震災から5年が経とうとするある日、 1通のメールが届きました。 ちいさな縁はつながって、 福島第一原子力発電所のなかを 視察できることになりました。 約3時間の視察。 そこで、見たこと、感じたこと。 すこし長いレポートになりました。 担当は、ほぼ日の永田です。 福島第一原子力発電所がどういう存在であるかは 見る人の立場や考え方によって、 さまざまに変わってくるのだと思う。 事故のあった原子炉として語られることもあるし、 ある思想の象徴としてとらえる人もいる。 そこに好きとか嫌いとかの感情や、 是か非かみたいな主張が交ざると、 さらに複雑な見え方をすることになる。 福島第一原子力発電所は、いわば多面的な存在で、 だからこそ、それについてなにか書くときは、 なんとなく前置きや注釈を添えなければならず、 そこが、すこし、ややこしい。 昨年の11月、糸井重里と、 原子物理学者の早野龍五さんとともに
Lesson652 「誰かのせいで何かができない」と言わない自立 ー9.ネットの中の自分という他人 ネットの中の「死ね」というカキコミ、 そこにどんな心理が働いているのだろうか? 読者のサクさんは言う。 <もはや他人> 自立の話を読んで、 「自立や自分って一体なんなんだ」 と考え直したくなりました。 大学の情報社会の講義で、 先生が言っていたのですが、 人間は人と話すときに 無意識のうちに、その人との関係において、 「自分の顔」や 「自分の学歴」や 「自分の職業」などのうち、 重要なものから選び出して話をしていると (うろ覚えでちょっと自信ないんですが)。 たとえば相手が、 ただ単に通りすがりに道を聞いてきた人なら、 その人と話す自分は、 学歴がないなどのコンプレックスを感じることは ないでしょうし、 異性が相手だと、 自分の顔が気になるかもしれません。 相手と話す時に、 その相手との関係
読み方はけっこういろいろでしたねー。 続けてご紹介しましょう。 --- = 「RECボタン」は「れっくボタン」と 読むのが正解です。 ちなみに私、ヒップホップ野郎じゃないです。 レコーディング関係の仕事をしています。(k) 「REC」ボタンですが、 「レック」と読んでいました。 以前某電機メーカーで働いておりましたが、 皆ふつーに「れっくぼたん」と言っていました。 放送用の、うん千万するレコーダーを開発していた 部長さんたちも当たり前のようにそう言っていました。 疑問を持ったことも、そういえばないなぁ。 でも確かに「こう読め」といわれたことはないので、 自信はないのですが・・・・。(まるは) 録音ボタンかレコーディングボタンでしょ。 ちがうの???(Sun.I) 音楽関係の仕事をしておりますが、 「REC」は「れっく」で良いと思います。 この業界では時々「れっくして下さい」とか 使ったりし
震災からようやく1年が過ぎようとしていた 今年の3月5日、案内されて、 福島県の海沿いにあるいくつかの町を訪れた。 もう、4ヵ月以上が経ってしまった。 取材を終えた日、 見たこと、聞いたこと、感じたことを 大急ぎで原稿にまとめて、 一週間後にせまる「3月11日」に掲載しようと思った。 そうでもしないと書けない、と直感したからだ。 けれども、できなかった。 落ち着いてからゆっくりまとめよう、と、 ずっと思っていたけれど、 それもうまく運ばなかった。 何度も書きかけてやめた、 あの日の福島でのこと。 なんのきっかけがあるわけでもないけれど、 やっぱり書くことにする。 冒頭にそうでも書かないと、書きはじめられない。 2012年3月5日。 震災からようやく1年が過ぎようとしていたころ。 福島はまだまだ寒く、 雪ともみぞれともつかない冷たいものが 朝からずっと降っていた。 糸井重里がツイッターを通じ
いや、すみません、ええとですね、 ゼンリンさんの地図で ぼくの田舎のあたりを見ていたら 実家の建物の後ろに 「山口材木店」てあったんですよ。
