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2009年12月27日のブックマーク (13件)

  • 書き言葉へ - Living, Loving, Thinking, Again

    国語については、塾でアルバイトをしたときの経験から言うと、確かに小中学生の読み書きの力は低下していると感じた。特に作文は、まず原稿用紙のマス目を埋められない子がかなり多かった。夏休みの家族旅行の話をしてくれた子に、「じゃあ今日の作文は旅行のことを書いてみようか」ともちかけても、さっきあれだけ喋っていたのにノートに向かうと一行も書けなくなってしまう、というようなことも幾度もあった。もっとも、何かを書かせるという行為そのものがデリカシーに欠けるし、今なら私も作文を先生に見せるなんてことは絶対イヤだから、そういう問題で引っかかる子も当然いたとは思う。でも、もっと無機的なワークブックにしても、選択問題しか解答できず、記述問題は正誤以前に一字も書けない子がかなり多いというのは、講師を始めるまで予想していなかった。(もっとも、私が小学生の頃にしてもそんなものだったのかもしれないが…) http://d

    書き言葉へ - Living, Loving, Thinking, Again
  • 日本人の知らない天皇制の隠された恐ろしさ - zames_makiのブログ

    m_debugger氏の「日人でもわかる天皇制の耐えられないキモさ」2009-04-29 http://d.hatena.ne.jp/m_debugger/20090429/1241015076 はいいエントリだと思った。でも説明がまったく足りないと思ったのでコメントしたが後で承認制なのに気づいた。そうこうしている間にブックマークがどんどん増えたので、とりあえずコメントを再掲しておくことにする。 私の意図を追記して、はっきり書けば 「その実際的な有り様を観察すれば現在も天皇を中心とする宗教(国家神道)は日人全ての中で生きているが、日人はまったくそれを自覚していない。自分が天皇を尊敬する事の意味をわかっていない。それに対し一部の人間(例えば阪是丸のような人)はそれが戦前と同じなのだとを明確に意味づけようとしているし、西尾幹二のような人は今も戦前と同じように天皇が主権者なのだと公式に確

    日本人の知らない天皇制の隠された恐ろしさ - zames_makiのブログ
  • キモいと日本人があまり言われなかった理由++ - 白鳥のめがね

    さいきん、天皇制についての自分の思いについて語ったばかりだが(天皇制が補完されることについて - 白鳥のめがね)、そしたら、昭和天皇の誕生日(みどりの日昭和の日)に次のようなブログ記事が出ていたのを読んだ。そのあと考えたことをちょっと書いておこうと思う。 天皇制は植民地支配・侵略責任を問われることのないまま、戦後も象徴天皇制として不気味に生き延びています。このことの意味が実感できない人は、とりあえず、地下鉄サリン事件以降も、オウムが裁かれることなく、麻原彰晃が信者の「総意」にもとづいて「象徴尊師」となり、しかもそのことに信者が何の違和感も持っていないという状況のおぞましさを想像してみてください。 日人でもわかる天皇制の耐えられないキモさ - media debugger オウムの件のあったころ、戦中の日は国中がオウム真理教の信徒であったかのようではなかったのかな、と思ったことがあったが

    キモいと日本人があまり言われなかった理由++ - 白鳥のめがね
  • 天皇制2.0(?)と21世紀の日本社会 ―覚え書― + - 白鳥のめがね

    決断ポトフのだだ漏れ中継でウェブ学会のディスカッションをちょっと覗いてみた。 http://web-gakkai.org/table.html 民主主義2.0とかキャラクター民主主義とかいう話を聞いていていつも思うのは、そこで日の天皇制はどうなるのだろうか、ということ。 天皇制については何度かこのブログでも書いてきた。 キモいと日人があまり言われなかった理由++ - 白鳥のめがね 私は、現行の天皇制を廃止するような活動が日という国をよくするために不可欠な課題であるとは考えていないのだけど、天皇制が日社会のありかたを深いところで規定しているのは間違いない事だと思う。 しかし、天皇制を話題にしないこと、天皇制について自覚しないことが、日社会を改善したり日国の適切な運営を行う上で、弊害につながるとは限らないのも確かだ。無自覚に行われる集合的な選択が、正しい答えを出すかもしれない。もち

    天皇制2.0(?)と21世紀の日本社会 ―覚え書― + - 白鳥のめがね
  • 要は、日本語補完計画がないんでしょ? - 白鳥のめがね

    このあいだ、「簡体字は便利だから使ってみよう」、という記事をたまたまみつけて読んでみた。 グローバル化によって中国国内の情報もそのまま伝わる時代。中国の漢字もよく目にするようになった。だが、その字体は簡体字(かんたいじ)といって日の漢字とは違い、手書きしやすいように画数を大幅に簡略化してある。 日人からすると簡略化しすぎているように見えるが、その分手書きしやすい。他人が読む手書きの文章に簡体字を使うのは差し控えたいが、自分が読むだけのメモ書きなら、簡体字に慣れていくと便利なものだ。中国語に慣れるメリットもある。 http://business.nikkeibp.co.jp/article/nba/20090219/186731/?ST=print これを読んで思ったのだけど、どうせなら日語の公用語表記を簡体字にしてしまったらどうか。 当用漢字以降の戦後つくられた日だけの略字などは所

