2008年03月19日04:00 カテゴリ書評/画評/品評Love 国破れて冗句あり - 書評 - 日本人の戦時下ジョーク集 「幸せだから笑うのではない。笑っているから幸せなのだ」 日本の戦時下ジョーク集 満州事変・日中戦争篇/太平洋戦争篇 早坂隆 アランの幸福論には、そう書いてある。本書のオビにも登場する言葉だが、本作はその実践、いや実戦録である。 前作、「世界の日本人ジョーク集」は、著者はおろか中公新書ラクレをも救うほどのベストセラーとなったそうだ。その様子を日垣隆はこう揶揄している。 「ガッキィファイター」2006 年12 月21 日号 また、若い貧乏系ルポライターによる『世界の日本人ジョーク集』が、その 存続すら危ぶまれていた中公新書ラクレから今年1月に出て、50万部を突破し ました。飛行機代にも事欠いていたように見える著者による起死回生の大ヒッ トです。 担当者はもとより、中公新
『インテグリティ ーコンプライアンスを超える組織論』重版出来! コンプラを変え,会社を変え,日本を変える! 検事志望の修習生と会食。『検事調書の余白』『法の涙』を読んだことがないどころか,その存在を知らないと。うむ… 15年以上前ですか,週刊朝日で連載していた頃からの愛読書。Written by 佐藤道夫。これを読んで検事を志した人も多いのでは。検事になるための必読書。同席した先輩弁護士もそう仰っていたのが嬉しい。検事ならずとも,法曹になるには必読書。国民皆読の書,とも言いたい。 検事志望のロー生,修習生の方,いやすべての法律家の卵諸氏,今すぐ,読むべき。この本を読んだことが,今の僕の財産になっている。特に刑事弁護において。 被疑者被告人,いや人間すべてに対する接し方が,きっと変わると思います。
April 18, 2009 講義の予習やテスト勉強に使う概説書・体系書 私が大学生の時、私の出身校では、いつも学期始めに、生協の書籍部では、かなりしっかり厳選された「定評ある概説書・体系書」が平積みで売られていた。しかも、学生の執筆協力を受けて生協が発行した(たしかそういうやり方だったように思う。私も何冊分か書いたことがある)、各科目ごとの、主要な概説書・体系書のガイド冊子がタダで配布されていたので、そういったものを参考にして自分で立ち読みをしながら、どの本を買うかを決めることができた。残念ながら勤務校の生協にはそういうものもなさそうなので、ひとつ、自分が使った概説書・体系書でも紹介してみようかと思う。それだけでは芸がないので、「学生時代に現実に使った本」と、「もしも自分が今学生なら使うだろう本」とを、記してみる。 *オリジナルからちょっと変えたところがあります *この記事を書いたのが2
以前、スタッフと一緒に韓国料理屋に行った時、隣に座っていた40代の女性が、韓国人のスタッフに激しくクレームをつけていました。 せまいお店に2人で来ているのに、「お皿が多いんだから、もう一つテーブルを使わせなさいよ」と言って、混んでいるのに4人掛けの席を占領する。 絶対に食べ切れないほど頼んでおいて、余ったから「お土産にして。早く」とせかす。 挙句の果てに、包むのが遅いと言って起こり出す始末。一緒にいる母親と思しき女性も、まったく口をはさめない。 その様子が同じ日本人として許せなかったので、スタッフとの会話を装いながら、こう話しました。 「なあ、ホスピタリティの日本語訳って知ってるか?」 「え、知りません」 「過保護っていうんだよ」 それを聞いて、少しやわらいだようですが、本当に最近は権利ばかりを主張する人間が増えて、困ったものです。 本日の一冊は、中央大学総合政策学部教授であり、米国(NY
http://www.azabu-jh.ed.jp/syuppan/suisentosho2008.pdf 公民・政経・倫理 屑の方が多いのでいちいちダメ出しをしてると大変なことに……。 法律・政治系では、とりあえず渡辺洋三の本はすべて却下。ごみ箱直行。 憲法入門だったらとりあえず今は樋口陽一・長谷部恭男あたりでなんとかしておくべき。あとはジュニア新書で杉原泰雄・森英樹、伊藤真。あと民法の大村敦志の本。 『レオニーの選択』はよい本だと思うがいま手に入るのか? 憲法と国家―同時代を問う (岩波新書) 作者: 樋口陽一出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1999/08/20メディア: 新書購入: 1人 クリック: 11回この商品を含むブログ (13件) を見る憲法と平和を問いなおす (ちくま新書) 作者: 長谷部恭男出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2004/04/07メディア: 新書購
December 16, 2007 名もない顔もない司法 ダニエル・H・フット(溜箭将之訳)『名もない顔もない司法』(NTT出版、2007年) これもギックリ腰病床にて読了。日米の司法制度の相違、名もない顔もない裁判官としての日本の裁判官のあり方、さらに、近年の司法制度改革がそのようなあり方を変える可能性がどこまであるかを検討する本。日米の相違や日本の裁判官の特質として語られる内容はこれまでも幾度となく語られてきたことだが、ラムザイヤー=ラスムッセンなど最新の研究が紹介されているのがうれしい。個人的には、本書の最後の、裁判員制度についての分析と予測が興味深かった。いくつか引用。 「これだけ論議を呼んだ[裁判員]制度の目的に関して、国会も最高裁判所も、簡単できわめて抽象的な説明しかしていない。しかし、新しい制度の裏にはさまざまな動機が渦巻き、それが互いに重複し、補強するかと思えば、相反して矛
