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  • 激レア!36代木村庄之助の相撲字 ダウンロード可 - 大相撲 : 日刊スポーツ

    大相撲行司の最高位、36代木村庄之助の山崎敏広さん(71)が、相撲字を書いて新型コロナウイルスの終息を願った。日刊スポーツの依頼に応じ、「おうちで過ごそう」「手洗い励行」「コロナに負けない」など9枚をしたためた。これらは、当社ウェブサイトからのダウンロードも可能。自宅や会社に掲示したり、スマートフォンの待ち受け画面にしたりしつつ、外出自粛の日々を乗り切りたい。 ▼ダウンロードできます ■36代木村庄之助が書いた「忍之一字」 ■36代木村庄之助が書いた「辛抱」 ■36代木村庄之助が書いた「世界平和」 ■36代木村庄之助が書いた「おうちで過ごそう」 ■36代木村庄之助が書いた「手洗い励行」 ■36代木村庄之助が書いた「コロナに負けない」 36代木村庄之助が書いた「一心」色紙=2020年4月27日(登録日) 外部提供 複写 ■36代木村庄之助が書いた「一心」 36代木村庄之助が書いた「夢」色紙=

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    mame90 2020/04/29
    辛抱辛抱
  • 大相撲中継で名実況「あ、行司が消えた」 - 大相撲裏話 - 相撲・格闘技コラム : 日刊スポーツ

    秋場所6日目、NHK大相撲中継で名実況があった。朝乃山-豪栄道戦、取組中に行司の木村玉治郎が足をもつれさせて転倒し、土俵下に落ちていった。NHKの佐藤洋之アナウンサーは、こう実況した。 「張っていきました豪栄道、もろ差し狙いだ。巻き替えた朝乃山、右四つ。豪栄道が左の前まわしを引いている。あ、行司が消えた。上手投げ~、勝ったのは朝乃山。朝乃山が勝ったんですが、玉治郎が土俵の外に吹っ飛ばされてしまいました。朝乃山、これで連日の殊勲の星です」 文字通り、玉治郎は画面中央から左へ、サッと消えた。「転倒した」「つまずいた」ではなく「消えた」と表現した言葉選びのセンス、適度に驚く抑揚、ハプニングに固執せず朝乃山の白星をたたえてフォローするなど、アナウンスの技量が凝縮され、機転が利いていた。 NHKアナウンサーの話を総合すると、実況する時は、土俵を直接見るよりも、モニターを見る方が多いという。というのも

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    mame90 2019/09/21
    消えた行事事件
  • 森英恵さん「日本にとって大きな力」浅利さん悼む - おくやみ : 日刊スポーツ

    劇団四季の元代表で、「キャッツ」「ライオンキング」のミュージカルを手掛けた演出家の浅利慶太(あさり・けいた)さんが13日午後5時33分、悪性リンパ腫のため都内の病院で亡くなった。85歳だった。 デザイナー森英恵さんのコメント ショックです。長い間、浅利さんの仕事を手伝ってきました。特に印象的なのはミラノ・スカラ座のオペラ「マダム・バタフライ」の衣装を担当したこと。オペラに対する浅利さんの厳しいけれど、一筋な姿勢が思い出されます。日の純粋な美意識を地球規模で表現された。世代を超えて楽しめるミュージカルの上演を手がけ、演ずる人、見る人とともに日文化を育てられた。日にとって大きな力でした。私の仕事人生の中で特別なものです。

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  • 投手松坂、三塁コーチ平石 98年夏の横浜PL再現 - プロ野球 : 日刊スポーツ

    高校野球ファン垂ぜんのシーンが、20年ぶりによみがえった。 松坂大輔(中日)が12ぶりに、全セの先発として球宴の舞台に戻ってきた。この場面で三塁コーチを務めたのが、平石洋介監督代行(楽天)。松坂世代の同級生で、PL学園の主将だった。 2人には因縁がある。98年夏の全国高校野球準々決勝。松坂は春夏連覇を目指す横浜のエースとして、平石は三塁コーチとして対戦した。平石は捕手小山良男(後に中日)の構えが、直球と変化球で異なることを見抜いていた。直球なら「行け行け」、変化球なら「狙え狙え」と声を出し、打者へ球種を伝達していたのだ。延長17回の死闘は、甲子園史上に残る好ゲームとして高校野球ファンの記憶に残っている。 平石監督代行は当初、三塁コーチに立つ予定はなかったという。だが松坂の登板に合わせ「ノブ(ソフトバンク松田宣浩)秋山(西武)今江(楽天=平石のPL学園の後輩)がグルになって『(全国高校野球が

