1940年代、第2次世界大戦下の激動の時代を舞台にしたスパイの暗躍を、トニー・レオン、ワン・イーボーという中華圏の新旧スターの共演で描く『無名』(公開中)。物語が繰り広げられる上海といえば、歴史的背景から多様な文化が入り乱れる“魔都”と呼ばれる都市。当時の上海でも様々な勢力がしのぎを削っており、背景を知らないと飲み込みづらい部分も多いので、ここで簡単に説明していきたい。 裏切り者は誰…?陰謀が絡み合うスパイ合戦を描く『無名』【写真を見る】数々のスパイ映画の舞台となった魅惑の“魔都”上海(『無名』)Copyright2023[c] Bona Film Group Company Limited All Rights Reserved 上海を舞台に約8年間にわたるスパイたちの活動が、過去と現在を行き来するトリッキーな時系列で描かれる本作。中華民国・汪兆銘政権の政治保衛部に勤めるフー(トニー・レ
イントロダクション 第二次大戦後、戦争捕虜としてシベリア(旧ソ連全土)・モンゴルに57万5千人が抑留され、5万5千人以上の人が亡くなった。だが、樺太などの地域に残った民間人で、戦争捕虜としてではなく謂れのない罪でソ連当局に逮捕され、強制労働を強いられる政治犯収容所や、広大なソ連の僻地で行方不明になった人は2千人以上存在すると言われる。その中で、カザフスタンに送られた人数はかなり多くいたものと思われるが、日本政府が把握できたのはたったの18名。しかも、ソ連崩壊の時まで生き残ったのはわずか4人だった。その4人のうち、阿彦哲郎(あひこてつろう)と三浦正雄の物語を映画化したのが『阿彦哲郎物語 戦争の囚われ人』と『ちっちゃいサムライ 三浦正雄の子供時代』である。阿彦哲郎は2020年6月にカザフで、三浦正雄は2022年1月に北海道で亡くなっているが、いま改めて「民間人抑留者」である彼らの存在を知ること
■2023.10/28(土)〜 横浜 シネマ ジャック&ベティにてロードショー! ■2023.11/18(土)〜 名古屋 シネマスコーレ にてロードショー! ■2023.11/17(金)〜 岡山県 円結 marumusubi にてロードショー 「ロスト マンチュリア サマン」の金大偉 監督が 再び中国東北を訪ね、残存する最後のサマン儀式を巡る 満洲シャーマニズムの深淵を探求するドキュメンタリー <上映スケジュール> ■2023.10.28(土) 〜11/10(金) 横浜 シネマ ジャック&ベティ ◉10/28(土) ~11/3 (金) 12:10~ ◉ 11/4 (土) ~ 11/10(金) 15:25~ <初日他にて舞台挨拶+ミニトークあり> 関東エリア 年内ラスト上映!お見逃しなく! 10/28(土):黒川五郎(哲学者、茶道家) 金 大偉(監督) 10/29(日):
コンテンツブロックが有効であることを検知しました。 このサイトを利用するには、コンテンツブロック機能(広告ブロック機能を持つ拡張機能等)を無効にしてページを再読み込みしてください。 ✕
出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2020年6月) 三船殉難事件(さんせんじゅんなんじけん)は、第二次世界大戦終戦後の1945年(昭和20年)8月22日、北海道留萌沖の海上で樺太からの疎開者を主体とする日本の緊急疎開船3隻(小笠原丸、第二号新興丸、泰東丸)がソ連軍の潜水艦(L-12号・L-19号)からの攻撃を受け、小笠原丸と泰東丸が沈没して1,708名以上が犠牲となった事件を指す[1]。三船遭難事件とも呼ばれる[2][3]。 樺太からの疎開[編集] ソ連は8月8日深夜、対日宣戦布告し、満洲、朝鮮、南樺太に侵攻した[4]。1945年(昭和20年)8月15日に、大日本帝国政府はポツダム宣言を受諾し、降伏文書への調印意思を連合国へ通達、翌日には各軍への停戦命令の布告および武装解除を進めさせた。これに