日常法学教室 2009年 03月号 [雑誌]出版社/メーカー: 有斐閣発売日: 2009/02/20メディア: 雑誌 石川健治・駒村圭吾・亘理格「Mission:Alternative――連載2年を振り返って」法学教室342号(2009年3月)25-47頁を読んだ。「憲法の解釈」シリーズの完結編として,石川教授,駒村教授,亘理教授の三人による鼎談が収録されている。「憲法の解釈」シリーズの後半戦の総集編のような仕上がりになっている。 実は,以前,うちのブログで「【憲法の解釈】第13回の論評――違憲審査基準論批判の果てに」(http://ameblo.jp/tower-of-babel/entry-10084678122.html)と題するコラムで「憲法の解釈」シリーズの前半戦の総集編的な位置づけとなる対談について言及したことがある。このコラムのときは,法学教室の読み込みが足りなかったようで,
ネオ・リベラル政策(市場原理主義的な政策)は、辺境に位置する膨大な未熟練労働者を生み出すとともに、他方で刑罰を厳しく適用し(例:ニューヨークの割れ窓政策)、裁判と刑務所を効率的に活用することで、社会の安定を確保しようとするものである。いわば「貧しきは罰せよ」である。 しかし、このようなネオリベー刑罰国家は、福祉社会を解体し、また経済社会自体も変容させてしまう。この刑罰国家の誕生によって、刑務所はキャパシティ一杯の囚人たちで溢れている。そこで今度は、彼らに刑務所内労働を提供させるという思惑は、刑務所の民営化などの効率化によって行われようとしている。 だが、ヴァカンは、このような監獄の肥大化、刑罰国家のあり方は、まさに民主的な討議の対象であり、何も自然現象ではないと指摘する。 ヴァカンの指摘は強烈なネオリベへの批判を中核とするものであり、それは激しくイデオロギー性にみちているように思える。ただ
本年度のカラヤン本で個人的に一番星はコレ 証言・フルトヴェングラーかカラヤンか 川口マーン恵美 「カラヤン」「フルトヴェングラーとカラヤンの比較」本は世にあまたあり今さら取り上げる必要性はあまり感じません。しかし今回読んだ「証言・フルトヴェングラーかカラヤンか」は今までとは違う切り口で語っておりおもしろい。なにより”証言”というのが大きなみそであります。それでちょっと取り上げることとしました。 さて本書で扱っている証言で語っているのは両巨匠(もしくはカラヤンのみ)の指揮の元演奏したベルリン・フィルのメンバー。 証言はフルトヴェングラー派の権化今は亡きテーリヒェンから始まります。痛烈なカラヤン批判の中には音楽的というよりは個人的な恨みのニュアンスも感じられたりしてなまなましい。そのテーリヒェンはカラヤンに対して批判的な著書を出版して他のメンバーから怒りをかっていることが他のメンバーの証言から
かんぽの宿のエントリーには、多数のコメントを頂きありがとうございました。 すべて熟読していますが、個別にはご返事できず済みませんでした。 私が一番怖いのは、昨今の風潮の中で、専門家(あるいはエリート)の側が「どうせ素人には、上品なビジネスと下品なビジネスは区別できないのだから」と考えるようになり、素人の犠牲の上に自分だけが富を得ることに良心の呵責を感じなくなることです。 エンロンで商品先物市場を操縦していた人や、エンロンに不正会計の指南をしていたアンダーセンの会計士、ある時期以降にベア・スターンズで証券化商品を作って売りまくっていた人々は、みな、自分が他人を犠牲にしてお金儲けをしていたことを認識していたと思います。 (国内の例でいえば、パリバの事件もおそらくそうでしょう)。 私は、今のところ、かんぽの宿にそのような怪しい状況があったとは思えないのですが、野性味溢れる大臣の野性の勘だけでせっ
村上春樹のエルサレム賞の受賞スピーチが公開されている。 非常にクリスプで、ユーモラスで、そして反骨の気合の入ったよいスピーチである。 「それでも私は最終的に熟慮の末、ここに来ることを決意しました。気持ちが固まった理由の一つは、あまりに多くの人が止めたほうがいいと私に忠告したからです。他の多くの小説家たちと同じように、私もまたやりなさいといわれたことのちょうど反対のことがしたくなるのです。私は遠く距離を保っていることよりも、ここに来ることを選びました。自分の眼で見ることを選びました。」 そして、たいへん印象的な「壁と卵」の比喩に続く。 Between a high solid wall and a small egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg. Yes, no matter how r
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