終戦記念日でいくつかの文章を読んでいるうちに、「なぜ戦艦大和は、『かっこいい』存在として、戦後語り継がれたのか」という疑問が湧いてきた。 すでによく知られているように、第一次世界大戦後に構想された巨大戦艦=大和の概念は、大艦巨砲主義は、航空機の発達によって、太平洋戦争勃発前までに、「時代遅れ」になっていた。 何より、日本軍の航空機による1941年12月8日の真珠湾奇襲が成功しているのだ。 つまり、日本自らが、戦争のパラダイムシフトを象徴している。 真珠湾に停泊していた米国の戦艦8隻のうち4隻を撃沈し、3隻を大破させた。 日本海軍の航空部隊は、2日後にマレー沖でイギリス艦隊へも打撃を与える。 「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパルス」を撃沈したのだ。 大和自体は、ほぼ同時期1941年12月に竣工している。 映画でもよく登場する、1942年6月のミッドウェー海戦が初陣。 2回目の出陣は194