理系マンガ家・セミコン見ル野は、エンジニア時代に半導体製造装置を作っていた。装置は納品したら終わりだと思ったら大間違い。工場出張設置後のランニング試験をクリアさせるという難関が待っている。この大仕事を見ル野はどう乗り切っていたのかご覧あれ!
東京大学文学部宗教学宗教史学専修課程中退。1996年に「有限会社オン・ザ・エッヂ」を設立。2002年に旧ライブドア社から営業権を取得し、2004年に社名を「株式会社ライブドア」に変更。2006年に証券取引法違反容疑で起訴されて一審、二審ともに有罪判決を受ける。現在上告中。1972年福岡県生まれ。 今、非正規雇用の増加やいわゆる「派遣切り」が社会問題になっていますけど、僕が前の会社(ライブドア)で社長をやっていたときは、技術者派遣やSI会社の常駐社員などは一切使わなかったし、逆に自社の社員を派遣することもしなかった。社内ではこうしたシステムを利用するようにかなり説得されたけど、ここだけは頑固に譲らなかった。 唯一、派遣会社を使ったのは受付の女の子たち。いろいろとあって押し切られてしまったのだけど、彼女たちが望めば正社員にしていたし、希望すれば総務や経理に異動もさせていた。ほかに社員でない人と
ちょっとした集計とか、雑務をムダにプログラミング組んだりしてるSEって、見かけたことないですか? なんで30分あれば終わっちゃうことを、2時間3時間かけてやってるわけ? なんでソコにこだわるの? 今回もきたみりゅうじがぶった切ります。 ちょっとした集計作業。はたまた、ごく簡単な手書き作業とか。「30分もやれば片付くでしょ」なんてそんな作業を、なぜか2時間3時間かけてやってるSEさんがいるとかいないとか。見ればカタカタとプログラミングをしていらっしゃる。 「なんですって? データの再利用? なんですって? このほうが効率がいい?」 いやでも、それって1回やればオシマイな雑事だから、とっとと片付けちゃえばいいんじゃないの……と思うんだけど、それじゃ気がすまないんだとSEさん。なにこの人たち、ひょっとして頭悪いの? なんでそんなめんどくさいやり方にこだわったりなんかしちゃってんの? ムダとかいう
SEと打ち合わせしていると、なんでも「そもそもですね」って言いだして、話の流れを断ち切っちゃうんだよね。融通がきかないっていうか、ノリが悪いっていうか……。なんでもっと話を先に進めようとしないの?今回もきたみりゅうじがぶった切ります。 SEさんと話していたら、「いや、そもそもね」とか、やたらと話が根っこのほうに立ち戻る。これってあれでしょ、考え方のパターンってもんがあるわけでしょ。んで、すぐにそのパターンにはめ込もうとして、話の腰をおっちゃうわけだ。流れの中で出てくる話もあるだろうに、なんでもかんでも根っこから整理しようとばかりして、融通がきかないよね~、ノリが悪いよね~……なんてことも言われたり? はて、実際んとこ、「ノリが悪い」「融通がきかない」から、すぐに「そもそも」と繰り出すのでありますか? さてと、それは以降の物語をご覧あれ。 開発をガーっと進めていると、まま起こりうるのが、「開
システム開発という仕事を通じて、さまざまな問題解決に日々取り組んでいるSEさん。それが高じてか、日々の生活でも無駄なことは大嫌い。テキパキ物事を片付けて、整理して、段取りつけてが大得意。まさに頼れるニクい奴。ってなわけで、これはもちろんかっちょいい……なのかしら? はてさて、それは以降の物語をご覧あれ。 自分もそーした節は多々あったりするんですが、仕事でふれるのと同じジャンルのこと……パソコン関係とかシステム周りのこととか……に関する話になると、カチャっと頭が仕事モードに切り替わっちゃうような気がするんですよね。そんで、ついつい仕事場でやるような方法論で話をまとめようとしたりする。 「同じことを何度も聞くな」とか、「まず問題の原因をはっきりさせよう」みたいな会話になっちゃったりするのは、まさにカチャリと頭が切り替わったときのことではないかなと思うのです。これが、確かに功を奏す場面もあるんで
1993年に世界で初めて白色有機ELの開発に成功した城戸淳二氏。研究成果は「サイエンス」に掲載されるなど注目を集め、その後の製品化の道を切り開いた。大型化、多方面への応用なども提唱した有機ELの権威として、世界の研究者から知られる人物だ。 デジタルカメラや携帯電話をはじめ、今やさまざまな製品で使われ始めている有機EL。2007年11月にはソニーが最も薄い部分の厚さが3mmという有機ELテレビを世界で初めて発売、先行予約であっという間に品切れになるなど、大きな話題となった。有機ELディスプレイの特徴は、液晶のようなバックライトが不要なこと。数mmという極限の薄さで折り曲げも可能。しかも低電力で視野角も広い。まさに夢のディスプレイ、なのである。 だが、15年前までは実用化の見込みがなかなか立たなかった。そして1993年、この状況を一変させるニュースが世界に衝撃を与える。実現不可能と言われていた
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