ohnosakiko 新刊『あなたたちはあちら、わたしはこちら』発売中。中年以上の女性が主役となっている映画エッセイ集。画像は自筆イラストから『ピアニスト』のイザベル・ユペール様です。https://twitter.com/anatatachi_ohno
以前にidコールでやんわり抗議したのですが、とりあっていただけなかったので改めてここに明示します。 id:ekken さん、わたくしのエントリのブックマークコメントにわたくしのブックマークタグを素材にして性的な冗談を書くのはやめてください。わたくしはあなたにそのようなことを言いかけられるようなお付き合いはしていないものと了解しています。また、そのようなものを受け入れないと表明したにも関わらず何のお返事をいただけていないことも遺憾に存じます。 ことを荒立てるのはわたくしの好むところではありませんが、性的いやがらせを甘受するのはよりわたくしにとって望ましくありません。ご対処いただいたというご連絡をいただくまで、ekken さんのコメントは非表示にいたします。またこの件に関していただいたメールは、本ブログにて公開する場合がございます。ご了解ください。 追記 id:ekken さん、早々の御反応を
ダーリンがなんで「利休忌に名古屋帯」がおかしいのか書いておいたら、と言うので。 「利休忌」は格の高い茶事で、招かれた側は「礼装」が基本だ。(帯は「袋帯」が本式) で、雨が降ってようが、気軽なおつきあいであろうが、略装である「名古屋帯」と書くのは 茶道の素養がどうも怪しい、が私の意見。着物一式は雨で濡れても出入りの呉服屋さんを呼んで始末させればいいんで、 他人に資産を誇るほどの方がその程度の出費をケチるなんて変だな、と。 まあ、この方の「快適はお金で買える」の御意見に私は別に反対しないんで、 でもなんで資産家にとって当たり前である「快適」な状態をいまだに有り難がっているらしいのか、不思議に思ったり。 豊かさのこわさはその豊かさに「慣れる」ことだ。金で手に入れた快適さを当たり前のものに思う。 人に誇るべきものかどうかさえわからなくなる、その点で言えば快適さをさほど必要としない若い世代に 自分の
なんというか見守っていると、そのまま自滅ルーチンを進んでいく人がいる、というか、なんかどうしようもないのかなと思う。 せめて、自分がそうなっていないように、また、そうなっていそうなとき、小さくコーションを出してくれそうな人を大切にしなくては思うが。自分のことは難しい。 基本的に、自滅ルーチンは、「正義」とか「根拠」に関連して対人的に、心理的な固着になっているのだろうと思う。 つまり、「……なんとかだからあの人はダメ」みたいに言うというのは、実は、普通の社会人にはないんだけど。なので、その時点で、自滅ルーチンからtry-cachは無理かもしれない。 自戒、蛇足で言うのだけど、「……なんとかだからあの人はダメ」と言うのは、その言う人と聞かせる人の関係性への言及でしかない。つまり、関心は発言者にあるわけで、ところがそういう他者評価というのは実際には相対的なもの。だから、人々の沈黙に任せておけばい
無断リンク禁止サイトにリンクをすると「そういう文化なんだから、(リンクしないで)放っておけばいいのに」「異なる文化圏の存在を認めよう」と意見する人がいる。 無断リンクを禁ずる(≒無断でリンクすることはネチケットに反する)と考える文化圏が存在する事自体は認めるけれど、だからといって彼等のサイトに無断リンクすることをやめようとは、これっぽっちも思わないし、リンクしたことを「異文化を認めろ」と言われるのはまっぴらゴメンだ。 俺は無断でリンクする文化圏の住民なんだから、無断リンクすることに対して「文化の違いだからリンクするな」は通用しないんだよっ! 結論 「異文化を認めろ」は「オマエの文化は認めない」の言い替えである。
「笑い」とは「敵意のないこと」 腹の皮を捩(よじ)る、腹を抱える、笑い崩れる、噴き出す、大笑い、馬鹿(ばか)笑い、高笑い、愛想笑い、作り笑い、せせら笑い、薄ら笑い、鼻で笑う、苦笑い、忍び笑い、含み笑い、不適な笑み、氷の微笑、謎の微笑み、母のような微笑、思い出し笑い、独り笑い、照れ笑い・・・ 人は実によく笑う。単に楽しいからでなく、様々な場面で笑顔を作る。動物の中で笑うのは人間だけであるが、後天的な能力ということではない。赤ちゃんは良く笑い、また相手の笑い顔を認識する。笑顔を作ることで、好意がもたれるようにふるまう先天的な弱者の戦略であると言われている。 またアメリカ人はより笑う。エレベーターなどで知らない人とともになり、目が合えば微笑む、という日本人にはないマナーもあるぐらいだ。これは、多民族で「ローコンテクスト」なアメリカ社会では、何者であるかわからない他者と出くわし緊張がうまれる。その
私の認識では、BigBang氏は「民主党」を守ろうとしていたのだと思っている。だからこそ「教団」と「党」の関係ではなかった、ということを証明させようと必死だったのだろう、と。彼がこの問題を「問題」にしたのは、その動機が強かったのではないかと感じている。純粋に「松永の未来のため」だけでは、あそこまで「懇談会の参加者として」責任感を感じる必要はないのだ。 これは別に責めたりしているわけではない。「あの人なんであんなにこだわるんやろう」ということについて、私が個人的に分析した個人的な考えであって、BigBang氏の真意は彼にしかわかるまい。ただ「BigBang氏は民主党に帰属意識がある」と考えれば、単にその場に顔を出しただけの他の懇談会参加者たちが私の問題についてほとんど興味を示さなかったことも含めて説明がつくと思う。ただし、「説明がつく」=「事実である」とはいえないことには留意すべきだけど。(
