湛然〈たんねん=妙楽大師〉が「礼楽(れいがく)前(さ)きに駆(は)せて真道(しんどう)後(のち)に啓(ひら)く」と『止観輔行伝弘決』(しかんぶぎょうでんぐけつ)に書いている。 簡単にいえば、礼節や音楽が先に広まってから後に正しい哲学が花開くといった意味だ。礼楽を重んじるのは儒家の教えである。仏教はインドから中国に広まった。人や物の交流から文化も伝わったことだろう。武ではなく文をもって化するのは、今風の言葉でいえばソフトパワーということになろう。 中国には「名を正す」という思想があった。 管子は「名を正す」と言い、孔子は「名を正す」と言った。また、『荀子』やわが国の山県大弐の『柳子新論』には正名篇がある。 古来、中国においては修身・治国・平天下の根本思想として、この「名を正す」という考えがあった。「名を正す」ということは、君子たるものが必ず先ずやらなければならない最重要課題であったのである。