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世代論と神坂一に関するmegyumiのブックマーク (6)

  • のべるのぶろぐは移転しました: スレイヤーズの想い出、と、氷菓の話

    スレイヤーズばなし(前島日記) スレイヤーズばなし(CAXの日記) 私にとって、「スレイヤーズ」は思い入れのある作品なので、せっかくだから便乗して語っちゃおうかな、とか。電撃の発売日まで更新のネタがないし、ともいう。 私が「スレイヤーズ」と出会ったのは、忘れもしないドラゴンマガジンに載っていた短編「ナーガの冒険」だった。その時の感想は、「こんなんありなのか!」だ。当時高校生だった私にそれは衝撃だった。なぜならその瞬間まで、私の中で小説とは教科書に載っている「こころ」のように、難解で、格式ばっていて、「この時の『私』の気持ちを十五文字以内で述べなさい」のようなものだったからだ。それがギャグである。小説なのにギャグなのである。小説なのに読んでて笑っちゃうのである。こんなんありなのか! そして私は、書店に「スレイヤーズ」の文庫を買いに行った。まだ一巻しか出ていなかった頃だ。でも既に三刷目だ

  • え?スレイヤーズ語っていいの? - 平和の温故知新@はてな

    スレイヤーズばなし スレイヤーズの想い出、と、氷菓の話(氷菓→評価?)(意図的なものでした) あんまし悩まないヒロイン、リナ=インバース 前回はネタ風味だったけど、このお二方が語るなら大丈夫と信じて参加。 自分語りはこれでしばらく終わりにしたいところ。 前提条件は 私は前島氏と同世代。1作目が出た当時は年齢一桁 スレイヤーズとの出会いはアニメと同時期で中学生くらい 「フォーチュン」「スレイヤーズ」「ブギーポップ」「フルメタ」の順番で経験 他「クリス・クロス」「ブラックロッド」あたりの影響も受ける 当時の受け止め方 なんて笑える小説があるんだ、と驚いた記憶があります。 その頃にはFFとかFAなんかでファンタジーに対する漠然としたイメージがあったわけですが、 それをとことんぶち壊してくれたのが印象的。 あ、ちなみに私はドラクエもウィザードリィもウルティマも未経験です。ダンジョンマスターはハマっ

    え?スレイヤーズ語っていいの? - 平和の温故知新@はてな
  • あんまし悩まないヒロイン、リナ=インバース - 後天性無気力症候群

    前島日記-スレイヤーズばなし http://d.hatena.ne.jp/cherry-3d/20060602/1149270381 CAXの日記-スレイヤーズばなし http://d.hatena.ne.jp/CAX/20060603/slayers 私は「ロードス島」「フォーチュン・クエスト」「スレイヤーズ」でライトノベルにはまったので、「スレイヤーズ」にはかなり強い思い入れがあります。またそうした思い入れを差し引いて見ても、スレイヤーズが現在のライトノベルへ与えている影響は多大なものがあると考えています。が、ライトノベル論ブームが始まった時には既に「スレイヤーズは過去の作品だ」という空気ができてしまっていたようで、スレイヤーズ語りというのはあまり見られないのですよね。 私も何か書けないかとスレイヤーズとオーフェンとフルメタを日常と非日常から見たメモ書き、または学園についてとかキャラ⇔

  • スレイヤーズばなし - 架空力学のセカイ

    id:CAXさまより……って発言(「スレイヤーズが好きだった10代の僕を、どうやって肯定すればいいんですか!」引用者注)は前島賢のものだったのか。まあ自分は『スレイヤーズ』の編は未だに読んだことがないから(アニメは観たけど)、肯定も否定も寛容も嘆きも出来ないので、その発言の意味する意もよく判らないんだけど、なにが理由でそんなにトラウマっぽく感じているのかはちょっと知りたい。小説版の『スレイヤーズ』には、それほどまでにトラウマになるような衝撃のストーリーがあったりしたのかな?http://d.hatena.ne.jp/CAX/20060531/zaregotoなんて質問(?)をいただいた。こういう「なんで俺にとってライトノベルは重要なのか」的な自分語りに1万語ついやすよりも、マジメに(特に誤字脱字のチェックをな!)書評を書いたりするほうがよほど有意義なものになると思うのですが、一応、反応

  • 2004-11-09

    ――<途中まで書いて忙しくなって書けなくなったシリーズ1> いや誰かが書かなきゃ行けないなと思って途中まで書いたんだけど、忙しくて以降、書けなくなった評論を途中まで載せる。写真はまったく関係ないが、南紀白浜へ取材に行ったときにとった<徐福公園>の徐福像。中上健次の生地写真はまた後で。 ◆南総里見八犬伝の評価の難しさ まずは前段として、南総里見八犬伝はなかなか文学的史に評価されなかったというのを書いておく。現在入手できる岩波版の南総里見八犬伝の前書きや、芥川龍之介の短編「戯作三昧」を見ても判るのだが、一大伝奇ロマン「南総里見八犬伝」は非常に文学史的な評価が定まらなかった作品だ。名作であることは間違いなし、ストーリーも無類に面白いが、文学史的には、江戸文学読みという流れの中に、突然変異のように現れた巨岩である。とにかく類似の物を探そうとしても、少なくともそれ以前にもなければ、以後の江戸期の読

    2004-11-09
  • 2004-11-01

    ライトノベル完全読の編集会議をやっている中でこの話題が出た。その後(後段でも述べるけど)奇想天外1977年5月号の小松・柴野対談が「宇宙塵」に再掲載されているのを調べ物していたら、宇宙大元帥・野田昌弘のトラウマを小松左京が言及しているのが、この発言に非常に近いのでちょっと引用する 小松:野田(昌弘)ちゃんが、そういう幼児性を多分に持ってて、彼と一緒に仕事をしていると、彼の“ポンキッキ・ファシズム”に往生するんですよ(笑)。 柴野:ポンキッキ・ファシズムとはどういう意味ですか。 小松:いや、別に意味があるわけじゃない。どんなことをやってもポンキッキ調にしてしまうんだ(笑)。「おれはガーンズバックでSFの筆下ろしをやって、トラウマになってんだ」というんだけど (宇宙塵2004年No1より引用) そのスレイヤーズ好きだった人に対して、加野瀬未友は 「認めたくないものだな、若さ故の過ちというもの

    2004-11-01
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