王希天(おう きてん、英語:Wang Xitian、ワン・シテイエン、1896年8月5日 - 1923年9月12日)は中国人の社会運動家、宗教家。関東大震災の直後、陸軍により殺害された。 略歴[編集] 満洲吉林省長春出身。鉱山主の長男として生まれる。キリスト教徒。 1917年頃、周恩来などと同じ頃に日本に留学[1]。1917年、一高特設予科に入学。寮では横田正俊らと同室であった[2]。1919年5月、五四運動を受けて東京で行われたデモのリーダーの一人として警察にマークされるようになる[3]。同年9月、八高に入学[4]するが、東京の中華美以(メソジスト)教会の牧師が帰国したため、1921年に上京、教会の代理牧師となった[5]。 中華YMCA[6]の幹事も務め、将来を嘱望される存在で、中国人労働者が多く住んでいた東京府南葛飾郡大島町(現在の東京都江東区大島)に中国人救済組織、僑日共済会を結成し
2023年4月、アジア経済研究所図書館(以下、当館と略)のデジタルアーカイブの一部が装いを新たにした。新規デジタルアーカイブを公開したわけではないために特段周知することもなく、ひっそりとした改訂である。加えて、デジタルアーカイブ「戦前・戦中期日本関係機関資料」(以下、「戦前・戦中期」と略)にはこの数年で「南満洲鉄道株式会社」(以下、満鉄と略)関連の新規資料が掲載されている。そこで本コラムでは、満鉄関連の資料2点を紹介し、改訂版のデジタルアーカイブの使い方についても簡単に述べることにしたい。 ここで紹介するのは、『滿洲事變ニ於ケル鄭通線被害實景』と『會社實態調書』(以下では基本的に常用漢字を用いて表記)である。これらはともに、旧満鉄社員を中心とした財団法人満鉄会(1946~2016年)から当館に寄贈された(ただし、寄贈された時期は異なる)。 (1)『満洲事変ニ於ケル鄭通線被害実景』 本資料は
ケタ外れのパシナ型終戦直後、大連へ進駐してきたソ連(当時)や中国の鉄道関係者は『キング・オブ・ロコモ(機関車王)』と呼ばれた男を探していた。世界に衝撃を与えた満鉄の超特急「あじあ」のパシナ型蒸気機関車を設計した中心人物である。 吉野信太郎(のぶたろう)。満鉄工作課機関車係主任、工作課長、大連工場長を歴任し、満鉄が作った機関車十数種に携わった名技術者だ。 そのころすでに病身であり、昭和21(1946)年10月には、肝硬変のため50歳の若さで亡くなってしまう。大連から内地(日本)への引き揚げが始まる直前のことであった。 パシナ型機関車はあらゆる面でケタ外れだった。まずは巨大さ。最高時速130キロの「あじあ」を牽引するには強力なパワーを持つ機関車が必要だ。全長25・7メートル、全高4・8メートル、動輪直径2メートル。満炭満水時の重量は203トン。当時、世界最大級であり、内地の東海道線で特急「燕(
※-1 大日本帝国と満洲帝国の思い出,赤塚不二夫の作品に反映されつづけていた「帝国の欲望のなれのはて」への批判精神を吟味する 付記1)冒頭の画像は,「バカボンのパパ」『プリ画像』投稿日:2018/01/12,https://prcm.jp/album/cc282615f0dac/pic/73899948 付記2)「満洲」と「満州」という漢字の違いには一定の意味があるが,ここでは区別せず,しかも以下の記述では気にせず混用している。 1) 昔「満洲国」という国があった 『朝日新聞』2014年1月10日朝刊に,山室信一「〈過去 2014 未来〉「満洲国化」する日本」http://digital.asahi.com/articles/DA3S10917668.html?iref=comkiji_redirect が掲載されていた。冒頭部だけ引用する。なお,以下で
ブランド一覧はこちらこの記事を読んだ人が他に読んだ記事試乗記ニュース画像・写真モーターショー自動車ヒストリー特集エッセイクルマ生活Q&AFrom Our StaffデイリーコラムCarScope谷口信輝の新車試乗水野和敏的視点池沢早人師の恋するニューモデル思考するドライバー山野哲也の“目”あの多田哲哉の自動車放談webCGプレミアム記事一覧webCGプレミアムプランとは日刊!名車列伝動画ギャラリープレゼントアウトビルトジャパンニューモデルSHOWCASE失敗しない中古車選びカーマニア人間国宝への道エディターから一言カーテク未来招来マッキナ あらモーダ!読んでますカー、観てますカーおすすめの動画小沢コージの勢いまかせ!!リターンズ自動車保険 トヨタレクサススバルマツダスズキダイハツホンダ日産三菱ポルシェメルセデス・ベンツアウディBMWMINIフォルクスワーゲンボルボルノープジョージャガーアル
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く