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ブックマーク / www.ringolab.com (8)

  • それでも、読書をやめない理由 - 情報考学 Passion For The Future

    ・それでも、読書をやめない理由 米国ロサンゼルスタイムズの文芸批評担当記者が書いた読書論。コンピュータや携帯の普及によって当に「文学は死んだ」のか?。慌ただしい情報社会において深い思索の時間、深い読書の時間はむしろ価値が高まっているのはずだという希望と、読書のニーズが変わったのに旧態依然として変化に対応できない出版業界への批判がある。 「わたしたちは、自分たちが今まさにそのただ中にある問題についてさえ解説を求めたがるのだ。今まさに自分たちが主役である世界についてさえ、ことこまかに知りたがる。四年間の任期の半ばも過ぎていないのというのに、どうして大統領としてのオバマを評価できるだろう?不確定要素もあれば、理解できないこともたくさんあるのだと認める余裕などあるのだろうか?」 確かにネットが登場してからというもの、とりあえず答えを出す、までの時間が短すぎる。昔は図書館に通ったり、人に会って聞い

  • 殉教 日本人は何を信仰したか - 情報考学 Passion For The Future

    ・殉教 日人は何を信仰したか 「日における殉教のあり方は、世界のどこにもない特殊なものである。ローマ時代、キリスト教徒が迫害された時代は別として、わずか二十数年という短期間に確実に四千人を超える大量の殉教者が出たことは稀である(松田穀一「日切支丹と殉教」)。特に日における殉教は、後述するようにいかなる勧誘にも拷問にも屈せず行われた点で、特筆すべきものだと思われる。」 江戸時代のキリスト教弾圧は有名だが、実際には内面の信仰を厳しく問うわけではなく、表向き信仰を捨てたふりをすれば容易に許される程度のものだったそうだ。しかしキリシタンたちは、迫害されて死ねば天国に行けると信じて、敢えて役人が管理するキリシタン名簿に載りたがり、捕まると進んで信仰を告白し、厳しい拷問にも屈せずに死んでいった。 著者はキリシタン弾圧の実態を史料を読み解くことで、当時の政治的社会的な背景や実際にとられた政策を明

    lotus3000
    lotus3000 2012/10/14
    武士の宗教としてのキリスト教。つまり切腹の美学と似たものがあったため殉教へと向かった。
  • グノーシス主義の思想―"父"というフィクション - 情報考学 Passion For The Future

    ・グノーシス主義の思想―"父"というフィクション 若手研究者による意欲的なグノーシス主義研究書。 2世紀頃のキリスト教異端の一派であるグノーシス主義という思想は、反権威、反伝統の知のかたちとして、しばしば20世紀の思想家によって語られた。おかげで現代のSFやアニメにも広く影響を与えている。最近では、ファイナルファンタジー13は明らかにグノーシス主義の影響を受けている。"悪い創造主"が出てきたらまずグノーシスを疑えである。 グノーシス主義は二重構造が特徴だ。みんなが神様と崇めているのは偽物の劣った神(造物主)であり、当の至高神は天界の最上部にいる。人間は至高神の性質を受け継いでいるので、やがて叡智とともに神のもとへ帰昇することができると信じた。現体制は偽物で、物はきっとどこかにあるんだという反権威主義的な発想である。 グノーシスの神話は筋立ても含意もかなり難解であり、こうした研究書を通し

    lotus3000
    lotus3000 2012/09/26
    グノーシス主義とポップ・カルチャー。
  • Passion For The Future: 権威主義の正体

    権威主義の正体 スポンサード リンク ・権威主義の正体 ■過度に単純な認知スタイルが権威主義的人格の正体 権威と権威主義は異なるもので社会心理学の定義としては「権威主義とは必ず悪いもの」だとし、その正体を解明する。とても面白い。この先生はそれにしても面白いが多いなと思ったりするが、そういう気持ちも「属人的」評価で権威主義の一種らしい。 著者は「権威主義的人格とは、複雑な事柄を単純に認知しようとする認知スタイルの個人差から派生している」と述べている。権威主義的人格の行動には「あいまいさへの低耐性」「反応の硬さ」という特徴があるそうだ。物事を多面的、多元的に考えてそのまま受け止めることができない、弱い人間が権威主義に陥る。 状況次第で誰でも権威主義に陥る傾向があることも解明されている。このでは、 ・アッシュの同調実験 「どちらの線が長い?」と尋ねる サクラの意見に影響されて自分の信念が変わ