    要は、日本語補完計画がないんでしょ? - 白鳥のめがね
    lotus3000
    lotus3000 2009/12/27
    これ半分本気で考えたな。旁だけハングル、へんやかんむりを簡体字にって。
  • 近代日本語に弔いを 2.212/日本文学は日本語文学なのか? - 白鳥のめがね

    江戸後期から明治前期までを「漢文脈」が隆盛したひとつの時代として括ることができるようだ。 近代日語に弔いを 2.211/ドラマ『坂の上の雲』から読み替える近代 - 白鳥のめがね そのあたりの話を、『漢文脈と近代日』を抜書きしながら紹介したい。 漢文脈と近代日―もう一つのことばの世界 (NHKブックス) 作者: 齋藤希史出版社/メーカー: 日放送出版協会発売日: 2007/02メディア: 単行 クリック: 19回この商品を含むブログ (27件) を見る 齋藤希史氏は、寛政二年(1790年)に松平定信が昌平坂学問所で朱子学だけを教えるよう定め、それをきっかけに各藩での教育が体系的に制度化されたことを、ひとつの転換点として、それ以降、漢文が大きな力を持つようになったと指摘する(p.48)*1。 漢文的な思考や感覚の普及ということで見れば、近世の半ばごろを境にして、状況は大きく変化します

    近代日本語に弔いを 2.212/日本文学は日本語文学なのか? - 白鳥のめがね
  • 平沢進が語る、音楽の新しいスタンダード (1/5)

    平沢さんがプロミュージシャンとして最初にインターネットへ軸足を移して10年。無料配信やインタラクティブライブ、今回の「還弦主義」など、続々とネットを通じたパフォーマンスを展開してきた。その結果、この音楽不況下にあって売上を伸ばし続けているというから驚きだ。その秘密は何か? というのが今回のテーマ。 「新しいスタンダードを作った方が早い」 という前回の平沢さんの発言は、明快かつ示唆に富んでいる。いま「旧(ふる)いスタンダード」のシステムが壊れつつあり、それらを延命させるために様々な規制が講じられつつある。 だが、音楽は、そうしたものとは無関係にあって、そうしたものと戦う必要もない。10年前にそこから抜け出す最初の一歩を踏み出した人は、それを「体感」として語ってくれた。むしろシステムに乗った途端に失われるものについても。 では、インタビューの続きをお楽しみください。 ビジネスモデルと呼べる

    平沢進が語る、音楽の新しいスタンダード (1/5)
  • asahi.com(朝日新聞社):「元係長は市政転覆企画」 阿久根市長側が準備書面提出 - 政治

    鹿児島県阿久根市の竹原信一市長が、市庁舎内に張らせた職員の人件費を書いた張り紙をはがした男性係長(45)を懲戒免職処分にした問題で、元係長が市と竹原市長に免職処分取り消しを求めた訴訟の2回目の口頭弁論が25日、鹿児島地裁(牧賢二裁判長)であり、結審した。判決は4月9日。  竹原市長はこの日までに、元係長について「『職員は市長の命令に服従すべきだ』とする意識がほとんど見られない」「『すきあらば竹原市政の転覆を謀ろう』と企図している」とする準備書面を提出。「人事は行政をつかさどる首長の専権事項。裁判所は首長と対等の立場からその適否を論じる資格を持たない。円滑な行政に必要として行われた以上、適法である」と主張した。  原告側は法廷で「効力停止の地裁決定が確定したにもかかわらず、元係長は今も就労できず、生活に困っている」と早期の判決を要望した。原告側の増田秀雄弁護士は取材に対し、「市長は持論を述べ

    lotus3000
    lotus3000 2009/12/27
    どうやってここまで妄想が増えたのやら。
  • 「天皇に「私(わたくし)」なし」という神話 - 梶ピエールのブログ

    少し前のことになるが、事実上胡錦濤国家主席の後継者と目されている習近平国家副主席が訪問し、天皇との会見を行ったことが、天皇が外国要人と会見する際に通常適用される「1か月ルール」に従っていなかったとして物議を醸した。この事件はいくつかの点で非常に重要な意味を持っていると思うので、ここで改めて考えてみたい。 まず、目立ったのは産経新聞など右派系のメディアを中心にした、これは党内に権力闘争を抱える習近平が天皇の政治利用をしている、けしからん、という論調の批判的な報道であった。 天皇を政治利用している=礼儀知らず、という習氏への否定的なイメージは、たとえばこの後カンボジアの訪問の際に7月5日のウルムチの騒乱の際に亡命し難民申請を行っていたウイグル人20人の強制送還が行われたとの報道により、さらに強化されたかもしれない。 確かに、人道的観点からカンボジア政府の決定が責められるべきものであるのはいうま

