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2019年7月17日のブックマーク (15件)

  • いま『女の子』で死にたい人へ 絶望から立ち直れた女性のエッセイに、涙

    多くの人が抱きやすい、人間関係にまつわる悩み。 森島はむ(@hamu_morishima)さんは、小学1年生の時から周囲の女の子たちとの人間関係のいざこざに、嫌気が差していたといいます。 そんな森島さんが、大人になったいま、自分の経験を踏まえたメッセージをつらい思いをしている女の子たちへ向けて発信しました。 いま『女の子』で死にたい人へ贈るエッセイ 誰かを傷付ける人たちがいるコミュニティを抜け出したかった、森島さん。子どもの時は居場所を選ぶことができませんでしたが、受験をキッカケに、自分の道を選択できることを知ります。 死にたいほど人間関係に悩んでいた森島さんは、さまざまな選択を重ねていきました。その結果、自分の道を選択できない、無力な『女の子』だった時期の苦しみから解放されたのです。 森島さんの漫画に、同じような経験をした人たちから共感する声が相次いでいます。

    いま『女の子』で死にたい人へ 絶望から立ち直れた女性のエッセイに、涙
    mayumiura
    mayumiura 2019/07/17
    あああああ!あったねーーー女子世界の囲い込みや仲間はずれ・・・私は嫌気がさす前に転校や進学で離れられてラッキーだったけど、そうでなかったら辛かっただろうなあ。今苦しんでいる子達が逃げられますように。
  • 虐待による『親の呪い』に苦しめられる男性 同僚が発したひと言に、涙

    子どもを束縛したり、暴力をふるったり、育児放棄をしたりする親を、通称『毒親』といいます。 毒親にとって、子どもは親の所有物なのかもしれません。我が子の意思や権利を尊重しない振る舞いは、子どもの人生に悪影響を与えます。 そして、『親の呪い』は一生子どもを苦しめることになってしまうのです。 『親の呪い』に苦しむ人へ、友人が発した言葉 エッセイ漫画Twitterに投稿している、もちぎ(@omoti194)さんも『呪い』に苦しめられている1人。 10代のころ、もちぎさんは母親から金銭を要求され、勉強するだけで怒られ、日常的に暴言を吐かれていたといいます。

    虐待による『親の呪い』に苦しめられる男性 同僚が発したひと言に、涙
    mayumiura
    mayumiura 2019/07/17
    子どもの時、に限らず、若かった時、の自分も救ってあげられたら・・・その時ほんとうに大人になったと言えるんだろうなあと思うけど、、、それが難しいんだよねえ。
  • 【動画】NHKから国民を守る党(三重県選挙区)の門田節代(かどたせつよ)さんの政見放送がぶっとぎすぎ!顔画像や経歴やプロフィールは?や

    【動画】NHKから国民を守る党(三重県選挙区)の門田節代(かどたせつよ)さんの政見放送がぶっとぎすぎ!顔画像や経歴やプロフィールは?や
    mayumiura
    mayumiura 2019/07/17
    被選挙人としては十分異様wだけど、パフォーマーとしては普通。うまくやりきった。それより、、、素晴らしいのは手話通訳の女性でしょ!!なんというプロフェッショナル!あたしはそっちに涙止まらず腹筋コワレタwww
  • アメリカ同時多発テロ事件 - Wikipedia

    アメリカ同時多発テロ事件アメリカどうじたはつテロじけん、英: September 11 attacks)は、2001年9月11日にイスラム過激派テロ組織アルカイダによって行われたアメリカ合衆国に対する4つの協調的なテロ攻撃[4][5][6]。9.11事件(きゅういちいちじけん)や、9.11(きゅうてんいちいち)などと呼称される場合もある[7]。 一連の攻撃で、日人24人を含む2,977人が死亡[8]、25,000人以上が負傷し、少なくとも100億ドル(日円換算1兆1465億9500万円)のインフラ被害・物的損害に加えて、長期にわたる健康被害が発生した[9][10]。アメリカ歴史上、最も多くの消防士と法執行官が死亡した事件であり、殉職者はそれぞれ343人と72人だった[11]。また、この事件を契機としてアフガニスタン紛争 (2001年-2021年)が勃発し、世界規模での対テロ戦争が始

    アメリカ同時多発テロ事件 - Wikipedia
    mayumiura
    mayumiura 2019/07/17
    何度も読みにきてるページだけど、今日は911直後の「放送自粛曲」に注目。各曲が不謹慎な理由。“全米1200もの系列局を傘下にもつラジオ放送大手のクリアチャンネル//は、事件直後に放送自粛曲リストを作成した。”
  • Queen - Radio Ga Ga (Live Aid 1985)