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    lotus3000 2011/09/18
  • キャラ化する/される子どもたち―排除型社会における新たな人間像 - 情報考学 Passion For The Future

    ・キャラ化する/される子どもたち―排除型社会における新たな人間像 著者によると、子供たちが恐れているのは、経済的な格差ではなくて、人間関係の格差だという。そして格差をつけない「優しい関係」を維持するために"キャラ"がある。ボケとツッコミのような役割をバーチャルに身にまとうことで、自分を守り、人間関係を安定させるのだ。 「若い人たちは、グループのなかで互いのキャラが似通ったものになって重なり合うことを、「キャラがかぶる」と称して慎重に避けようとします。それは、グループ内での自分の居場所を危険にさらすからです。しかし、グループ内に配分されたキャラからはみ出すことも、また同時に避けようとします。それもグループ内での自分の居場所を危険にさらすからです。一般に、芸人の世界はボケとツッコミの相補関係で成り立っていますが、彼らもまた、ボケ役とツッコミ役のように互いに補完しあうキャラを演じることで、人間関

    lotus3000
    lotus3000 2010/09/18
  • 裸はいつから恥ずかしくなったか―日本人の羞恥心 - 情報考学 Passion For The Future

    ・裸はいつから恥ずかしくなったか―日人の羞恥心 ペリーの日遠征に随行した画家の「下田の公衆浴場」という絵には、全裸の男女が秘所を隠すこともなく混浴の浴場でくつろぐ様子が描かれている。若年や中年の男女が多いが、誰も互いの裸体に欲情していないし、恥ずかしさも感じていないことがみてとれる。この絵を見たアメリカ人は日人を「淫猥な人たちだ」といい、フランス人は「日人に羞恥心はない」といい、オランダ人は「男女の性別を気にしていない」といって驚き、そして軽蔑した。 150年前の日では「男女が無分別に入り乱れて、互いの裸体を気にしないでいる」のは普通だったのだ。江戸時代の日人にとって、裸体は顔の延長のようなものであり、現代人の我々がスッピンの顔を見られても恥ずかしくないように、裸を見られても平気だった。 江戸時代の日人がいかに裸に対しておおらかだったか、具体的な記録から明らかにされる。若い娘

    lotus3000
    lotus3000 2010/08/26
  • Passion For The Future: グロテスクな教養

    グロテスクな教養 スポンサード リンク ・グロテスクな教養 ■君たちはどう生きるか 著者によると、学歴エリートが「僕は単なる受験秀才じゃないぞ」を確認しあうための孔雀の羽として、教養を肥大化させてきたのだという。日においては受験における勝利の評価が低いので、だからこそ学歴エリートはもう一段上の自分を形成するために教養を求めたと分析されている。 そうした一部の人たち向けの典型的な指南書として、雑誌「世界」の編集長となる吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」が何度も引用されている。 ・君たちはどう生きるか これは私も学生時代に読んだ。ベストセラーである。 「君のような恵まれた立場にいる人が、どんなことをしなければならないか、どういう心掛けで生きていくのが当か」を語る内容。著者曰く「どう生きるかを主体的に選びうる「君たち」というのが実は少数の特権的な男の子たちだけを指して」いるとする。 そして

  • 13日間で「名文」を書けるようになる方法 - 情報考学 Passion For The Future

    ・13日間で「名文」を書けるようになる方法 高橋源一郎の明治大学大学院における「言語表現法」講義の書籍化。全13回の授業が学生とのやりとりを含めて収録されている。とてつもない名講義。言葉で語らず、インタラクションで考えさせるという高度な教授法を、毎回繰り出す。 初日、スーザン・ソンタグの「若い読者へのアドバイス」という名文が配られる。死期が近いことを悟った思想家が若者に向けて「心の傾注」という言葉をキーワードに真摯な忠告を短い手紙のように書きつづったものだが、「読み終わったら、その紙から目を上げ、窓の外を眺めてみてください。なんて美しい風景でしょう。このキャンパスのいいところは、こういうものが見られることです。すぐ横に、そんなに美しいものがあるのに、活字ばかり追いかけてはいけません。読んだものは忘れて、見ることに、傾注してください。」と先生。 オバマ大統領の演説、斉藤茂吉のラブレター、しょ

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