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  • 恩師渡辺氏、やんちゃ坊主だった松坂の白星に感慨 - プロ野球 : 日刊スポーツ

    中日松坂大輔投手(37)が、06年西武時代以来、12年ぶりに日で勝利をつかんだ。恩師である横浜(神奈川)前監督の渡辺元智氏(73)が、松坂の思い出を語った。 現在は、恩師をもってして「大スターの松坂」といわしめるが、高校時代は監督の目を盗んで悪さをする「やんちゃ坊主」だった。当時、松坂らを恵比寿にあるジムに通わせていた。同行できないと、決まってジムから電話がかかってきた。「どこかへ遊びに行っちゃって『今日、来ていないよ』って言われて。先輩にもイタズラしたりしてね。目標は高く持っていたけど、意外とやんちゃだった」と当時を振り返り笑った。 大スターになっても監督と選手の関係は変わらなかった。3年前に渡辺氏が検査入院した際、偶然同じ病院にいた松坂が部屋を訪ねてきた。「ボソボソと話しながら直立不動でドアのところに立っていた。今も私の前では口が重くて冗談が通じない(笑い)。(捕手の)小山にしてもそ

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  • 安美錦「仲間として残念」日馬富士引退への思い語る - 大相撲 : 日刊スポーツ

    大相撲冬巡業が3日、長崎・大村市で行われ、平幕の安美錦(39=伊勢ケ浜)が暴行問題を起こして引退した弟弟子の元日馬富士関への思いを語った。 引退することをテレビやインターネットで知ったという安美錦。暴行問題発覚後、さまざまな情報が飛び交う中での引退発表に「納得できないですけど…。僕はああだこうだ言うことではない。残念は残念です。稽古場で一緒に上を目指してきた仲間として残念です」と表情を曇らせた。 弟弟子の暴行問題があった中でも、この日はほぼ満員の約4200人のファンが観戦に訪れた。「こういう状況の中でもたくさんの人に来てもらって感謝。一生懸命やっていくしかない」と言葉に力を込めた。

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  • 玉鷲が守った被災者との約束「勝ち越し」 - 大相撲裏話 - 相撲・格闘技コラム : 日刊スポーツ

    モンゴル人力士のいさかいに揺れる九州場所で、モンゴル人力士の涙を見た。11日目、東前頭筆頭の玉鷲(33=片男波)が荒鷲を下し、勝ち越しを決めた。「鷲鷲対決」を制し、支度部屋で「僕が物」と笑っていた男が、福岡・朝倉市について聞かれ、真顔になった。「約束守れて良かったです」。目は赤かった。 7月5日に発生した九州北部豪雨。朝倉市では、12時間で約900ミリという観測史上最大級の雨量を計測、31人もの犠牲者が出た。その被災地に、玉鷲のいる片男波部屋は8年前から宿舎を構える。場所前に小学校や施設を訪れ、地域イベントにも出席した。「部屋の横に山から落ちてきた木がまだあって、そこから骨が出た」と玉鷲は言う。いまだ残るがれきの山。被災者を勇気づけるどころか、悲しみと闘い、復興に燃える姿に力をもらった。行く先々で交わした約束が「勝ち越し」だった。 貴ノ岩暴行事件が起こった夜、宿舎で綾瀬はるか主演ドラマ「

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  • 稀勢の里「尊敬する横綱ばかり」3年ぶり横綱会開催 - 大相撲 : 日刊スポーツ

    大相撲の歴代横綱で構成される横綱会が2日、福岡市内のホテルで3年ぶりに開かれた。現役4横綱の他に、八角理事長(元横綱北勝海)、伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)、芝田山親方(元横綱大乃国)、武蔵川親方(元横綱武蔵丸)が参加。 初参加となった稀勢の里(31=田子ノ浦)は「非常に勉強になりました。一緒にいるだけで強くなれる気持ちになった。尊敬する横綱ばかりですから」と興奮気味に話し「来年も出席できるようにがんばりたい」と意気込んだ。 八角理事長は「現役の飲みっぷりがすごかった。さすがだなと思った」と上機嫌で「同じ苦しみとか、良いことも悪いことも知っている。共感することが多い」と先輩横綱として現役の4横綱を気遣った。

