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scienceとdisciplineに関するmic1849のブックマーク (8)

  • あーはいはい - sjs7のブログ footnote #4

    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

    あーはいはい - sjs7のブログ footnote #4
    mic1849
    mic1849 2008/07/31
    元記事は「~について」の報告の話で、こちらは「~について私はどう調べ、考察したか」の報告の話.前者は「~」について考察し、後者は「私」のことを提示する./学問は検証したいことを広く伝える技術ですよ.
  • カール・R・ポパー『歴史主義の貧困』 塩川伸明読書ノート

    この古典的な著作(原著は一九五七年、邦訳は一九六一年)のことを私がはじめて知ったのは、あまり記憶が定かではないが、おそらく一九六〇年代の後半、私が大学に入って間もない頃だったと思う。どういう文章を読んでポパーのことを知ったのかも覚えていないが、ともかく何かの解説を読んで、ある程度関心を引かれ、何となく分かったような気になり、しかし敢えてそのものを読もうとは思わずに、うちすぎてしまった。 当時の私がこのを読もうと思わなかったのは、反撥のせいではない。と書くと、事後的な自己正当化の気味を帯びてしまうかもしれない。かつて反撥して読まなかったについて、後になって、実は大事な著作なのだと気づき、過去の自分の不明を押し隠すために、「昔から、別に反撥していたわけではない。ただ何となく読む機会がなかっただけだ」と言訳する、というような心理作用はよくあることだ。私は、できるだけそうした自己正当化はすま

    mic1849
    mic1849 2008/07/01
    '古典的''個性叙述に終始し、抽象的観念のもちこみを極力排するもの'/'隣接分野(経済学、政治学、社会学、文化人類学等々のディシプリン)の成果を吸収して分析的に議論を進めるもの''「社会科学的''分析的歴史学」'
  • 歴史学・科学・「データでガツン」 - klovlr@はてな

    min2fly 言葉で煽るのも好きだけど、研究においては有無を言わさぬデータでガツンと攻めて、言葉はむしろ控え目くらいの方が好きだったりする *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/846939022 min2fly 「こんなんなりました。どよ?」「ざわ・・・」みたいな *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/846939816 _Ag_ @min2fly データでガツンで寡黙ってかっこいいよねー。歴史はそういうの考古学くらいしかできないのかな。「史料」も文献だと客観的データだと言い切るのが難しいから。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/846945918 klov 客観的データでガツンという難しい。データは現状認識。その後どういう思索をすべきなのか、そこんところは言葉で煽る

    歴史学・科学・「データでガツン」 - klovlr@はてな
    mic1849
    mic1849 2008/07/01
    cf.ソ連史の先生の読書ノート→カール・R・ポパー『歴史主義の貧困』 http://www.j.u-tokyo.ac.jp/~shiokawa/ongoing/books/popper.htm|E・H・カー『歴史とは何か』 http://www.j.u-tokyo.ac.jp/~shiokawa/ongoing/books/carr.htm
  • 2008-05-12

    昨今の気候変動などを「地球を守る」といっているニュースがあるが、つまるところ環境学は人類のための人類による研究だと思う。 経済学と生態学の学位を同時に取ったが、非常に似たような論理やモデルをみた。双方とも、基的には行動学的に論理的にマクロから積み上げるか、統計的に相関関係からマクロから入るかで似ていた。しかし、当時違うかなっと思ったことは、「主観の入り方」である。 経済学は「効用」の最大化を最も効率よく行うことを目標にしているので、環境経済学も「人類の主観」を元に語られていた。たとえば、ある特定の動物(例えば、鯨とかイルカ)を人格化又は神格化して、彼らの「効用」を考えた場合、「他の動物には与えないのか」ということになる。まだ発見されていない深海の魚や小さい虫などは完全に無視されることになる。だから、主観的にしか環境を考えられない。 しかし、当時この「主観の入り方」が経済学と生態学の環境を

    2008-05-12
  • 文系学問の「科学性」 - A Road to Code from Sign.

    正直、突っ込もうかどうか悩んだというのもあるのだが。 周知の通り、はてな界隈には(俺を含め)情報技術者とか理系大学生が結構いるのだけど(以下略) ほとんどはてブで突っ込まれてしまっているので特に言うことはない。が、この辺の断絶というのは、ステレオタイプ化しているだけに意外に根深い。実際には、理系といっても工学と医学では大きく違う(最近は両者の架橋も進んでいるのだけれど)。まして数学あたりになると、領域が理系なだけでディシプリン的な部分は人文系に近い。 他方、この手の「理系コンプレックス」「文系コンプレックス」の根っこにあるのは、実は文系の方の問題。工学やプログラムの連中に言わせれば、世の中を仕切っている「ブンケイさん」のおかげで、自分たちの仕事は正当に評価されていない、まともな予算配分がなされない、このままでは世界に後れをとる一方、ということになる。だが、文系の中でも特に哲学や文学などの人

    文系学問の「科学性」 - A Road to Code from Sign.
  • 社会科学系の「擬似科学」対策 - H-Yamaguchi.net

    This is Hiroshi Yamaguchi's personal weblog. It aims to be an incubator as well as an archive of my ideas and thoughts. Possible topics include: finance, business administration, economics, prediction markets, virtual worlds, and other issues.

    社会科学系の「擬似科学」対策 - H-Yamaguchi.net
  • archives of bewaad institute@kasumigaseki(2006-11-29)

    ■ [economy][law][politics][WWW][book]社会科学系の「擬似科学」対策の各種試み 山口浩さんが次のようなご指摘をなさっています。 富山大学人文学部中国言語文化コースの大野圭介助教授のブログ「朴斎雑志」の最近の記事「『トンデモ原論』――人文系の「ニセ科学」対策」に注目。(略)上記の記事は、学習院大学理学部物理学科の田崎晴明教授が作られた「[[『水からの伝言』を信じないでください|http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fs/]]」というページを引いて、人文科学の場合はどうだろう、と論じているものだ。(略)自然科学、人文科学とくれば、あとは社会科学ということになるわけだ。私にはその任は重いので、少し思うところを書くにとどめる。 「社会科学系の「擬似科学」対策」(@H-Yamaguchi.net11/28付) 略した部分を含め、一度原

  • 人文社会科学系の「トンデモ」「疑似科学」対策 - shinichiroinaba's blog

    http://puzhai.cocolog-nifty.com/zazhi/2006/11/post_7c05.html http://www.h-yamaguchi.net/2006/11/post_34fe.html ……みなさんはっきりおっしゃってないことがあります。社会科学者の中でも、経営学者と社会学者は、相対的にトンデモに弱い傾向があります。ああ……。 紋切型は、通じやすい。 幾何学的に整然としたものは美しく、美しいものは道徳的に正しい。道徳的に正しい行動は、物理的に美しい結果を生む。——この発想そのものの極端な「分かりやすさ」と、信じがたい貧困さ。歴史の中で人が紡ぎ、重ね、いまも生きたものとして動いている言葉に対する、これは侮蔑だ。 人文に関わるもの、文学者、数多の表現者こそ「水からの伝言」に怒るべきだ。 http://blog.so-net.ne.jp/schutsengel

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