    「天皇に「私(わたくし)」なし」という神話 - 梶ピエールのブログ
  • 不忠の臣 - 雪斎の随想録

    ■ これは怖い。「肌に粟を生じせしめる」とは、こういうことか。 □ 政治利用に懸念表明=陛下と中国副主席の会見設定-宮内庁長官 12月11日20時11分配信 時事通信 来日する中国の習近平国家副主席と天皇陛下の会見が通常の手続きを踏まずに決まったことについて、宮内庁の羽毛田信吾長官は11日、「陛下の政治的利用につながるのではないかという懸念を持っているか」との質問に「大きく言えばそういうこと」と述べた。 羽毛田長官は「こういったことは二度とあってほしくない」とも述べ、不快感を示した。 羽毛田長官によると、会見要請の打診が宮内庁にあったのは先月26日。陛下と外国要人との会見は1カ月前までに申請する慣行に反していたため、同庁は翌日、外務省に断る意向を伝えた。 しかし、平野博文官房長官から今月7日、羽毛田長官に「日中関係の重要性にかんがみてぜひお願いする」と電話があった。 羽毛田長官は「陛下をお

    不忠の臣 - 雪斎の随想録
  • 東浩紀の萌え感 - activeエレン

    今日はクリスマスイブですが、それはそれ、これはこれ。 先日、12月4日にNHKのBS2で放送された「ザ☆ネットスター! 09’12月号」、その番組終わりの座談会。 【参加者】 立川談笑 喜屋武ちあき 白石稔 東浩紀 真田アサミ エラー|NHKオンライン そこでの東浩紀の萌えについての発言が興味深かったので、重要だと思われる箇所を抜き出しておきたいと思います。 ぼく、ラブプラスって途中で放置して終わったわけだけど、あれってあの女の子3人しかいないんだよね? トゥルーエンドで4人目とか出てきたりしないんでしょ? がっかりだよねえ。 ゲームの性質が違うんだよなあ、ラブプラス。ゲームの性質っていうか、3人のうち誰にも萌えないんだけどね。キャラクターのバリエーションが少ないですよね。あれは基的には、コナミだし、ときメモの現代版、ときメモ+ニンテンドックスということなんですけど、基コンセプトは。そ

  • キリスト教正統派が異端排斥といって、むしろ異端の中にこそあった「原初の信仰」を排除したという神話について - Comments by Dr Marks

    ブログは横スレが面白い。自分はしばしば横スレをするが、されるのも楽しいと思っている。ところで、最近、数箇所で横スレを試みたが、2箇所で関連していたのは現在の正統派(一応カルケドン会議批准会派の末裔と定義しておこう)が、むしろ原初の信仰(一応第二世代つまり2世紀初頭までのキリスト教としておこう)を排斥しており、例えば、5世紀に排斥されたネストリウス派の信仰の中にこそ原初キリスト教があるというアイディアだ。 それは神話である。最近のイーアマン(日語訳ではアーマン)は多少趣が違ってきたが、一頃は正典は非正典を排斥してきた過程の産物だと言っていたのと同じ神話だ。聖書学的には1930年代まで、神学的には1960年代まで有力だった考えだが、そのカビの生えた考えはまったくの神話と言っていい。 私の学歴上の専門は現代キリスト論(contemporary Christology)なのであって、古代のキリス

    キリスト教正統派が異端排斥といって、むしろ異端の中にこそあった「原初の信仰」を排除したという神話について - Comments by Dr Marks
  • 民主主義2.0とカール・シュミットの「民主主義」 - 過ぎ去ろうとしない過去

    東浩紀の「民主主義2.0」の議論は、実は朝生を見たぐらいであとは断片的にしか追いかけてないのだけれど、情報をある程度総合するに、彼はルソーの直接民主主義を引用しながらこの新しい「民主主義」のあり方を説明しているらしい。しかし、ぼくにはもう一人、彼の議論には隠された登場人物がいるような気がしてならない。それは、カール・シュミットである。東浩紀がシュミットを読んでいることはすでに明らかになっている。そして、シュミットもルソーを引用して「民主主義」を説明するのだ。 1923年に出された『現代議会主義の精神史的地位』において、シュミットはルソーの「一般意志」について次のように述べている。「人民は元来決して具体的な内容に協賛を与えるのではなく、抽象的に、投票の結果現れる一般意志に、協賛を与えるのである。・・・この結果が個々人の投票の内容と誤っているならば、評決に敗れた者は、彼が一般意志の内容について

    民主主義2.0とカール・シュミットの「民主主義」 - 過ぎ去ろうとしない過去
    lotus3000
    lotus3000 2009/12/27
    諸星のアレをもってくるかw