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EU圏と戦争紛争暴力に関するmemoclipのブックマーク (12)

  • 『白い死神』ー「ムーミン谷のゴルゴ13」の実像 - HONZ

    1939年に始まったソ連との冬戦争で活躍したフィンランド軍の狙撃手シモ・ヘイヘは、一部ネット上では有名だ。しかし、これまで日では、ヘイへその人をテーマとしたは、これまで一冊も出ていなかった。書は、1998年に60年間にわたって沈黙を続けてきたヘイへのインタビューを成功させた著者によるノンフィクションであり、一部マニアにとっては待望の書と言える。 ここでまず、ネット上にコピペで出回っているヘイへの逸話を見てみよう。 ・わずか32人のフィンランド兵なら大丈夫だろうと4000人のソ連軍を突撃させたら撃退された ・シモヘイヘがいるという林の中に足を踏み入れた1時間後に小隊が全滅した ・攻撃させたのにやけに静かだと探索してみたら赤軍兵の遺体が散らばっていた ・気をつけろと叫んだ兵士が、次の瞬間こめかみに命中して倒れていた ・スコープもない旧式モシンナガン小銃で攻撃、というか距離300m以内なら

    『白い死神』ー「ムーミン谷のゴルゴ13」の実像 - HONZ
  • ドイツ:若者の2割、アウシュビッツ知らず ナチスの歴史、風化進む--雑誌アンケート - 毎日jp(毎日新聞)

    【ベルリン篠田航一】第二次大戦中、ナチス・ドイツが多数のユダヤ人を密室に閉じ込め毒ガスで殺害したポーランド南部のアウシュビッツ(ポーランド名・オシフィエンチム)強制収容所について、ドイツの若者の5人に1人が「知らない」と回答したことが分かった。戦後、ドイツでは学校教育の場などで繰り返しナチスの犯罪について教えてきたが、戦後70年近くが経過し、風化が進む現状が浮き彫りになった。 独誌シュテルンが世論調査機関フォルザに委託したアンケートによると、ドイツ国内の全回答者1002人のうち、90%はアウシュビッツが強制収容所だったと正しく答え、特に30歳代以上は95%と高率だった。しかし、若い世代の正答率は低く、18~29歳の若者層の21%はアウシュビッツが何かを知らなかった。また全体の31%は、アウシュビッツが現在のポーランドにあることを知らなかった。 ベルリン・ユダヤ人協会のギデオン・ヨッフェ会長

    memoclip
    memoclip 2012/01/28
    そんなもんだよねー、という感じ。
  • Togetter - 「歴史IF小説:もしもキキのいる世界でWWIIが起きていたら」

    こなたま(CV:渡辺久美子) @MyoyoShinnyo 「魔女の宅急便」は第二次世界大戦が起こらず荒廃しなかった欧州の話らしいが、つまりあの世界ではまだドイツでナチスが存続してるのでは。シャハトの言うとおりにしてうまいこと財政危機を回避し、中国の改革開放っぽい感じで割と順調に発展したナチスドイツ(でも差別や弾圧は健在)。胸が熱くなる。 2011-07-08 20:49:45

    Togetter - 「歴史IF小説:もしもキキのいる世界でWWIIが起きていたら」
    memoclip
    memoclip 2011/07/10
    タイトル WWWII を WWII に変更。
  • スペイン内戦により破壊され、そのまま歴史を刻み続ける廃墟の街「バルチテ」

    第二次世界大戦に入る直前、スペインではマヌエル・アサーニャ率いる左派の人民戦線政府と、貴族政治復古を願うフランシスコ・フランコを中心とした右派の反乱軍が激しく対立していた。1936年7月、将軍グループがスペイン第二共和国政府に対してクーデターを起こしたことにより戦争に突入。この内戦は1939年3月まで続き、国内のいたるところが破壊されていった。 1937年、激化する戦争の最中、壊滅的に破壊された街の一つが、ここバルチテで、そこだけ時が止まったかのように、壊滅された状態のまま、その歴史を今に刻んでいるんた。 ソース:Kuriositas: Belchite – Ghostly Reminder of the Spanish Civil War この画像を大きなサイズで見る この画像を大きなサイズで見る この画像を大きなサイズで見る この画像を大きなサイズで見る この画像を大きなサイズで見る

