中国南部最大の都市、広州。雑然とした街の中で異彩を放つのが、この教会。清朝と英仏連合軍が戦ったアロー戦争の戦勝国であるフランスが、中国におけるキリスト教布教の拠点として建てたものだ。 建設が始まったのは1863年。指揮に当たったフランス人技術者と中国人大工との間で言葉が通じなかったこと、大工たちはゴシック様式の建物を建てた経験がなかったことから、工事は難航。完成までに25年もの月日を要し、1888年にようやく完成した。 目を引くのは、高さ約58メートルの2つの塔。石室とは「石造りの家」という意味で、その名の通り、壁と柱にはふんだんに花崗岩が使われている。堂内に入れば、美しいファサードや聖書のさまざまな場面を再現したステンドグラスが。 そんな異国情緒漂う教会の目の前に広がるのは、庶民が集う乾物街。まさに「下町の教会」ともいえるここは、人々の暮らしを穏やかに見守っている。 この広い地球上には、