藤原能長の一女。母は源済政女。 父・能長は、藤原能信(道長の四男・母は源明子)に子供がいなかったことから、その養子とされた人物。実父は藤原頼宗(能信の同母兄)で、頼宗と藤原伊周女の間に生まれた三男であった。よって後朱雀~後冷泉朝期に活躍した兼頼、俊家、能長は同母の兄弟である(この三人については別項予定)。 母方の祖父・源済政は、藤原頼通(道長の一男・母は源倫子)らとはイトコの間柄であり、道長の家司を務め、摂関家とは密接な関係にあった。 道子誕生時の1042年、父・能長は数え21歳で正四位下(10月の臨時叙位による)・右中将、後朱雀朝の蔵人頭を務めていた。 道子の最大の保護者である義祖父・能信は、その当時、正二位・権大納言で皇后宮(禎子内親王)大夫として高位にあったが、歴史を先取りすれば、実はこの官位が能信にとっての極官なのである。時の関白・頼通と敵対関係にあった能信は、これ以上の位階を望む