日中戦争中、中国の経済混乱を狙って大量の偽札がつくられた旧日本陸軍の秘密研究所「登戸研究所」(川崎市)。戦後65年が過ぎ、栃木県小山市で中学教師を勤めた元研究員川津敬介さん(88)は「日本の戦時中の実態を若い世代に伝えてほしい」と、朝日新聞の取材に初めて応じた。 ――「偽札」に携わった経緯は 東京府立工芸学校(現・都立工芸高校)の「製版印刷科」で印刷技術を学んだのがきっかけです。陸軍から「印刷技術に秀でた若者が欲しい」と言われ、当時は新宿・百人町にあった「陸軍科学研究所」に17歳で入りました。 任務は偽札づくり。中国の偽札やソ連の偽パスポートを造るだけでなく、進軍先の東南アジアで、日本寄りの新政府が樹立された時に使うための紙幣の研究も行っていました。学校の美術の先生を呼び、アンコールワットの図柄などを描いてもらったりしていたんです。 ――研究所での生活は 1939年に研究所が登戸に移りまし