ある事象を長期にわたって取材した結果を表現物として発表する手段に、映像のドキュメンタリーと活字によるノンフィクションがある。両者の大きな違いは、カメラがあるか、ないか、だ。映像のドキュメンタリーは、カメラが回っていなければ「なかったこと」と同じである。一方、活字の場合、その瞬間の直接的な記録がなくても、取材メモや記憶によって再現することができる。 どちらがその事象を、受け手により深いものとして伝えられるのか。カメラの制約がないぶん、活字の方がより細やかに、取材した内容を伝えることができるだろう。だが映像が持っている情報量もあなどれない。例えば取材対象者の表情。「目は口ほどに物を言う」の諺にもある通り、ある人のインタビューを映像として使用しても、活字にしても内容は同じだが、それがどんな表情によって発せられるのかで、受け手の印象はまったく異なる。映像業界に身を置く者としては、優れた活字ノンフィ