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ブックマーク / www.h2.dion.ne.jp/~hkm_yawa (2)

  • 拝啓 手塚治虫様 第20回 僕たちの好きなドラゴンボール 世界観の憂鬱

    拝啓 手塚治虫様第20回 僕たちの好きなドラゴンボール 「漫画に物語はない」という直感を動機として書き始めた「拝啓 手塚治虫様」も節目の20回目ということで、今回は、私も思い入れの深い作品を例にマンガ物語論を考察していきたい。思えば10回目で触れた「童夢」の時に「ドラゴンボール」についてもいずれ考えたいといってから何年経っとんねんって感じだが(このシリーズが始まったのは2003年、第10回が2004年、前回が2006年の4月だっけ。実に一年ぶりの更新……)。 前回は物語論・ナラトロジーを意識した話だったが、今回もそれを踏まえながら、鳥山明「ドラゴンボール」を読んでいこう(前回に倣い、物語は「ストーリー」「キャラクター」「世界観」「読者」の4つに分けて考える)。 1 ペンギン村再び 「ドラゴンボール(以下「DB」と略す)」が、作者・鳥山明の前作「ドクター・スランプ」と、当初地

  • ひぐちアサ「おおきく振りかぶって」3-6巻スコアボード雑感 - ひとりで勝手にマンガ夜話

    「おおきく振りかぶって」 スコアボード雑感 講談社 アフタヌーンKC 3〜6巻 ひぐちアサ 試合中にもかかわらず描かれないスコアボード。対三星戦の批評でそれがないことに少し触れた。野球マンガに親しまない読者にとっては、それがどれほどのことなのかわかりにくいかもしれないが、これは、全くもって野球マンガのあり方を覆しかねない事態なのだと私は勝手に興奮している。たとえば手元の野球マンガを拾って読んでみても、得点があったイニングには必ずスコアボードが描かれることを確認できよう。また試合を省略して描く際にも、スコアの経過だけで省略されたイニングの攻防を読者に想起させうることも出来る(これがたとえばサッカー物なら時計がその役目を担うだろう)。いずれにしても、得点経過というものは、登場人物たちの努力の結果を冷酷に描き示すものなのである。 では、これがあまりというか滅多に描写されないということは

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