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2013年5月30日のブックマーク (11件)

  • 平泉澄 - Wikipedia

    この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "平泉澄" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2017年8月) 福井県大野郡平泉寺村(現・福井県勝山市)生まれ。実家は平泉寺白山神社。名前の「澄」の一字は、白山の開祖泰澄に由来する。 1901年(明治34年)4月、龍池尋常小学校入学。1905年(明治38年)4月、成器高等小学校進学。 高等科二年修了を経て、1907年(明治40年)4月、福井県立大野中学校入学。1912年(明治45年)白山神社の歴史を纏めた『白山神史』編集。1911年(明治44年)十時進とともに意見書(「秋霜帖」)を大野中学校長に提出。同書はとある教師の追放を謀

    平泉澄 - Wikipedia
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    lotus3000 2013/05/30
  • 南京事件を「想像」する…松本清張「黒地の絵」を補助線に、南京事件発生75周年の日に - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)

    今日は、南京事件発生から75周年の日。 あえて、1950年の日で起きた米兵暴行事件のことを書きます。 1950年7月11日、福岡県小倉市(現在の北九州市小倉北区)の城野(じょうの)にあるアメリカ軍キャンプから約200〜300人の兵士が集団脱走し、キャンプ近隣の民家等に入り略奪や性的暴行などを行った。当時、朝鮮戦争においてアメリカ軍は劣勢で、多くの死傷者が出ていた。脱走した兵士は戦地に送られるためにジョウノ・キャンプに送り込まれ、全て黒人兵であった。 この事件は当時の日のマスコミでは報道されなかった。 当時32歳で小倉に住んでいた松清張は、作家として東京に居を構えたのち、事件8年後に短編小説「黒地の絵」を発表する。この作品は、現在新潮文庫に同題名で収録されている(この記事末尾を参照) ※【ご注意】以下、囲みで小説のあらすじや原文を書きます。ネタばれ注意。また、原文中には人種差別表現もあ

    南京事件を「想像」する…松本清張「黒地の絵」を補助線に、南京事件発生75周年の日に - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)
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    lotus3000 2013/05/30
    虐待の連鎖の中の南京大虐殺。
  • 「戦地で死んだ者を追悼する」イコール「靖国参拝」ではない - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)

    戦地で死んだ者の霊はどこにいるのか、当は誰にもわからない。*1 靖国神社は戦死者をひとまとめに「合祀」していると言うけど、ひとりひとりの「霊」が靖国神社に集まっているという客観的根拠はない。 いや、「霊」はいろいろなところにいる、だけど靖国神社はそれらの霊と私たち生者との間の接点(チャンネル)として存在しているという考えもあるだろう。しかし「霊」の側が、靖国神社を生者とのチャンネルとして認めている、という客観的根拠はない。 つまり、靖国神社が「霊」の居場所ないし接点というのは、主観ないし共同主観にすぎない。*2 誰の共同主観か? そう、靖国神社という宗教法人とその支持者の。 ここで想起すべきは、国家によって戦争に動員され戦地で死んだ約230万の半分以上は、戦闘による死ではなく餓死だったということだ(藤原彰氏の研究による。http://blog.goo.ne.jp/taro606/e/cd

    「戦地で死んだ者を追悼する」イコール「靖国参拝」ではない - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)
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    lotus3000 2013/05/30
    國と国家とは違うしね。
  • 宝石箱

    (2月某日) 昨夏からずーっとやってきた経済思想のがやっと一山越えた。この欄を書いてる暇がなかったので放置しておいてしまったが、よく考えたらこれじゃまるで勉強してないと自分で申告してる見たいなものだ。それもなんだか変なので、再開。 荒井一博『文化経済学』(文春文庫)を読む。この著者にはゲーム論によって日的雇用には良い面があることを論証した著書がある。「自立した個人が自由きままにすれば世の中うまくいく」といった新古典派的な規制緩和論に対する強烈な反論で、制度や公共心こそが秩序をもたらすことを説くというスタンスである。 私も同様の立場で、日的雇用には家庭を顧みないところや不祥事隠しなど社会のルールに反して持続不可能なところがあるが、一方では所得の安定を期待させて消費も維持させる良い面があると見る。崩壊は仕方ないにしても、それならば雇用不安という代償を払わねばならなくなるということだ。

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    lotus3000 2013/05/30
  • 実物参考にしてたらそんなダサいブラジャーは描かねえわっていうエロ絵が多すぎる

  • 講義や周囲についていけなくなったら→先生は表立っては勧めない新書に挫折した人のためのサブテキスト 読書猿Classic: between / beyond readers

    わざわざ言うまでもないことこそ知らない人には分かりにくいと考え敢えていう、新入生(大学生)向けシリーズのひとつとして書き始めたのだけれど、体調崩したり色々しているうちに時期を逸してしまったリストを蔵出しする。 都合よく考え直せば、スタートの志高い時期よりも、心が折れかけた「5月病」以降の方がニーズがあるかも知れない。 新書未満のものからはじめて、教科書にも採用されているような(しかし専門書よりはずっとやさしい)シリーズまで順々に紹介する。 昔なら、入門なら「新書を読め」と言われておしまいだったかもしれないが、新書が気で教科書に使われていて、しかもそれに歯がたたないケースが今回のターゲットである。 ずっと手前から始めたって、分からないままごまかし続けるよりずっといい。 〈分かる〉ことは、つながることだ。 逆に言えば〈分からない〉というのは、孤独の最中に投げ出されることだ。 不明のうちに惑い

