連載の目次ページはこちら 2003年,キヤノンは低価格製品の生産地を中国から日本に切り替えると発表した。この発表に面食らった企業は多いはずだ。当時は「日本と中国のすみ分け」がなされていて,日本は高価格製品,中国は低価格製品というのが一般的な認識だったからである。それでも,このときの同社常務取締役で生産本部長(現在は常務取締役で光学機器事業本部長)の市川潤二氏は「中国に工場を移す前に,すべきことはたくさんある」と自信に満ちていた*。 * 2003年夏,『日経ものづくり』の前身である『D&M日経メカニカル』の取材での発言。以下,特に断りのない限り,市川氏の発言は当時の取材でのものとする。 生産地切り替えの対象となったのは,主に日本市場向けのフィルムカメラやインクジェット・プリンタである。輸送費などを考慮すると「日本で生産する方が中国で生産するよりもコストが低くなる可能性が高い」(同氏)と判断し
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