中国、北京から南へ約200キロメートルの満城区にそびえる陵山(りょうざん)。2000年以上前、その東側の斜面から数千トンもの岩が削られ、中山王の劉勝(りゅうしょう)と妻の竇綰(とうわん)の遺体を納める複雑な陵墓が築かれた。 その後2000年間、奇跡的に盗掘を免れたこの「満城漢墓(まんじょうかんぼ)」は1960年代に発見され、その技術だけでなく、目も眩むばかりの副葬品が考古学者たちを驚かせた。夫婦の遺体は高貴な玉を金の糸でつづった「金縷玉衣(きんるぎょくい)」に包まれていた。この葬服は現在では中国最高の国宝の1つとされている。 北方の領主 劉勝の父の景帝(けいてい)は、秦に続く中国史上2番目の王朝である漢王朝(紀元前202年~後220年)の第6代皇帝だった。紀元前154年、反乱に悩まされた景帝は、劉勝を帝国北東部の辺境地域、中山(ちゅうざん)に派遣して統治させた。(参考記事:「楚の考烈王の墓