    スペイン内戦により破壊され、そのまま歴史を刻み続ける廃墟の街「バルチテ」
    memoclip
    memoclip 2011/06/18
    1937年に破壊され、廃墟となったスペインのとある街。
  • あらしが来るとは誰も思っていなかった ---- ドラ・ド・ヨング『あらしの前/あらしのあと』 - ohnosakiko’s blog

    『あらしの前/あらしのあと』(岩波少年少女文学全集、1961、吉野源三郎訳)を、久しぶりに再読した。 著者のドラ・ド・ヨングはオランダ人女性だが、「あらしの前」(原題:THE LEVEL LAND)は1950年にアメリカで出版されて好評を得、その7年後に「あらしのあと」(原題:RETURN TO THE LEVEL LAND)が出されている。 私の持っているのは、この二冊が一緒になっている50年前の古い単行。今は岩波少年文庫に別冊で収められている。日に紹介されている欧米の児童文学の中では、わりと地味な部類に入るこのを手に取ったのはもちろん、「不安の中でどう振る舞うのが正しいか」のヒントがどこかに書いてなかったかなと思ったからだ。 あらしの前 (岩波少年文庫) 作者:ドラ・ド ヨング発売日: 2008/03/14メディア: 単行あらしのあと (岩波少年文庫) 作者:ドラ・ド ヨング発

    あらしが来るとは誰も思っていなかった ---- ドラ・ド・ヨング『あらしの前/あらしのあと』 - ohnosakiko’s blog
    memoclip
    memoclip 2011/03/20
    >1940年の春頃まで、オランダの多くの国民は、まさか大きな「あらし」が自分たちに襲いかかってくるとは思っていなかった。 / >「あらし」が迫り来る前と後の、「ごく普通の大人達」の我慢強く品位を失わなかった態度
  • 北アイルランド紛争、暴力・復讐・赦しをめぐって

    北アイルランド紛争を「過去のもの」とする中での暴力・復讐・赦しへの動き・取り組みについて、アイルランド在住の @preabsanol さんのtweetsと、@nofrills がこれまでに書いてきたブログから。 ところどころに北アイルランドのコンテクストを有する音楽を挟んであります。 最後に、チベット亡命政権のダラムサラから更新されている中原一博さんのブログ「チベットNOW@ルンタ(ダラムサラ通信)」から、1972年に英軍のゴム弾baton roundで失明したデリーの男性のお話を追加しました。 続きを読む

    北アイルランド紛争、暴力・復讐・赦しをめぐって
  • 戦争の体験談を語るわ 前編 : まめ速

    1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/19(水) 12:57:06.07 ID:sViwJ6eP0 15年以上昔の出来事だから、よく知らない人が多いかもしれないけどさ。 4:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/19(水) 13:02:19.57 ID:sViwJ6eP0 少し長くなるから、先に何が起きたから軽く書いておくね。 今から20年近く前の話だから、多少忘れてたり、間違ってたりするかもしれない。 そこは許して欲しい。 先に結論というか、書いておくけど。 今から話す内容に出てくる子がどうなったか、先に書いておく。 ソニアは殺された。 サニャは爆発に巻き込まれて死んじゃった。 メルヴィナはレイプされて連れ去られた。 メフメット・カマル・ミルコはわからない。 カミーユも死んでしまった。 ドラガンって子は、裏切ったと思っていたけど、実

    戦争の体験談を語るわ 前編 : まめ速
  • [書評]日中戦争はドイツが仕組んだ 上海戦とドイツ軍事顧問団のナゾ(阿羅健一): 極東ブログ

    先日、日中双方10名ほどの有識者による歴史共同研究の報告書が公開されニュースになった。大手紙の社説などでも言及されていた。共同研究は2006年10月安倍晋三首相(当時)が訪中に際し、胡錦濤国家主席との会談で合意されたものだ。近代史については中国側の都合で非公開となったとのことだが、読める部分はどんなものだっただろうかと思っていたら、外務省で電子文書で公開されていた(参照)。 中国側の見解もまとめられていたが私は中国語が読めないのでわからない。この部分も翻訳・合し、政府補助で安価に販売されたらよいのではないかと思った。新聞などの報道では、暴発ということでほぼ定説化しつつある盧溝橋事件について中国側でも「発生は偶然性をもっているかもしれない」との理解が示されたといった点に着目していたが、他も全体にバランス良く書かれていて、存外にというのもなんだが、よいできだったことに驚いた。なお、盧溝橋事件