    Queen performing at Live Aid in front of 72,000 people in Wembley Stadium, London on the 13th July, 1985. The event was organised by Sir Bob Geldof and Midge Ure to raise funds for the Ethiopian famine disaster. Broadcast across the world via one of the largest satellite link-ups of all time, the concerts were seen by around 40% of the global population. Remember to subscribe to stay up to date wi

    Queen - Radio Ga Ga (Live Aid 1985)
    mayumiura
    mayumiura 2019/07/17
    きゃーん!フレディかっこよすぎでしょ・・・こんなん至近距離で見てた人なんて、一体どうなっちゃうんだろ??(考えただけでちびりそう)
  • 昼の夢 (高安月郊 作詞・梁田貞 作曲) ソプラノ : 荻野綾子

    mayumiura
    mayumiura 2019/07/17
    ほえええ!1931年パリ録音。
  • 荻野綾子 - 春の唄 Spring's Song (Michio Miyagi) - 1933

    mayumiura
    mayumiura 2019/07/17
    ほおお。
  • 荻野綾子の功績を讃えて | 私たちは20世紀に生まれた

    よく晴れた暖かい日曜日。JRを乗り継いで今日も四谷まで赴く。ちょうど昼飯時なので駅構内の麺麭堂「PAUL」に立ち寄る。小生は燻製鮭を載せた馬鈴薯のガレット、家人はパスタスープ。どちらもサラダと麺麭と珈琲が附く。この店の麺麭は香ばしくて旨いうえ、お替わり自由、しかも種類が豊富で飽きが来ない。 まだたっぷり時間があるので外堀公園から迎賓館前を抜けホテルニューオータニ周辺をぶらり散策。どこもかしこも秋色が漲って美しい。二時を少し回ってところで紀尾井ホールに到着。ここは先日も今井信子さんの会で夕刻に訪れたばかりの場所。ただし今日は昼下がりなので周囲の趣が随分と異なる。 オーケストラ・ニッポニカ第24回演奏会 野平一郎・歌・フランス 歌手・荻野綾子の追憶に 2013年11月24日(日)14:30~ 東京・四谷、紀尾井ホール * メゾソプラノ/手嶋眞佐子 指揮/野平一郎 オーケストラ・ニッポニカ

    荻野綾子の功績を讃えて | 私たちは20世紀に生まれた
    mayumiura
    mayumiura 2019/07/17
    “パリ留学から帰った荻野綾子(1898~1944)が恩師クレール・クロワザから学んだ成果を披瀝すべく近衛&新響の共演を仰いで催した意欲的な独唱会の八十四年ぶりの(!)再現”
  • 未覚池塘春草夢 - 香月 隆 Takashi KATSUKI

    わたしは戌年なので、犬にまつわる物語が好きです。 遠野物語四二にこんな話があります。 村びとから自分の子ども三頭を殺された母狼(昔は狼と犬は同格だった)が、村の人馬をくりかえし襲います。 たまりかねた村人は、力自慢の男を反撃役に仕立てます。男はワツボロ(上羽織)を腕に巻き、母狼の口にねじ込みます。そして助けを呼びますが、怖がってだれも近づきません。やがて男の腕は狼の腹に達し、さすがの狼も男の腕を噛み砕きながら絶命します。男も里へ運ばれてまもなく死んでいきます。 じつに乾いた復讐劇です。そこには感傷も哀愁も漂いません。叙事詩のように、事実だけが配列されています。なのに、わたしたちは肺腑をえぐられます。これが東野物語の髄です。 わたしもいろんな物語を書いてきましたが、いつも作者の主張を、これでもかこれでもかと盛り込んだ多情多恨のメッセージ劇になってしまいます。 そんなときには思い出すべし「遠野

    mayumiura
    mayumiura 2019/07/17
    “あなたは荻野綾子というソプラノ歌手をご存じだろうか。”
  • 小児性犯罪者らに「化学的な去勢」を義務付け。ウクライナで法案が可決

    小児性犯罪者らに対して、化学物質を投与して性的欲求を減らすというものだ。地元メディアやインディペンデントなどが報じている。

    小児性犯罪者らに「化学的な去勢」を義務付け。ウクライナで法案が可決
    mayumiura
    mayumiura 2019/07/17
    まずは理性に対して「児童への性的虐待は、絶対に許さない」という原則を徹底周知することが先とは思うが(レイプ痴漢セクハラに甘い社会のうちはムダ)、それで自制できない人は病気として「治療」が必要だろうな。
  • 第三次世界大戦 - Wikipedia

