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文章に関するmasarin-mのブックマーク (9)

  • Goodbye - バンビのあくび

    4月1日から働き始める息子が今日家を出た。 2ヶ月程度前から部屋を綺麗に片付けるよう伝えていたのだが「まだ大丈夫。絶対やる」の言葉を繰り返し、作業が一向に進んでいる様子がなかった。致し方なく、再度声をかけると苛ついた様子であったので、しばらく放っておいた。 結局、息子が片づけを始めたのは3月30日の夜であった。夜通し片づけをし、家を出たのは3月31日の午前11時前だった。息子人はオールで片づけをし、やってやった感があったかもしれないが実際はまったく片付いていなかった。計画性のなさに呆れながら、ここからしばらく毎日少しずつ片づけをするであろう私の未来を嘆いた。 大荷物を持った息子を駅まで送り、お互いに軽く手をあげて別れた。見た目には1日出張へ行く程度の別れに思えたであろう。 実際、私はそこまでの悲しさや寂しさを持っていなかった。「門出なのだから笑ってさよならしようよ」ってことでもなかった。

    Goodbye - バンビのあくび
    masarin-m
    masarin-m 2024/04/15
    ふむ。失ったものと得たものと、失ったものにとらわれず、得たものが再びなくなることに頓着しない。そんな人生が送れるわけもなく。明日はいいことあるさ。
  • 第四話 「会社を辞めた日のこと」~ Revolution 9④ - 人生で迷っている人たちの短編集(まさりん) - カクヨム

    貧血が少し収まった。ふらつきは少し緩和された。 だが、頭のなかで「ナンバーナイン」の声は続いている。 全身が梅雨の小糠雨(こぬかあめ)で濡れそぼっていた。 道路にひっくり返っていた傘を拾った。 このままだとさすがに風邪を引くと思った。 やがて駅の前にあるロータリーに差し掛かった。老人のようにゆっくりと歩いていたからか、やたら時間がかかった気がした。時間がかかったせいで、濡れそぼった身体はすっかり冷え切って、少し前から首や肩に悪寒(おかん)が走っていた。このままでは確実に風邪を引く、そんな予感がした。 ロータリーの上空には巨大な歩道橋が架かっていた。歩道橋を使うとロータリーをぐるりと回らなくても、JRの駅舎と、私鉄の駅とデパートを兼ねた建物にまっすぐ行ける。歩道橋の下に緑色の車体のタクシーが何台も停まっていた。平日の昼前にタクシーを使う人間はそれほどいないのだろうか。元々雨雲が空にかかってい

    第四話 「会社を辞めた日のこと」~ Revolution 9④ - 人生で迷っている人たちの短編集(まさりん) - カクヨム
  • 第2話 「雑踏」3 - 人生で迷っている人たちの短編集(まさりん) - カクヨム

    やがて僕たちの短い旅の目的地の前に到着した。山野楽器である。ここでシホがナカムラにギターを買い、ついでにイルミネーションでも見ようとここまでやってきた。CD売り場である一階を尻目に四階のギター売り場へとエスカレーターに乗った。エスカレーターは片道で、帰るときは階段を降りなければならない構造になっていた。 四階に着く。エスカレーターの終点はフロアの中央に位置している。僕たち三人は、クラシックギターやアコースティックギターを眺めつつ、手前奥にある、エレキギター売り場へと向かう。 売り場の奥から、ギターをチューニングするハーモニクスの音が聞こえた。壁際にある通路の手前の床には所狭(ところせま)しとエレキギターとベースが並んでいる。壁と中央にはガラスのショーケースが並ぶ。床に立っているのは比較的廉価なギターだ。ケースのなかには数十万円のギターが並んでいる。奥では五十歳くらいの中年男性による試奏(し

    第2話 「雑踏」3 - 人生で迷っている人たちの短編集(まさりん) - カクヨム
  • フィクションの薄暗い欲求を現実に持ち込まないために - libsy

    おそらくは誰でも、可哀想なものや倫理規範に反するものへの薄暗い興味を持っていると思います。私も作品で悲壮な場面は書きますし、それは悲壮な状況に関心があるから書いています。ただ、自分で可哀想なものを書くときには、悲壮感をフェティッシュで片付けないようにしています。 これに関しては精神論めいた結論になってしまいますが、興味(またはフェチ「萌え」)を持つからには「当事者意識を持たなければならない」と考えています。 たとえば現実で合意のない暴力(ネットスラングで「リョナ[1]」)を振るってはいけないのは当然です。しかし、フィクションのリョナを読者として楽しむときも、「現実では望まない暴力をうけて苦しんでいる存在がある」ことの自覚は忘れない方が良いと思うのです。 性暴力の被害者が、自分が受けた暴力について思い出されたり、性暴力を肯定する作品を見て傷つくことを「セカンドレイプ」といいます。[2] たぶ