  • 戦争はなぜ起こるか4 時刻表と第一次世界大戦 - リアリズムと防衛を学ぶ

    戦争はなぜ起こるか―目で見る歴史 (1982年) 作者: A.J.P.テイラー,古藤晃出版社/メーカー: 新評論発売日: 1982/08メディア: ? クリック: 3回この商品を含むブログを見る「戦争はなぜ起こるか」はテイラーという有名な史家が書いた著作です。原題は「HOW WARS BEGIN」。中身はタイトルの通り、戦争がいかに開始されるかを書いています。フランス革命戦争から冷戦までの主だった戦争を取り上げています。 このは読み物としても面白く、多くの示唆を与えてくれます。戦争の原因は百万通りもあるとしても、その中で「錯誤」と「不合理」が含まれないものは一つもないようです。 前回の普仏戦争の記事では、ビスマルクを取り上げました。ビスマルクは戦争政治の手段として見事に制御しました。ところが今回の第一次世界大戦では、戦争の論理が政治を動かし、ヨーロッパ全域を空前の大戦争に追いやりました

    戦争はなぜ起こるか4 時刻表と第一次世界大戦 - リアリズムと防衛を学ぶ
    memoclip
    memoclip 2009/09/11
    唐突に「時刻表」とか「鉄道」という単語が出てくるのがよく分からなかった。比喩みたいだけど。
  • フランスから見た第二次世界大戦を、三十年戦争までさかのぼってみる | Drupal.cre.jp

    NHK-BSで放映された(未見)、シリーズ戦争と平和 よみがえる第二次世界大戦~カラー化された白黒フィルム~ をネタにしたチャットでの四方山話で、次のネタがでている。 ENOKINO フランスの視点から見た第二次世界大戦というのは、第一次世界大戦からの、というか、その前の普仏戦争当たりからの流れを知らないと なるほど。では、フランスから見た第二次世界大戦を、三十年戦争までさかのぼってみよう。 フランス視点での第二次世界大戦というのは、どう見てもぱっとしない。 負け戦という点では、イタリアもそうだ。日ドイツも最後はボロ雑巾のようになって無条件降伏だ。ドイツは首都のベルリンがソ連に占領されて廃墟になるまで戦い、日土爆撃で都市を焼け野原にされ、ソ連がついに牙をむき、おまけに広島と長崎に原爆を投下されるまで粘り続けた。 しかし、フランスはボロ雑巾のようになる機会すらなかった。 あか

  • asahi.com(朝日新聞社):「死亡」の赤ちゃん、セルビアで生きてた ボスニア紛争  - 国際

    幼いころの写真を手に「母と姉はきっと生きている」と語るセニーダ・ベシロビッチさん(右)。現在は母方のおじ(左)の家に身を寄せている=サラエボ、玉川写すボスニア紛争で犠牲になった村人の名前を刻んだ石碑。5月、セニーダさんの名前の上に無地の板が張られた=ボスニア北東部ツァパルデ村、玉川写す  旧ユーゴスラビアのボスニア・ヘルツェゴビナで紛争に巻き込まれ、17年前に死亡したはずの赤ちゃんが生きていた。村を襲った「敵」だったセルビア人兵士の1人が助けて孤児院に預け、隣国セルビアで養父母のもとで高校生に成長していたことがわかり、驚きを呼んでいる。少女は新しい人生を、ジャーナリストを目指して歩み出した。  ボスニアの首都サラエボから車で2時間余りの村にある小高い丘の上の墓地。5月、紛争犠牲者85人の名前を刻んだ石碑から、一つの名前が消された。「セニーダ・ベチロビッチ」。生まれて間もない女の赤ちゃんの名

  • ロシア軍が上空にて撮影した、第二次世界大戦末期「ベルリンの戦い」の後のドイツ市街地の様子

    第二次世界対戦末期、1945年4月16日、ソ連軍はベルリン占領を目的とするベルリン作戦を発動。その後両者の激しい攻防戦が繰り広げられ最終的には、総統地下壕におけるヒトラーの自殺、国会議事堂の陥落、5月2日のドイツ軍のベルリン防衛軍司令官ヘルムート・ヴァイトリングの降伏と、ロシア側が事実上ドイツを征したわけですが(ベルリンの戦い参照)、市街戦が繰り広げられたベルリン市内ではなく、ケルン周辺の様子をロシア軍が撮影した画像がこれらだそうです。

    ロシア軍が上空にて撮影した、第二次世界大戦末期「ベルリンの戦い」の後のドイツ市街地の様子
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