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    mame90 2017/11/12
  • 横浜・万波逆転打「元スーパー1年」復活だ/神奈川 - 高校野球 : 日刊スポーツ

    万波の季節がやってきた! 2連覇を狙う横浜(神奈川)が武相に6-4で逆転勝ちした。1点を追う8回に6番の万波中正外野手(2年)が、左翼越えの2点適時三塁打を放った。不振にあえいだ「元スーパー1年生」が、いよいよ復活の兆しだ。 照りつける太陽の下で、万波が顔をくしゃくしゃにさせた。1点を追う8回、1死二、三塁。カウント2-0からスライダーをすくった。190センチ、89キロのパワーが宿った打球は、左翼手の頭を軽々と越えた。今大会2安打目が、値千金の逆転2点適時三塁打。ベンチに戻ると仲間の手荒い祝福が待っていた。 万波 スライダーだけを狙っていた。何が何でも打ちたかった。公式戦の手厚い歓迎は久しぶりだった 5回に逆転を許した。先頭打者が四球を選び、ドラフト候補の4番増田珠外野手(3年)が「つなぐ気持ちで打つしかないと思った」と執念の右前打を放った。無死一、二塁で長南有航外野手(2年)に回った。初

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    mame90 2017/07/22
  • https://www.nikkansports.com/baseball/news/amp/1856138.html

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    mame90 2017/07/16
  • 森慎二さん42歳で急逝/西武守護神・追悼写真館 - プロ野球 : 日刊スポーツ

    西武の森慎二1軍投手コーチが28日午後0時10分に多臓器不全のため、福岡市内の病院で死去した。42歳だった。 入団会見。同期は和田一浩氏ら 西武新入団選手発表会見。会見を行った森慎二氏(手前右から2人目) (1996年12月20日撮影) 日シリーズでヤクルト相手に初登板初勝利 日シリーズ初登板初勝利を飾った西武森慎二氏(1997年10月19日撮影) ダイナミックなフォーム 森慎二氏(2002年4月1日撮影) 奇抜な髪形も話題に 長髪をなびかせながらベンチへ引き揚げる森慎二氏(2002年9月18日撮影) 後輩・松坂大輔と 練習中笑顔を見せる森慎二氏(右)と松坂大輔(2004年6月28日撮影) ポスティングでMLBへ デビルレイズの入団交渉から帰国した森慎二氏(2004年12月24日撮影) 古巣西武の投手コーチに 春季キャンプ、手を温める森慎二氏(左)(2017年2月11日撮影)

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    mame90 2017/06/29
  • 第6回大相撲総選挙 - 大相撲 : 日刊スポーツ

    日刊スポーツ新聞社主催の人気力士アンケート「第6回大相撲総選挙」は、横綱稀勢の里(30=田子ノ浦)が6連覇を成し遂げました。昨年を上回る6万3579票(ネット、ハガキ合計)の投票ありがとうございました。

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    mame90 2017/06/16
  • 元時天空告別式、師匠の時津風親方「堪えますね」 - 大相撲 : 日刊スポーツ

    1月31日に悪性リンパ腫のため37歳で死去した元小結時天空の間垣親方(名・時天空慶晃)の告別式が7日、東京・墨田区の回向院念仏堂で時津風一門葬としてしめやかに営まれた。日相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)や横綱鶴竜ら約400人が参列。正代、小柳、豊ノ島らにひつぎを担がれて出棺を見送られた。 間垣親方の兄弟子豊ノ島は「2人で約束をしました。2人っきりで飯でもいながら相撲の話をすること。(時天空の)引退の時に『時天空の分まで頑張る』と言ったこと。1つ目は果たせなかったけど、2つ目は必ず。これからも、しこ名のごとく時津風部屋を天から空から見守って下さい」と言葉を詰まらせながら弔辞を読んだ。 告別式を終えた時津風親方(元前頭時津海)は「堪えますね」とぽつり。続けて「(昨年の)9月に復帰して指導者として稽古場に毎日来てました。若い衆にしつけとかあいさつとか厳しかった。あんなに厳しく指導するや

