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敵味方と分れても、彼我の交争を超越する最高の原理を共同する所から、互に尊敬し合ふといふのは、昔からの日本民族の誇りとした精神ではないか。 - ujikenorio’s blog
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- 且つ亦、仮令国法を蹂躙し、正面から我々に反対するものでも、之を無下に敵視するのは古来の武士道の... - 且つ亦、仮令国法を蹂躙し、正面から我々に反対するものでも、之を無下に敵視するのは古来の武士道の精神でもない。敵味方と分れても、彼我の交争を超越する最高の原理を共同する所から、互に尊敬し合ふといふのは、昔からの日本民族の誇りとした精神ではないか。昨年の十二月帝劇に於て「安宅の関」といふ芝居があつた。義経弁慶は頼朝に取つては不倶戴天の敵である。富樫左衛門は時の政府の命令を受けて国賊を逮捕するの任務を負ふて関を守つて居る。其処へ義経弁慶の一行が飛び込んで来た。富樫は行政上の職責として、此の国賊を是非とも逮捕すべき責任のあるのに、臣として義経に対する弁慶の忠誠に感激して、遂に之を免してやつた。其上諸国の関所に対するパツスさへ贈つた。今日の乾燥なる法律論から云へば、飛んでもない不都合な役人と云はねばならぬが、富樫左衛門彼自身は、其の間に何等の煩悶をも感じない。見物人も亦寧ろ富樫に同情して居る。何