MIYADAI.com Blog (Archive) > 本日(12.02.13)グリーンアクティブ記者会見(議員会館)でのアピール文 « 年末恒例の「渡辺靖×苅部直×宮台」鼎談、まもなく『週刊読書人』に! | 本日(12.02.13)グリーンアクティブ記者会見(議員会館)でのアピール文 » ──────────────────────── 「グリーンアクティブ」に関する宮台真司のアピール ──────────────────────── 日本はいまだに民主主義の社会ではない。 民主主義を獲得するには政治文化の以下のような改革が必要だ。 〈任せて文句たれる社会〉から〈引き受けて考える社会〉へ 〈空気に縛られる社会〉 から 〈知識を尊重する社会〉へ 日本は非民主主義的な政治文化を背景に官僚天国になった。 官僚天国を抑止できない政治文化が日本をでたらめにした。 他の先進国に比べて公務員数が少な
MIYADAI.com Blog (Archive) > 年末恒例の「渡辺靖×苅部直×宮台」鼎談、まもなく『週刊読書人』に! « 第9回尾崎咢堂杯演説大会(11月13日開催)を告知いたします | 本日(12.02.13)グリーンアクティブ記者会見(議員会館)でのアピール文 » 皆さんお待ちかね、年末恒例の「渡辺靖×苅部直×宮台」鼎談が『週刊読書人』に間もなく掲載されます。例によって宮台発言の一部をピックアップしておきます。 〜〜 【宮台】震災前に書いた拙論「日本社会の再設計に必要な思考」が、震災直後に出た『朝日ジャーナル』(特集・日本破壊計画)に載りました。日本は既に終っているから再設計せよという話。当時は菅政権が末期状態でしたが、政治的混乱の原因を(1)総理の資質、(2)党の性格、(3)政治文化のどれかに帰属させる議論が専らだった中、(4)先進各国の共通の危機に起因すると考えろと論じた。
「個人化」の不安 日本にも 社会学者ベック氏、初来日(1/2ページ)2010年11月11日15時41分 Ulrich Beck バンベルク大学教授などを経て、1992年、ミュンヘン大学教授に。リスク社会、コスモポリタン化などの分析概念を提示し、広く影響を与えた。邦訳された著書に『ナショナリズムの超克』、共著『再帰的近代化』など。 「リスク社会」などのユニークな分析概念を提示したことで知られるドイツの社会学者ウルリッヒ・ベック氏(66)が、初めて来日した。1986年、チェルノブイリ事故がもたらした衝撃下で世界的なリスクの登場に警鐘を鳴らしてから、間もなく四半世紀。日本に降り立った世界的研究者は、アジアをも巻き込む「個人化」の深化に注意を促した。 ■リスク社会化と同時進行 産業化が「成功」した結果として、原発事故に象徴されるような、予測することも保障することも不可能な世界的リスクが登場してきた
「書評 社会の歴史(ポール・ピアソン著,粕谷祐子監訳『ポリティクス・イン・タイム』勁草書房2010)」 歴史社会学は社会学の一大トピックでありつづけている。社会を理解するうえで歴史をどのように位置づけるかという問題は、ヴェーバー社会学の問いでもあった(小路田他[2009],折原[2010])。また、『社会学評論』と『ソシオロジ』の掲載論文における方法論の比率を年次比較した太郎丸博らの研究によれば、歴史社会学は1960年代から70年代に一度盛り下がったものの、計量分析と入れ替わるかたちで1980年代以降に「再度」用いられるようになってきた方法である(太郎丸他[2009])。歴史社会学はいまだフロンティアでありつづけている(cf.筒井編[1994:1])。 さて、このような状況の中で、ピアソン『ポリティクス・イン・タイム』が翻訳された。この本は「ポリティカル・サイエンス・クラシック」という政治
信頼 信頼(しんらい)については、以下で解説。 信頼(のぶより)は、日本人の人名の一つ。藤原信頼など。 信頼(しんらい)とは、相手や対象に対し自分の期待した通りの結果が帰ってくることが信じられること。どれだけ信じられるかの定量的度合いを信頼性や信頼度という。 社会学・社会心理学・心理学における信頼[編集] 乳児期・幼児期の発達課題に、信頼の獲得があり、これに失敗すると、生涯他者を信用することを躊躇するという。 社会学者ニクラス・ルーマンが自著で、信頼概念の社会学的分析の必要性を訴えた後、アンソニー・ギデンズや社会心理学者たちの研究が増加した。現在リスク研究などの分野でも、信頼は重要な分析概念である。 社会心理学者山岸俊男は『信頼の構造』(1998年)で、「相手が自分を搾取[注 1]しようとする意図をもっていないという期待」のうち、相手が自分を搾取しようとすることが相手自身にとっての不利益に
成熟社会においては、経済的資本や文化的資本をいくら所有していても、人間は幸福になれない仕組みになっている。この社会では、社会関係資本(人脈・友人関係など)こそが決定的な幸福格差をつくる。社会関係資本の産出・使用には、コミュニケーション能力が必要となる。 コミュニケーション能力とは、場の空気(状況)を読み、他者を理解し、正確に自身の意思を伝え、他者を動かすことで、コミュニケーションを連接させていく能力のことを指す。このような能力に長けたものが、いつでも頼ることができる人間関係を構築し、成熟社会の勝者となる。 残念ながらコミュニケーション能力の差によって排除されることは社会責任にすることはできない。例えば、結婚できないことや恋人ができないことは、自己責任だと思われている。社会が悪いから俺は恋人ができないという言葉に共感する者はほとんどいないだろう。それと同じで、俺を雇ってくれないのは社会のせい
阿部真大という社会学者がいる。「居場所の社会学」という若者論を書いている。興味のある点は、居場所の社会学が独自の幸福観に準拠していることである。それは、居場所のない人間は生き辛さを感じ、不幸であり、居場所のある人間は幸福であるという思想である。この幸福観は、人間科学的に何ら実証的根拠をもつものではないが、阿部真大氏の個人の社会体験に根付いた貴重な思想なのである。 阿部氏は、居場所がある人間は幸福であるという思想に基づき、家庭、職場、学校、地域社会、サークル、仲間集団、恋愛など、あらゆる社会的領域を人々の居場所にすることで、社会全体がよくなると考えている。 ただし、各社会集団が人々の居場所となっても、それがイコール各社会集団の社会的機能遂行に直結するとは限らない。この点は、保留しておきたい。 これまでの社会学の分析概念から居場所という概念に近い概念を考えてみたい。社会学者ハーバーマスが準拠す
アンソニー・ギデンズ(松尾精文・小幡正敏訳)『近代とはいかなる時代か?──モダニティの帰結』而立書房、1993年 ここのところ色々と面倒くさいので、前回同様に箇条書きメモです。ギデンズの議論は、“脱~”→“再~”という循環性の中で錯綜する状況を捉え返していこうとするところに特徴がありますね。 脱埋め込み ・時間と空間の均質化・分離→個人一人一人の活動が地域ごとの特定の脈絡に「埋め込まれていた」状態から解き放たれる→無限に拡大された時空間の中で社会関係を再構築。 ・抽象的システム・専門家システムへの“信仰”(なぜ飛行機が飛ぶのかという原理を知らなくても、我々は飛行機を利用する)や貨幣(時間・空間の括弧入れ)→時空間拡大の手段 再帰性 ・「再帰性は、システムの再生産の基盤そのもののなかに入り込み、その結果、思考と行為とはつねに互いに反照し合うようになる。日常生活で確立された型にはまった行いは、
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