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    mame90 2017/02/07
  • 元時天空の通夜しめやかに 八角理事長ら別れ惜しむ - 大相撲 : 日刊スポーツ

    1月31日に悪性リンパ腫のため37歳で死去した元小結時天空の間垣親方(名・時天空慶晃)の通夜が6日、東京・墨田区の回向院念仏堂で時津風一門葬としてしめやかに営まれた。一門外からも日相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)ら親方衆約30人や、横綱日馬富士ら関取衆十数人など、約500人が参列して別れを惜しんだ。 祭壇にはそんきょ姿で鋭い目線の遺影が飾られ、ほかにも化粧まわし5や、大銀杏(おおいちょう)、しこ名の木札なども飾られた。戒名はなかった。 04年春場所で新十両が一緒だった日馬富士は「土俵の上では一生懸命戦った同志だった。やりたいことがいっぱいあっただろうに…。生まれ変わったら、やり遂げていなかったことを成し遂げてほしいと祈りました」としのんだ。また、大関照ノ富士は「よくかわいがってくれました。(話しかけた言葉は)心の中にしまっておきます」と言葉少なだった。 時天空氏と同じく、モンゴル

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    mame90 2017/02/06
  • 新十両石浦、ひょっとしたらハリウッドスターだったかも - 大相撲裏話 - 格闘技コラム : 日刊スポーツ

    新十両は、ハリウッドスターになっていたかもしれない。28日に春場所(2月8日初日、大阪・ボディーメーカーコロシアム)の番付編成会議が行われ、3人の新十両昇進が決まった。都内の宮城野部屋で会見した石浦(25)は、1度は相撲人生をあきらめ、オーストラリア・アデレードへ語学留学した異色の経歴の持ち主。留学期間中には、ハリウッド映画の出演依頼を受けていたという。 父外喜義さんが監督を務める鳥取城北高を経て、日大に進学。エリート街道を歩んだが、3年次に腸を悪くして体重が10キロ以上落ちた。卒業後の12年5月に語学留学を決意してオーストラリアに渡るも、インターネット中継で同期が活躍する姿を目にして1カ月で翻意し、わずか4カ月で帰国した。 ちょうどそのころ出演依頼を受けたのが、日でも人気で屈強な体と鋭い爪を持つ「ウルヴァリン」が主人公のハリウッド映画だ。現地の相撲関係者の紹介で「日人役のエキストラで

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    mame90 2016/11/23
  • 8月15日 誉富士 - 夏の絵日記2016 - 相撲 : 日刊スポーツ

    コンテンツエリア メインコンテンツ 夏の絵日記2016 「自分を描くのって難しいですね」。誉富士関が見せてくれた絵は巡業移動中のバス内でした。音楽を聞く宝富士関の後ろで、扇子を仰ぎながら日海を眺める自分。「宝富士はそり込みが決め手。自分の絵は、どこか荒鷲関みたいになっちゃいました」と笑う、特徴をつかんだ絵日記です。 絵は、新潟県の胎内市から上越市へと向かう道中。「日海を見て、地元(青森)の鰺ケ沢を思い出しました。雰囲気が似ているなって」。幼少時代、夏と言えば「海」でした。友だちとバーベキューに出かけ、父親と一緒に潜る。「カキやサザエを捕って、岩にぶつけてその場でべる。それが面白かったんです」。 近大時代、後輩でもある宝富士ら青森出身の仲間と一緒に、県内の深浦の海に行ったことがありました。そのとき、宝富士は岩に膝をぶつけて血まみれに。以来、海に誘うと「『砂浜にしましょうね』って必ず言う

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    mame90 2016/08/15
  • 貴乃花部屋の双子力士が「初っ切り」デビュー - 大相撲 : 日刊スポーツ

