『「天下りあっ旋問題」ブログは世論を作り出すことが出来るのか』というエントリーに対して finalventさんから 脊髄反射的に言うと、くだらなすぎる。 脊髄反射的に言うと、大きな間違いだと思う。 ブロガーがどのように発言しても社会参加を意味している。 と指摘されました。「大きな間違いである」と言った瞬間にそれはfinalvenさんの正義を私に押し付けているに過ぎないのではないでしょうか(コメント欄を見る限り、finalventさんはそれは承知でしょうが、そうであれば少し言葉が足りない気がします)。 この種のバトンが「くだらない」と嫌気がさす人もいれば、「有意義だ」と思う人もいる。私は、あらゆるブロガーがこのような政治へのあからさまな関与を行う「べき」だと主張しているわけでもありませんし、それを批判するブロガーが間違っているとも思いません。人の考えはさまざまですから、「正義」もまた相対的な
昨日のエントリ*1の続きになります。一応形として 目次(http://b.hatena.ne.jp/entry/774900) A〜Zまでの頭文字ごろのページ ユーザのページ となってます。で、各ユーザのページは各ユーザがそれぞれで用意してもらった方が良さそうだなぁと。早い話、各ブクマページをエントリ化してもらう。例としては http://b.hatena.ne.jp/entry/http://b.hatena.ne.jp/crowdeer/ みたいなページを作ってくれればいい。 あとはリストに貼り付けて...となる。今の所、私個人のしか無いので、"目次->Cで始まる〜->id crowdeer"のルートしかない。勝手に作っていいのなら手当たり次第でやってくけど。 はてなにログインしてから各ブクマエントリページ(例えば上に記載したような物)を見てもらうとわかるけど、編集者と履歴が残る。つま
連想で⇒green - 年齢 私は来年50歳になる。 心はあまり歳を取らない、じゃなくて取れないというのがある話は以前した。 では心は若いかというとこれは微妙。心が若さと同定しているのは私の若い時代と私のある劇場的ななにかであって、つまり、若さとそのもの(身体性)とか昔の時代の若さであって、それは今の時代の若さからすると古いなにか。 ただ、さすがに、自分の言動が年寄りめいてきたなというのある。 言葉では、というか、言葉の裏で動かす感性は、たぶん私には私の若さがあるのだろうが、今の若さではないので、そこはどうごまかしてもムリがある。finalvent、爺、はまさにそうだろう。ただ、自覚的な部分もあるから、そこは多少見せかけを替えることはできるかもしれないが、そうするメリットがない←という発想が爺めいている。 で、と。 22歳くらいのころなんかの間違いをしてたら子供がいたかもしれないとすると、
人脈は資産ではあるけれど 私は時々、ノートの貸し借りはむしろ自由に行うように、学生さんをけしかけています。昔の大学生は単に遊んでいたのではありません。それなりに人のネットワークを作ってノートを確保し、土壇場の一夜漬けであっても日ごろの不勉強を取り返す算段を整えてから遊んでいました。講義内容と全然関係のないことが書いてある答案を見るたびに、最近の学生さんはどうも人付き合いが苦手らしいと思っていました。 ところが、どうももう少し根が深いらしい、と思い始めたのは最近のことです。 バスに乗り合わせた学生さんが、見も知らない学生から一方的にノートを写させてくれと頼まれて、困惑すると同時に腹が立っている、とこぼしていました。詳しい状況はわかりませんが、これはやはり頼むほうに無理があるでしょう。ギブ・アンド・テークの欠けた頼み方に無理があるともいえるし、学期末になるまで人間関係を確保しなかったところに問
大学に後ろ向きなあなたへ 大学は、本来、人を教育するところです。ところが長いこと、大学とは優秀な人間を送り出すところだと思われてきました。 この違いがお分かりでしょうか。優秀な人間を送り出す、もっとも手っ取り早い方法は、最初から優秀な人間を集めてくることです。大学の教育によって優秀な人間を作るということは、難しいことです。大学の資源が限られているだけでなく、学生の生活に対して大学の口をはさめることは限られているからです。学生の自主性に待つ、といえば聞こえはよいのですが、自分で育つ学生をどれだけ多く抱えているかで大学の卒業生の評価が決まる、というのが、長い間日本の大学の実態であったと思います。もちろんこれは、どのグループにもぐりこめるか、という入り口での激しい受験戦争と表裏一体になっています。 ところが最近、社会の雲行きが変わってきました。少子化による大学のダブツキがそのきっかけになったのは
「Life is beautiful」の中嶋聡さんが「天下りあっ旋全廃に反対したらもう自民党には票を投じない」というバトンを提唱しています。 12月7日に開かれた経済財政諮問会議で、日本経団連の御手洗会長ら民間儀意が中央省庁の公務員の天下りのあっ旋を禁止するように提言したことに対して閣僚から反発が出たと言うニュースについて。インセンティブの与え方が間違っていて、官僚のあり方を変えて説明し国民を納得させることが可能だとして、「天下り全廃」に反対した閣僚に苦言を呈している。「自民党には票を投じない」との主張をブログで集めることで、公務員制度改革を後押ししようと言う試みです。 同会議のHPで公開されている大田大臣の記者会見でも「一番議論が分かれた」として紹介されています(議事録は10日時点では公開されていませんが、そのうち公開されるようです)。会見の一部を抜粋すると… 権限と予算の押し付け的あっ
台湾だからと勘ぐるわけではないがこの話は案外複雑かもしれない。 執筆子は半導体のことがよくわかってないみたいだが、というか、半導体は物作りという側面とソフトウェア産業という両面がある。後者が台湾系の華僑が強い。ちょっと現場を離れたのでなんだが、現在のCPUは華僑が設計しているのではなかったか。 日本人はなにか物作りということで勘違いしているみたいだが、半導体などはすでにソフトウェア技術の側面が強く、しかもその技術を支えるのはきちんとした工学の学習体系なのだ。 十年くらい前だったが、大学の工学部だったかの論理設計の課程をちょっと覗いてみて、あれま、これでラッチの設計からアキュムレーターの設計とかできるようになるのかいなと思ったことがある。まあ、そのレベルはすでに機能設計なのでどうでもいいといえばそうなのかもしれないが、半導体のテクノロジーとの関連ではどうしてもべたな技術が出てくる(効率的なN
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