    講義や周囲についていけなくなったら→先生は表立っては勧めない新書に挫折した人のためのサブテキスト 読書猿Classic: between / beyond readers
  • 自然だから美味しいって本当だろうか - アグリサイエンティストが行く

    このようなテーマについては、以前から幾度か取り上げてきた。農業という形態が自然とはいえないこと、そこで栽培されている植物も自然とは程遠いことはこれまでも主張してきたとおりである。だから必ず現代的技術で栽培することが必要だとは言わないが、不自然な状態で「栽培」されている不自然な「形態」の植物を「きれいに」作るためには「自然」に任せていただけではダメだというのは自明なことであると思うのだが。 たびたび取り上げているイチゴは、一番自然に近いと思われる露地栽培の場合、旬といえるのは5月後半から6月前半にかけてになる。冬の間、露地でのイチゴは寒さに耐えるためロゼット状態といって地べたの張り付いたような状態になっている。節間がつまり、葉数も多くない。これが気温が上がってくると一気に新芽が動き出し、葉が大きくなり、高度が上がった太陽の光をいっぱいに受けようと株全体が盛り上がったようになり受光体勢を作る。

    自然だから美味しいって本当だろうか - アグリサイエンティストが行く
  • 脅威の酷似! クトゥルフ神話の邪神と二郎系ラーメン

    lotus3000
    lotus3000 2013/05/30
  • もちつけblog(仮)、、、の跡地(はてなダイアリーに移転。)

    このブログは、はてなダイアリーに移転します。 http://d.hatena.ne.jp/haruhiwai18/ 新田一郎『相撲の歴史』(文庫版)を読んだ。 相撲は大好きである。 あれはすぐに決着がつく、素晴らしいものだ(ソコカヨ でも相撲、実際の歴史ってどんな感じか、意外に知られていない。 フランシスコ・ハビエル・夕ブレロによると、鎌倉時代だと力士は盗人や浮浪者、恐喝者と同列の扱いであったり、相撲節会というのは、実は平安時代の天皇と宮廷人のためだけが観戦するものであったり、土俵は歴史的には比較的新しいものであったり、大銀杏髷が義務付けられたのは明治42年(1909)のことだったりする。 こうしたことは知られていないだろう。(詳細は、この記事を参照。) 相撲を正しく把握するには、相撲とは何だったのか、「伝統」という言葉の抽象性によってではなく、可能な限り吟味された具体的な事実にそって、知

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    lotus3000 2013/05/30
    いつも色々考えさせる記事。広い教養に関心する。
  • もちつけblog(仮)、、、の跡地(はてなダイアリーに移転。) 戦後になっても、靖国神社がついに己自身を克服できなかった件 -赤澤史朗『靖国神社』を再読する-

    赤澤史朗『靖国神社』を再読する。 (たぶん)知られざる良書である。 いつもどおり、興味のあるところだけ取り上げていく。 「靖国神社の祭礼には、競馬やサーカスなどの娯楽が付きまとい、多くの観衆が集まった」というふうに、庶民にとって靖国神社が親しい存在だったことを説明する研究がある(20頁)。 だが、戦前の靖国神社は、神社が強力な軍の管理下に置かれていたし、また例大祭などの祭典に正式に参列できるのは、軍や国家の代表者だけであって、庶民はもとより、遺族すらも参列できなかった。 戦前期には、祭礼の合祀に際して、遺族は合祀祭への参加を許されず、かろうじて招魂斎庭から、殿に向かう御羽車を拝んで見送ること、祭典終了後の昇殿参拝が認められただけであった。 戦前における靖国神社の遺族に対する位置づけは、実はこのようなものである。 遺族会として勢力が強くなるのは、戦後のことである。 ところで、上記の「庶民に

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    lotus3000 2013/05/30
    結局国家理念とは何かという、一番の劇薬の問をのみこまなかったツケなんだろう。しかも左右どちらも全体主義的傾向が強かったし。/返答ありがとうございます。心情倫理のほうが良かったかな。id:haruhiwai18
  • 「働かない―「怠けもの」と呼ばれた人たち」トム・ルッツ 著 | Kousyoublog

    このドメインは お名前.com から取得されました。 お名前.com は GMOインターネットグループ(株) が運営する国内シェアNo.1のドメイン登録サービスです。 ※表示価格は、全て税込です。 ※サービス品質維持のため、一時的に対象となる料金へ一定割合の「サービス維持調整費」を加算させていただきます。 ※1 「国内シェア」は、ICANN(インターネットのドメイン名などの資源を管理する非営利団体)の公表数値をもとに集計。gTLDが集計の対象。 日のドメイン登録業者(レジストラ)(「ICANNがレジストラとして認定した企業」一覧(InterNIC提供)内に「Japan」の記載があるもの)を対象。 レジストラ「GMO Internet Group, Inc. d/b/a Onamae.com」のシェア値を集計。 2023年5月時点の調査。

    lotus3000
    lotus3000 2013/05/30
    怠けの哲学の歴史。しかしその矛盾もあることへの指摘。