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ブックマーク / blog.tatsuru.com (7)

  • 『赤毛同盟』と愚鈍の生成について - 内田樹の研究室

    朝日新聞の求人欄の上に日曜に出ている「仕事力」というコラムのための取材を受けた。 その中で、「適性」とか「天職」とかいう言葉がどれほど若い人たちの労働意欲を損なっているかについて語った。 今、仕事を探している若い人たちの言う「自分の適性にあった職業」というのは、装飾を削ぎ落として言えば、「自分の手持ちの資質や能力に対していちばん高い市場価値がつけられる職業」のことである。 交換比率のいちばんいい両替機会を求めているのである。 ありていに言えばそういうことである。 そういう仕事をみなさん探している。 交換比率のいちばんいい両替機会を求めてうろうろするのは、やればわかるけれど、あまり賢いことではない。 でも、消費者マインドを刷り込まれた人たちは、「限られた持ち金でどれだけ有利な取引をするか」、費用対効果にしか興味がない。 それは大学で教えているとよくわかる。 学生たちは単位や資格や学士号の「市

    mikage014
    mikage014 2012/03/22
    才能の無駄遣いといわれるものが対極に位置するのかな。
  • 才能の枯渇について - 内田樹の研究室

    クリエイティヴ・ライティングの今年最後の授業で、「才能」について考える。 天賦の才能というものがある。 自己努力の成果として獲得した知識や技術とは違う、「なんだか知らないけれど、できちゃうこと」が人間にはある。 「天賦」という言葉が示すように、それは天から与えられたものである。 外部からの贈り物である。 私たちは才能を「自分の中深くにあったものが発現した」というふうな言い方でとらえるけれど、それは正確ではない。 才能は「贈り物」である。 外来のもので、たまたま今は私の手元に預けられているだけである。 それは一時的に私に負託され、それを「うまく」使うことが私に委ねられている。 どう使うのが「うまく使う」ことであるかを私は自分で考えなければならない。 私はそのように考えている。 才能を「うまく使う」というのは、それから最大の利益を引き出すということではない。 私がこれまで見聞きしてきた限りのこ

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    mikage014 2010/12/26
    「だから、人間らしいふるまいを怠ると、「人間的に悪いことが起こり、人間的に死ぬ」のである。」
  • 卒論の書き方 - 内田樹の研究室

    四回生たちに卒論中間発表の「心得」をメールで送信した。 学生にむかって「卒論とは何か」ということを書くのも、これが最後の機会であるので、記念にそれを転載することにした。 うちのゼミ生に限らず、「卒論って、どうやって書けばいいんだろう・・・」と困っている学生諸君の一助になればと思う。 みなさまへ「卒論中間発表の心得」 暑いですね。ぼくも暑さと忙しさで死にそうです。 みなさんも就活やバイトやら旅行やらでたいそうお忙しい夏休みをお過ごしのことと思いますが、「卒論」というものがあることを忘れてはいけません。 卒論中間発表について、ご連絡いたしますので、熟読玩味してください。 (1)とき: (2)ところ: (3)用意するもの:草稿、ハンドアウト(19枚) (4)草稿について:字数:6000〜8000字(音読して15〜20分) 必ず書かなければいけないことは 「タイトル」 「目次」 「序章」:ここでは

  • 労働について - 内田樹の研究室

    月曜の「キャリア教育」の一こまと、専攻ゼミで「働くとはどういうことか」についてお話する。 月曜の方は大教室で180人の学生さんを相手にマイクで講義という、ふだんしないことをする。 お相手は2,3年生。 就活についてはまだ不安だけという学年だけれど、バイトの経験はあるし、キャリアパスのための資格や免状のための科目はすでに履修しているし、セカンドスクールにも通っているものもいるから、「働く」ことについて漠然とした先入観は有している。 けれども、彼女たちの抱いている労働観は家庭教育とこれまでの学校教育の過程でずいぶん歪められている。 彼女たちは「ワーク」を「競争」のスキームでとらえている。 閉じられた同学齢集団内部で相対的な優劣を競うことが「ワークする」ことだと思い込んでいる。 そう教えられて二十歳近くまでやってきた彼女たちには、社会に出てから後は「ワークする」ことの意味が違ってくるという消息が