    この項目では、現実に想定されている第三次世界大戦について説明しています。その他の用法については「第三次世界大戦 (曖昧さ回避)」をご覧ください。 この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "第三次世界大戦" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2023年1月) 核実験「キャッスル・ロミオ(英語版)」(1954年)でのキノコ雲。 第三次世界大戦の経緯に関する予想は様々だが、結局核兵器が使われ、人類が滅亡するとの考察が多い。 冷戦中、ワルシャワ条約機構軍が西ドイツに侵攻した場合の攻勢主軸想定図。 第三次世界大戦(だいさんじせかいたいせん、英語: World War III、英

    第三次世界大戦 - Wikipedia
    mayumiura
    mayumiura 2019/07/17
    この項が事実によって更新される日は、こないのだろうなあ…。どんな Wikipedia職人も、間に合わないよね、きっと。
  • スタニスラフ・ペトロフ - Wikipedia

    事件は米ソの外交関係が非常に悪化している時期に発生した。先立つこと僅か3週間前、ソ連軍がソ連領空を侵犯した大韓航空007便を撃墜し、乗員乗客269名全員が死亡するという事件が起きた[3]。この際多数の米国人が死亡し、中には下院議員のラリー・マクドナルド英語版)も含まれていた。また米国とその同盟国は軍事演習「エイブル・アーチャー83(英語版)」を実施している最中であり、これが米ソ間の緊張を著しく高めていた。KGBは西側に配置していた活動員に緊急通信を送り、核戦争の勃発を想定して準備するよう警告していた[3]。 スタニスラフ・ペトロフは戦略ロケット軍の中佐であり、1983年9月26日、モスクワはセルプコフ-15バンカーの当直将校だった。ペトロフの担当任務には、核攻撃に対する人工衛星による早期警戒網を監視し、ソ連への核ミサイル攻撃を認めた場合これを上官に通報することが含まれていた。そのような攻

    スタニスラフ・ペトロフ - Wikipedia
    mayumiura
    mayumiura 2019/07/17
    彼が下すことになった歴史的決断と同じくらい、その後、彼がこうむった過酷な処遇(軍規違反、早期退役、神経衰弱、孤独な死)に、一個人の運命の数奇を感じる…。
  • 核戦争を阻止した男

    mayumiura
    mayumiura 2019/07/17
    “これほど世界が核戦争に近かったことは一度も無かっただろう。//この恐ろしい夜の出来事は、人的ファクターがどれほど重要かを示す。”
  • その人が存在していなければ、人類の歴史が変わっていたかもしれないという人物はいますか?

    回答 (14件中の1件目) マイアー・アムシェル・ロートシルト(独: Mayer Amschel Rothschild、1744年2月23日 - 1812年9月19日) マイアー・アムシェル・ロートシルト - Wikipedia ロスチャイルド財閥の始祖とされている人物です。彼がいなければ、その後のロスチャイルド経済帝国も存在しなかったと考えると、彼らの繁栄に楔を打とうと起こされた第二次世界大戦も無ければ、イスラエルという国も存在せず、アラブとイスラエルの度重なる戦乱も無く、石油メジャー等による資源搾取に対抗して起きているテロも無かったと思われる。当然、現行の世界秩序も自由世界の繁栄も...

    その人が存在していなければ、人類の歴史が変わっていたかもしれないという人物はいますか?
    mayumiura
    mayumiura 2019/07/17
    1983年、スタニスラフ・ペトロフ氏。知らなかった・・・。
  • 青春がしたかった:いじめ対策の課題/上 「大丈夫」と去った息子 母「誰も自殺見抜けぬ」 /青森 | 毎日新聞

    仏壇に置かれた憲さんの遺影(中央奥)。母親(右)は遺影を見る度に昨日のことのように思い出すという=いずれも青森県野辺地町内で2017年5月 いじめを受けていた息子が命を絶ったのは、学校が始まる月曜日だった。その日の朝、心配した母親が「憲、今日大丈夫だべか?」と念を押すと、息子は「お母さん、大丈夫だよ」と言って出ていった。「私がまた戸を開けて、『大丈夫かぁ?』と声をかけた時も、『お母さん、大丈夫だってば』と手を上げて行った。それが最後。私は見抜けないと思う。明るく手を振っていったんだから」

    青春がしたかった:いじめ対策の課題/上 「大丈夫」と去った息子 母「誰も自殺見抜けぬ」 /青森 | 毎日新聞
    mayumiura
    mayumiura 2019/07/17
    お母さんを心配させたくなかったんだろうなあ。こう口で言う以外、どうしようもなくなっていても。その埋められないギャップを本人が一番わかっていたから、消えてしまったのかもしれないね。誰もが悲しい。合掌。