    大相撲夏巡業は13日、2日連続で仙台市で開催され、巡業恒例で相撲の禁じ手を面白おかしく説明する「初っ切り」で珍しい光景がお披露目された。 貴乃花部屋の双子力士で19歳の幕下貴公俊(たかよしとし)と貴源治が、師匠の貴乃花親方(元横綱)の命を受けて初っ切りデビュー。見た目もそっくりで、まるで鏡に映したように息のあった姿を披露した。 初挑戦を終えた貴源治は「疲れました。緊張というより楽しみだったけど、20点か30点」と自己採点。初っ切りの先輩の幕下高三郷(東関)、篠原(阿武松)からは「良かったと思う。もう少し動きにキレを出して、声がお客さんに伝わるようにすればいい。今日は70点ぐらい」とねぎらわれた。 双子が初っ切りを行うのは極めてまれ。今後は双子ネタの導入も視野に入れており、貴公俊は「慣れてきたら入れたい」と意欲を見せていた。

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    mame90 2016/08/13
  • 夢と感動をくれて、生き様を教えてくれた九重親方 - 大相撲裏話 - 相撲・格闘技コラム : 日刊スポーツ

    子供のころ、大相撲が大好きだった。小学校に入学した直後も、日ごろからしこ名に親しんでいたせいか、漢字の覚えも速かった気がする。相撲がある日の夕方は、遊び場からすぐに家に帰っていた。優勝の行方が決まる千秋楽は、家族みんなでドキドキしながらテレビを見守った。 そんな小学生時代のヒーローが、千代の富士だった。筋骨隆々の体に、目が釘づけになった。豪快な上手投げや、つり出しに魅了された。苦手としていた隆の里との対戦では、いつも祈るような気持ちだった。大きな父親の腹に頭をつけ、ベルトを前みつ代わりに引きつけて、千代の富士になった気分で何度も相撲を取った。他でもない、千代の富士がいたから、相撲も好きになった。 社会人となり、ゴルフ担当だった7、8年前だっただろうか。横峯さくらの父良郎氏に誘われ、大阪市内の焼き肉屋に行った時、大横綱と初対面した。千代の富士から九重親方となり、春場所に来ていた憧れの人は、怖

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    mame90 2016/08/05
  • 九重親方「第2の千代の富士を」…高砂親方思い出す - 大相撲 : 日刊スポーツ

    現役時代のいつだったかは覚えてないけど、九州巡業で鹿児島から奄美に移動する船で、千代の富士と同室になったんだ。その時、横綱が切々と話していた言葉を、今でも覚えている。「オレは第2の千代の富士を作りたいんだ。それがオレの夢。千代の富士というしこ名を弟子に継がせたいんだ」とね。ああ、そうなんだ、そんな思いがあったのかと。同じ一門で同じ昭和30年生まれ。自分も大関朝潮を作ろうと、お互い頑張ろうと思ったね。 ところが引退後、師匠として横綱を作ったのは自分の方だった。2代目横綱千代の富士誕生の夢はかなわず、志半ばだったかもしれない。それでも最後まで、千代の富士は千代の富士だった。 最後に会ったのは、5月の夏場所初日。監察室で、あまりにも細くなった顔を見て「痩せたねえ」と声をかけたら「健康管理のためにダイエットしてるんだよ」と、今にして思えば強がって返してきた。治療してることも口に出さず、弱みを見せた

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    mame90 2016/08/01
  • 八角理事長、九重親方の死去「整理できなかった」 - 大相撲 : 日刊スポーツ

    九重親方(享年61=元横綱千代の富士、名・秋元貢)の急逝から一夜明けた8月1日、同じ九重部屋で育ち、弟弟子だった八角理事長(元横綱北勝海)が取材に応じて思い出を語った。 前日7月31日は「あまりにもショックで、コメントのしようがない」というコメントを、春日野広報部長(元関脇栃乃和歌)を通じて出した。言葉にならなかったのは「(頭が)整理できなかった」という。「(体調が)悪いとは聞いていたが、現役のころから絶対に強い、絶対に負けないと、そういう目で見ていたので、治るだろうという思いでいました。(訃報を聞いて)当なのかと。『えっ』という感じでした」と、まだ驚きを隠せずにいた。 現役時代、千代の富士に猛烈に鍛えられて横綱に上り詰めたのは有名な話。「下のころから稽古をつけてもらって、力を抜いてくれなかった、と言いますか、ありがたかった。(稽古での胸出しを)毎日やってくれて、私も弱音を吐かずに毎日

    八角理事長、九重親方の死去「整理できなかった」 - 大相撲 : 日刊スポーツ
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    mame90 2016/08/01