    フィクションの薄暗い欲求を現実に持ち込まないために - libsy
  • ネット的な文章ーー十分日記145 - 今日の十分日記

    語が大きく変化した時期がいくつかある。 有名なのはもちろん近代化、明治維新の前後である。 文学がもっとも変わったのだが、文語体から口語体になった。いつも使っている平易な言葉で表現するようになった。夏目漱石は口語体で書くことが多いが、森鴎外は口語体でも書く。 国民全員が使える共通語を半ば強引に作った。その当時、その共通語で話している人はいなかった。東京の人でも共通語で話していなかったらしい。大阪の人が、東京の人が話す言葉を半ば嘲るために「東京弁」と表現するが、当たっている。 明治維新より昔、大きな変化があったのは平安時代から鎌倉時代だ。 他の時代にあったかもしれないが、私は知らない。 平安時代の言葉、文字は、京都の貴族が使っていたもので、一部の人間だ。 それから武士の時代になり、貴族の時代よりも簡略化された表現をしないと、武士には使えない言語をは次第に廃れて行かざるをえなかった。劇的に変

    ネット的な文章ーー十分日記145 - 今日の十分日記
    masarin-m
    masarin-m 2018/03/21
    ネットにも美しい文章の書き方があると思うのだが。自然とそうなっていくといいなあ。
  • 短編小説ーー十分日記138 - 今日の十分日記

    例によって短編小説を書いた。「短編小説の集い」のお題では無いので、字数は「同じくらい」という緩さで書いた。 小説を書くときに使用するというのはチャレンジしていないが、ブログの記事を書くときによく「音声入力」、「音声認識」を利用する。下書きなどそれで行うと非常にスピーディに文章を作成できる。 音声入力系の機能は、アップル系ならSiri、マイクロソフトならコルタナ、グーグル系ならグーグルが処理している。処理と同時に多くのサンプルを得ているのだろう。 これらのソフト、私が使うのは軒並み精度が低い。特にマイクなしのノートパソコンでコルタナという組み合わせが一番最悪だ。Siriでも精度が低い。 「きっと不良品をつかまされたのだ」 とはじめ思っていたのだが、原因はここのところの慢性的な鼻炎にあった。鼻づまりの声は認識精度が著しく落ちるのである。 今回の課題は「monogatary.com」というサイト

    短編小説ーー十分日記138 - 今日の十分日記
  • 電気仕掛けのペットロス|まささん

    店は「雪の下」といった。大通りと土産物屋が立ち並ぶ通りに挟まれた場所に立っていた。 ふたつの通りは観光客が一年中あふれている。並んでいるべ物屋も、古い店はそれなりの価格設定になっている。だが、新しい店や通りから奥に引っ込んだ店は、それなりにリーズナブルな価格になっている。店によっては、リーズナブルな店の倍の金額を取る店もある。 舞が初めてこの店に来たころ、彼女はこのあたりで働きたくて、働き口を探していた。母親のいる老人ホームがこのあたりにあるからだ。舞の母親は、クセのある母親らしく、最後死ぬときはこのあたりが良いと言い張って、勝手に老人ホームに入所した。もちろん、費用は舞が持った。急に言い出すので、夫が死ぬときに残した生命保険は使い果たした。日の慣習的に、老人ホームに入ったからといって、全く放っておくわけにはいかない。我ながらため息が増えたと思うのだが、断ち切れぬものは断ち切れぬものと

    電気仕掛けのペットロス|まささん
    masarin-m
    masarin-m 2018/03/01
    新作小説。本当は先月分として出したかったけど、一日遅刻。外国人が多く訪れる喫茶店。未來のペットロスのお話、
  • 煮詰まりーー十分日記137 - 今日の十分日記

    お題に「ニャン・ニャン」というのがあって、下ネタを書くお題かと思った。もう一個ニャンが加わり、2,2,2。つまり、の日というわけだ。 どうでもいい。 今、短編小説を例によって書いている。 締め切りは今日。しかし、「短編小説の集い」はストップしているので、自主課題だ。 そして煮詰まっている。 気分転換にブログ記事を書いて、ジョギングに行こうと思っている。 煮詰まっているといっても、アイデアやイメージはあるのである。ないと書き出すことすらできない。そうでなく、書けないのである。気分が乗らない、といった感じか。こういう気分はブログを書き続けている同好の士はおわかりだろう。 こういう煮詰まりがあるとき、ブログならばやる作業は一つ。 それは期待値を下げる、ハードルを下げることが一番効果がある。 長い文章を書かない。展開を考えない(書きたいところでいきなりぶった切る)。もてようと思わない。 これが三

    煮詰まりーー十分日記137 - 今日の十分日記
    masarin-m
    masarin-m 2018/02/28
    今日、明日中には出す。
  • 最後は大抵つまらない - 意味をあたえる

    文章の話だが書いていてラストが数パターンしかないことを意識することがある あるいは新たな気づきを書いているようで最後の段になると前にも主張したこと自分がよく言っていることにおさまってしまうということがある どれもこれも「終わり」を意識するからである 会社でメールを書く機会が増え早い段階で「よろしくお願いします」を辞書登録した「よろ」で出る 繰り返す言葉なので登録するのは効率が見込めるが端的に考えてバカである どうしてこんなことをいちいち書かなければならないのか・挨拶みたいなものだという考えもあるがそう考えると仕事に挨拶もいらない気がしてくる 挨拶もしたくないくらい嫌いな人もいるから したい人だけすればいいのだ 少なくともメールはいらないことは確実に言える いらない理由は決まりきっていてわざわざ読むまでもないことだがメールに限らず文章は流れを意識すると最後をきれいにしめるという意識が働いてワ

    最後は大抵つまらない - 意味をあたえる
    masarin-m
    masarin-m 2018/02/24
    確かに、そっちのが面白い。
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