長良川の戦い(ながらがわのたたかい)は、1556年(弘治2年)4月に斎藤道三とその長男・斎藤義龍との間で美濃国(現・岐阜県)の長良川にて行われた合戦である。 美濃国主・斎藤道三 道三の長男(側室の子)・斎藤義龍 合戦の原因[編集] 1542年(天文11年)名門土岐氏に替わって美濃の国主となった斎藤道三は、1554年(天文23年)に長男(庶長子)・義龍に国を譲り隠居した[注釈 1]。しかし、道三はしだいに義龍を「耄(おいぼれ)者」と考えるようになり、その弟の孫四郎と喜平次を「利口者」だからと溺愛し、三男の喜平次には「一色右兵衛大輔[1][注釈 2]」と名乗らせた。長兄の義龍を差し置いて名門一色氏の姓と官途を与え、さらに2人の弟は奢り高ぶり義龍を侮るようになったため、道三と義龍の不仲は深刻なものとなった。弘治元年(1555年)10月、義龍は病に臥せる振りをして奥[注釈 3]へと籠った。道三が自