはんの蘭州ラーメンをすすっていたわたしのところに、友人中国メディア記者(仮に「陳さん」としておく)から電話が入った。 「今、日大使館の前にいるんだけど、これから新大使到着の記者会見があるの。でも日メディア向けらしいから、電話であなたに聞いてもらって通訳してくれない?」 会見場から電話で通訳? なんという斬新な発想!と驚いたが、そういえば陳さんは今年10月に外務省アジア太平洋局長が訪中した際、空港での「ぶら下がり」取材に行ったがすべて日語で、慌てて「周囲の日人記者に尋ねたけど教えてくれなかった」と、わたしと会した時に口を尖らせたことがあった。念のため、彼女はもともと英語で大学院を卒業し、以前西洋メディアで働いていたくらい、英語は流暢である。 その後「かけ直す」と言って電話を切ったもののかかって来なかったので、通訳付きの会

  • 見えない中国、見える中国

    ここ数日、ツイッターに「斯巴達」という言葉が舞っている。「いつもだったら5分の距離なのに、もう40分以上かかってる。夕飯の約束に大遅れ。『斯巴達』のせいだ!」とか、「テレビつけるとぜーんぶ『斯巴達』。いいかげんにしろ」とか、「なんで今日はネットにつながりにくいんだ? これも『斯巴達』効果?」などという具合に。もうお分かりかもしれない、「斯巴達」がそれほど喜ばれているわけではないことが。 これを杓子定規に辞書を引いて、「スパルタ」などと訳してはいけない。いや、ギリシャの「スパルタ」のようでありながらスパルタにあらず、想像力と創造性という点からすれば、この「斯巴達」は最近の中国インターネット隠語のレベルからみれば、かなり上出来である。 「斯巴達」は「スーバーダー」と読む。このあたりでちょっとひねくれた中国人ならすぐ分かる。「スーバーダー」→「シーバーダー」→「十八大」、つまり今開かれている、中

  • 脱皮を始めた都市住民たち

    ここ半年ほど気がついていたのだが、北京の街の表情が以前と違ってきた。「以前」というのはわずか1年あるいは2年ほど前のことで、実はその変化はもうそれ以前から始まっていたのだろうが、わたしがうっかり見過ごしていたのか、それとも当に全く気づかないところからじわじわと広がり、鈍感なわたしも気づき始めたのがここ半年ということなのかもしれない。 その変化とは、北京に暮らす人たちの「公共意識」が急速に高まっている、ということだ。ここでいう「公共意識」とは、人々が見知らぬ多勢の人たちと社会空間をシェア、あるいは共有し合っていることをきちんと意識したうえで、どうすれば自分だけではなく他者も気持ちよく暮らせるかということを考え始めた感があるのだ。日なら公共マナーといわれるものかもしれないが、「マナー」以上の心がけのようなもの、それを人々が自発的に求め始めている。 そんなもん当たり前だろ、とあなたは思うかも

    lll_nat_lll
    lll_nat_lll 2012/05/22
    "流れ込んだ地方の「勝ち組」がその「勝ち組」意識丸出しで街を闊歩した" これ分かる。変わってきたのか。
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