氏は「ことのは騒動」を主として「脱会した信者に対する社会的視点」の問題として考えている。私に関しては、その視点を否定するものではないが、「社会の危機管理」を頭から外すことができない。そう思うに至った経緯のほんの一部は、お伝えした。つまりオウムに関する警戒心の深刻度(氏が楽観的だという意味ではないが)の違い。 BigBang 2006.11.27 「ことのは騒動」と「オーマイニュース」(これは少し)について佐々木俊尚さんと話した。 http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2006/11/post_c402.html 危機管理であれば、距離を置いて監視すべきものと私は思うのだが その後、BigBangさんに心境の変化があったものか あるいは生来の人のよさからか、現在は松永氏との直接対話も念頭にあるらしい。 BBさんが【松永英明さんが求められているこ
うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かしして本を読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…
実装されて間もない頃にチラと覗いたきりすっかり忘れてましたが、 今朝ふと思い出して久々に覗いてみました。 さすがミクシィ!期待を裏切らないハイクオリティ!朝から爆笑させていただきました。 ”他人の不幸は蜜の味”とはよく言ったものですが、 他人を蔑んで笑う方がきっとタチ悪いですね。 ここから先はひたすら下世話なネットウォッチが続きます。 心根の真っ直ぐな陽の当たる場所で生きている方はここでお引取りいただくか、 天使を麻酔銃で眠らせたうえで悪魔の囁きに身を任せ、ニヤニヤしながらご覧ください。 いきなり爆笑させるのは心臓に悪いので、徐々にレベルを上げていくことにします。 まずはmixi疲れユーザーにありがちなこのへんの要望から。 ★抜き足 足跡が残らないようにする設定もあったほうがいいのでは? 見たというのが分かると、 無駄にコミュニケーションの輪を広げなくてはならなくなるので。 僕らに言えない
題名で全て言い尽くしてはいるのですが。(関連記事:転載機能 の検索結果) 「善意の転載」で‘自分がいいと思ったこと’を書いた記事をネット上に増殖させた者が、それを批判した記事によって多くの人に読まれるようになったことを「迷惑だ、騒ぎを大きくするな」というのは、ずいぶんと自己都合の良さを感じます。 OYAJIさんは事あるごとに「えっけん氏が取り上げたから騒ぎが大きくなった」ことを強調し、「善意の転載問題」が多くのブログにおいて言及されたことを迷惑がっているようです。 しかし元々「多くの人に知ってもらいたい」として書いた記事が、本人の思惑通り多くの人に「読まれたこと」には変わりありません。唯一彼の思惑から外れたのは「自分が善意で書いた記事が、他のネットユーザーにとっては善意とは無縁な、受け入れがたい種のものであった」ということです。 「騒ぎが大きくなったのは、えっけん氏がこの話題を取り上げたか
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
はてなブックマークのコメント欄の使い方について、思うところがあったので少しだけ整理してみようと思います。 はてなブックマークのコメントの性格 はてなブックマークは基本的には自分のために使うものですが、状況に応じて異なる性格を帯びることがあります。 自分用のメモ (基本の使い方) あとで思い出しやすいように、記事で気になった部分を要約しておく。 記事を読んで感じたこと(ネガ・ポジ含む)を、感想を含めて書き綴る。 コミュニケーションの手段 (状況に応じて帯びる使い方) 同じ記事をブックマークしたブックマーカー同士、エントリーページで“会話”する。 記事の作者へのコメントを書く。 時折解釈の違いが表面化するのは、後者の「コミュニケーションの手段」としてコメントがみなされるときです。 エントリーの作者からブックマークのコメントに対して真意を確かめられたとき*1、「これは独り言だから、いいじゃないか
「見えない自由が欲しくて 見えない銃を撃ちまくる」状態でありながら、志のないという足掻きが、局地的に勃発しているようですが。ちなみに「見えない銃を撃ちまくる」のは、若者だぜ。私も何処かのあなたもそういう年輪ではないことは、互いに自覚しようよ。 さて、私は考えました。現在の「ことのは」は、当事者である松永さん、BigBangさん、そして黒崎さんの三者の問題であると。*1すなわち、部外者たる私が、意見を述べたり、茶々を入れるべき事態ではないという、私の認識です。 以前、私に対して、はてなid:noon75と言う方が、「ブログ世界における"政治"」という熱い言葉を発せられた。私は、ブログ世界に"政治"なんかありはしない、と心中、馬鹿にしていたものである。 しかし、ことこの「ことのは」局面においては、ネット世界が現実世界にリンクされる状況下であり、便利な言葉を使えば"政治"な事態である、と言い得る
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