  • ドイツのつぎはフランスから - 内田樹の研究室

    毎日入試関連の会議。昨日も会議が3つ。今日もこれから夕方まで会議が4つ。 どうしてこんなに会議が多いんだろ。 会議のあいまにあれこれと用事を言いつけられるが、一つの用事が終わらないうちに次の会議が始まり、それが終わった頃には次の用事が言いつけられ、しだいに「未済」の仕事がうずたかくデスクにたまってゆく。とほ。 出版社からは「もう春休みなんですから。はやくゲラ返してください」と次々と督促メールが来るが、春休みも毎日出勤してるんですってば。 デスク仕事をしていると講演依頼、連載依頼、新規書き下ろし依頼などのメール、ファックス、電話が来る。 「たいへん申し訳ありませんが、2010年度は大学最後の年ですので、教育と学務に専念するため、学外でのお仕事は原則としてお断りしております。貴意に添えずにまことに申し訳ありませんが、微志ご諒察の上、ご海容ください。」 というストックフレーズを「クリシェ」にし

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    mikage014 2010/02/18
    "オレもそういう日本だったら、観光に行ってユーロを散財するにやぶさかではないけどね"
  • 指折り待ってた夏休み - 内田樹の研究室

    木曜日、生きて夏休みを迎えることができた。 夏休みといっても、毎日仕事で大学には出勤するのである。 火曜日は5限まで授業があり、授業後、東京から来てくれた矢内さんを飛行機の時間ぎりぎりまで並木屋にてご接待。 鱧をす。美味。 水曜日はオフ。でも、取材のため出勤。朝日ファミリーという媒体で「学力のつけ方」について。 学力とは何かという根のところで、私は文科省ともメディアに出てくる教育評論家の多くとも考え方を異にする。 学力とは読んで字の如く「学ぶ力」である。 「学びに開かれてあること」のことであり、「学んで得た知識や技能や資格などなど」のことではない。それらはたかだか学力の副産物にすぎない。 「学ぶ力」というのは次のようなことを言う。 (1)自分には知識や技術や見識や情報や、なんであれ、「大人」として遇されるためのものが欠如しているという感覚を有すること (2)自分にそれを与えてくれる「メ

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    mikage014 2009/08/02
    「自分にそれを与えてくれる「メンター」を探し求めるセンサーが起動していること」
  • 失敗の効用 - 内田樹の研究室

    下川正謡会の番が終わる。 社中のわれわれにとっては「一年で一番長い日」である。 楽屋でドクター佐藤とお茶を飲みながら、「どうして、オレたち、こんなに苦しいことを自腹切ってまでやってんだろ」と顔を見合わせる。 舞囃子で能舞台に立つことのストレスに比べたら、学会発表なんか、何でもないですからねとドクターが答える。 ほんと。これに比べたら、講演とか学会発表とか、ピクニックみたいなもんだよね。 なるほど、そういう訳か。 人間は同時に二つの苦しみを苦しむことができない。 私は前に激しい胃痙攣の発作を起こしたとき(わさび漬けをアテに白ワインを飲んだのである)、廊下のドアにしたたかに顔面を打ち付けて顔の半分を紫色に腫れ上がらせたことがあるが、このときも、胃痙攣の発作が治まるまで、顔に痛みがあることに気づかなかった。 なるほど、そういう訳なのだよ。 われわれは年に一度この舞囃子の舞台というものがあって、

    mikage014
    mikage014 2009/06/01
    私たちは「自分の失敗のパターン」について、できるかぎり情報を持っておくべきなのである。
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