民衆はいつも被害者だったのか? 民衆が戦乱をいかに生き延びたのかを多方面から論じた『戦乱と民衆』(磯田道史+倉本一宏+F・クレインス+呉座勇一著、講談社現代新書、8月21日発売予定)の発売に先立ち、『応仁の乱』『陰謀の日本中世史』などヒット作を連発する歴史学者・呉座勇一氏の特別エッセイを公開する。 拙著『応仁の乱』(中公新書)の予想外のヒットにより、私は何やら応仁の乱の専門家のように見られている。しかし私の本来の専門は一揆で、博士論文でも中世の一揆をテーマに据えた。 一揆を研究対象に選んだ理由はいろいろあるが、一つには一揆が戦後歴史学の花形テーマだったからである。戦後歴史学の意義と限界を見定めるためには、一揆の検討は欠かせない。 では、なぜ一揆研究は戦後歴史学の王道だったのか。それは、戦後歴史学が「階級闘争史観」に立脚していたためである。 階級闘争は共産主義の基本的な概念で、非常に単純化し