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【満州文化物語(32)】特急「あじあ」の機関車設計者は「キング・オブ・ロコモ」と呼ばれた男だった…(1/2ページ)
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【満州文化物語(32)】特急「あじあ」の機関車設計者は「キング・オブ・ロコモ」と呼ばれた男だった…(1/2ページ)
ケタ外れのパシナ型終戦直後、大連へ進駐してきたソ連(当時)や中国の鉄道関係者は『キング・オブ・ロ... ケタ外れのパシナ型終戦直後、大連へ進駐してきたソ連(当時)や中国の鉄道関係者は『キング・オブ・ロコモ(機関車王)』と呼ばれた男を探していた。世界に衝撃を与えた満鉄の超特急「あじあ」のパシナ型蒸気機関車を設計した中心人物である。 吉野信太郎(のぶたろう)。満鉄工作課機関車係主任、工作課長、大連工場長を歴任し、満鉄が作った機関車十数種に携わった名技術者だ。 そのころすでに病身であり、昭和21(1946)年10月には、肝硬変のため50歳の若さで亡くなってしまう。大連から内地(日本)への引き揚げが始まる直前のことであった。 パシナ型機関車はあらゆる面でケタ外れだった。まずは巨大さ。最高時速130キロの「あじあ」を牽引するには強力なパワーを持つ機関車が必要だ。全長25・7メートル、全高4・8メートル、動輪直径2メートル。満炭満水時の重量は203トン。当時、世界最大級であり、内地の東海道線で特急「燕(