この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2017年12月) 健児(こんでい)は、奈良時代から平安時代における地方軍事力として整備された軍団。 概要[編集] 「健児」は『日本書紀』の訓に「ちからひと」とあり、皇極天皇元年(641年)7月22日条に「乃ち健児に命(ことおお)せて、翹岐が前に相撲(すまひ)とらしむ」、天智天皇2年8月13日条の「今聞く、大日本国(おおやまとのくに)の救将(すくいのきみ)廬原君臣(いおはらのきみおみ)、健児万余(よろづあまり)を率(い)て、正に海を越えて至らむ」との記述があり、ともに「武勇者」や「兵士」の意味で用いられている。在地の武力の例としては、「近江国志何郡計帳手実」に、同郡の古市郷の人で、大友但波史吉備麻呂に関して、神亀2年(725年)及び天平元年(72