まことに、恐れ入ります! さっそくですが、アラマタ先生といえば 「延々と本を読み続ける博覧強記」 というイメージで 一般に知れ渡っておりますが‥‥。
眠っているあいだに 閃きを与えてくれるのは、 浅い眠りの、 いわば「夢」の状態ということですね。
寝なくても、暗闇で 脳が活動するというお話で思ったのは、 お風呂のすごみについてです。 正直言って、僕はお風呂が仕事場です。
寝不足という症状は、確かにある。 睡眠量というものは、 人それぞれで決まっていて、 足りないと集中力が落ちます。 記憶力も落ちる。 定着も落ちる。 まず、それはあります。 それに、眠りが深いときに目が覚めちゃうと、 ものすごくつらい。 しばらくボーッとしますよね。 場合によっては、それで 1日のパフォーマンスが決まっちゃうこともある。 ですから、深く眠っているときに 目覚ましが鳴ると大変なことになる。
糸井重里がほぼ日の創刊時から 2011年まで連載していた、 ちょっと長めのコラムです。 「今日のダーリン」とは別に 毎週月曜日に掲載されていました。 テレビの持ってるいいところ。 2009-10-05 テレビの天下は終わりつつある。 そういう時代になっているのは、よくわかる。 広告が減っているのは一目瞭然だし、 その制作の予算も減っているらしい。 テレビに向かってやってくる「お金」の流れが 減っているということだ。 だけど、衰退していると思われているときには、 なんでも「だめ」に見えちゃったりするものだから、 逆に、こういうときにこそ、 「いいところ」を、ちゃんと探しておくほうがいい。 「お金」が集まらなくなったら、 たしかにパワーは減衰するかもしれないけれど、 量的な「ちから」でないもので、 減らない「いいところ」というものが あるはずだと思うのだ。 なんてことをいつも考えていたわけじゃ
今日はお越しいただいて ありがとうございます。 「ほぼ日」で、ぼくはいろんな方と 対談してるんですが、 あんがい、女性は少なめなんですよ。
糸井重里がほぼ日の創刊時から 2011年まで連載していた、 ちょっと長めのコラムです。 「今日のダーリン」とは別に 毎週月曜日に掲載されていました。 パシリ考。 2009-05-11 パシリ、というのは、 「使いっぱしり」を略した俗語だと思う。 それしか考えようがないから、そうだろう。 パシリといえば、たいていの人は、 なんの意味だかわかっているらしい。 弱い立場で、じぶんより強い人たちのお使いを やらせられている者のことだ。 それで正しいと思う。 実は、ぼくはこのことばを、知らなかったのだ。 実際に、パシリになるやつや、 パシリをさせるやつというのに、 会ったことがなかった。 有名な「パン買ってこいよ」というようなセリフは、 コントのなかで知っているだけだ。 ぼくの思い出の中では、 パンは、みんな、じぶんで買いに行っていた。 あるいは、みんなの分を買いに行くことを 引き受けるやつはいたけ
糸井重里がほぼ日の創刊時から 2011年まで連載していた、 ちょっと長めのコラムです。 「今日のダーリン」とは別に 毎週月曜日に掲載されていました。 テレビの世界のお約束と、ブラッド・ピット。 2009-02-23 いやぁ、偶然に、いいものを見た。 テレビ番組なんだけどね、 NHK教育テレビでやっている『英語でしゃべらナイト』。 どういうわけか、たまにぼくは見てたんだよ。 まぁ正直に言って、勉強してるというよりは、 ながめていたという感じだったんだけどね。 こないだは、オバマ大統領の演説をテキストにして、 番組を進行していた。 これも、とてもおもしろかった。 「ほぼ日」でも、冷泉彰彦さんといっしょに、 同じテーマでやったものだから、 切り口のちがいも含めて、とてもたのしめた。 で、いいものを見た、というのはその回じゃないの。 2月16日にオンエアされた 「世界のアナウンサー」のしゃべる英語
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く