ひたすら同じ場所の自販機を観察しつづける不思議なブログとして知られる「私は毎日(のように)自動販売機の写真を撮っています。こめんなさい。」。13周年を目前に、いったん更新終了することが発表されました。理由は自販機の撤去。 まさかこんな展開になるとは……(Webサイトより) 「私は毎日(のように)自動販売機の写真を撮っています。こめんなさい。」がスタートしたのは、2005年8月5日。タイトル通り、ある休業中の焼肉屋の前に設置されている自販機を日々観察するだけの内容で、記事タイトルは基本的に「変化なし」。更新しつづける意味がまったく分からないことから「超マニアックな観察ブログ」「謎のサイト」などと評されていました。 自販機本体の入れ替えに伴い、2台目、3台目と観察対象を変更しながらも記事制作を続けていましたが、2017年8月1日、ついに自販機が撤去。その後も新台が設置される気配がないことから4
by ライブドアニュース編集部 ざっくり言うと 10日の番組で室井佑月氏が、北朝鮮のICBMを迎撃する際のリスクに言及した 「日本の国土の近くでやったら破片が飛んできて、迎撃も危ない」と指摘 専門家も「命中したら(ミサイルの)破片は必ず落ちてきます」と話していた この記事を見るためには この記事はlivedoorNEWSアプリ限定です。 (アプリが無いと開けません) 各ストアにスマートフォンでアクセスし、 手順に従ってアプリをインストールしてください。 関連の最新ニュース 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 ランキング 総合 国内 政治 海外 経済 IT スポーツ 芸能 女子
一時期、やたら取り沙汰され、とにかく理屈抜きにいいもの、正しい方向として喧伝されてきていた、あの「国際化」とか「グローバル化」といったもの言い、スローガンも、さすがにもう胡散臭いものというイメージがつきまとうようになってきたかも知れません。ウクライナへのロシアの侵攻に始まった戦争、ハマスによるイスラエルに対するテロ攻撃とそれに応じたガザ地区へのイスラエルの反撃、紅海での通商破壊行為……いや、そんな海外ニュースレベルの話でなくとも、国内における外国人犯罪の増加や治安の悪化など、考えてみれば半径身の丈のごく身近な範囲から「国際化」「グローバル化」の〈リアル〉は否応なく、平等に日常に浸透してきています。そういう意味で、これまでと違った身近さ、日々の生活意識や感覚のレベルで 「世界」を意識せざるを得なくなっている。 そういう状況に対応するという意味もおそらくあるのでしょう、テレビや新聞、雑誌などで
新書も文庫も、単にその判型だけの意味にしかならなくなって、中身もまた以前とはまるで違う薄さになっちまった。薄いったって「束」のこっちゃない、中身内容もだ。「単行本」「単著」が新書と同義になってるところもあったりするから、もうこれは「本読む老害」としては、にわかに受け入れるわけにはゆかない。 それなりに功成り名を遂げた「碩学」(これももう言わなくなった)が、その知識見識見聞その他、惜しみなく駆使して、世間一般その他おおぜいの中の活字読む手癖のついちまった界隈に向けて書くのが新書だった時代の新書は、昨今古本屋の店先でもひと山いくら、いや、今や路面店開いて古本屋すら絶滅危惧種だからネット販売の画面でもヘタすら本体1円から、いくらでも拾えるようになっている。そんな中から、かつてまだこちとらケツの青かった頃の記憶を甦らせるかのように、30年もその上も昔の新書を拾い上げては持ち帰る、そんなことも遠くご
昨今、古本屋の軒先、ひと山いくらの文庫本の中に、片岡義男の作品は埋もれている。角川文庫だけでも無慮八十タイトル以上。それだけ出しまくったんだから一冊百円にしかならなくて当たり前、なのだが、それでもその中味は決してひと山いくらの代物ではない。 あの八〇年代初めの気分ってやつを、良くも悪くもとにかくきっちり反映しているブンガク――ひとまずそれが商品としての片岡義男だ。音楽だったらサザンか松任谷由実。とにかくもう当時は持っているだけでオシャレ、てなもんだった。映画にまでなった『スローなブギにしてくれ』なんてあなた、主演がまだ二十代の浅野温子でさ、髪が長くて、猫が好きで、少しわがままで、なのに何して食ってるかよくわからなくて、ってそういうとにかく「都会」で「ひとり」で生きてく姿があしらわれてる。ああ、こう書いててもこっぱずかしい。こっぱずかしいが、しかしそんな女の子ってのは当時マジに新鮮だったのだ
僕が知っている日本は、戦後からだ。しかし、社会的なつながりを多少とも持った上での体験は、高度成長の急坂の途中あたりからだ。戦前や大正、そしてそれ以前について、僕はほとんど何も知らない。 なにげに片岡義男がすごいことになってる、ってのは以前から、それも結構あちこちで言っていることだ。けれども、どういうわけか世間はあまりそうは感じていないらしい。それほど、すでに片岡義男という固有名詞は「遠い」ものになっているのか。彼の名前をもてはやした時代との距離感と共に、すでに押し流されてしまっているということなのか。 でも、彼はきちんと自分の仕事をしている。地味で目立たないけれども、着実に。90年代の後半、それこそ「失われた10年」などと言われてしまった時期の中ほどあたりから、彼は間違いなく「ニッポン」にもう一度邂逅するような道行きを始めている。知らない? だったらそれはかなり不幸だ。少なくとも、今のこの
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