俺は医局内でうだつの上がらない眼科医の父親と、同じくうだつの上がらない乳腺外科医の母親の一人息子として生まれた。 うだつの上がらない両親は医局内で粗雑に扱われており、かと言って開業する気概も資金もなく地方や郊外の関連病院を行ったり来たりしていた。 そのため俺はいつも都内にある母方祖母の家で過ごした。 スポーツも不出来で両親と同じく気弱な俺が平穏な学生生活を送ることができたのは、幼稚園から高校までエスカレーターの私立男子校に進学したからだろう。 母校は俺が入学した時には既に開成や筑駒などに大きな差をつけられていたが、同級生には芸能人や経営者の子息がたくさんおり、彼らとの格差を感じずにはいられなかった。 高校を卒業した俺は1年間の浪人を経て都内の私立大学医学部に進学した。 大学時代、一年目は強制的に寮生活となった。 部屋の先輩はスポーツ推薦で入学した他学部の学生であり、俺とは全てが真逆だった。