世界的なシャンソン歌手で俳優としても知られる、フランスのシャルル・アズナヴールさんが、フランス南東部にある自宅で亡くなったことを、1日、広報担当者が明らかにしました。94歳でした。 アズナヴールさんは先月来日し、東京や大阪のNHKのホールで公演していました。
世界的なシャンソン歌手で俳優としても知られる、フランスのシャルル・アズナヴールさんが、フランス南東部にある自宅で亡くなったことを、1日、広報担当者が明らかにしました。94歳でした。 アズナヴールさんは先月来日し、東京や大阪のNHKのホールで公演していました。
「午前十時の映画祭10-FINAL」をもって終了 映画史に残る世界の名作を上映してきた「午前十時の映画祭」が、2019年4月にスタートする第10回「午前十時の映画祭10-FINAL」をもって終了することが、1日に発表となった。 「午前十時の映画祭」(主催:川喜多記念映画文化財団、映画演劇文化協会)は、新たな映画ファンの育成を目指して、2010年2月に全国25館でスタート。傑作の数々を低料金で観られることもあって着実にファンを増やし、現在も全国58館で第9回(~2019年3月28日)が開催されている。 2013年には上映素材がフィルムからデジタルに切り替わるなど、環境の変化にも対応してきた。しかし、通常の新作映画と異なり、主催者側が負担してきた宣伝費や、デジタル映写機器を提供するサービス会社に支払うVPF(ヴァーチャル・プリント・フィー)など、諸経費の負担が当初の想定以上に増加。これ以上の継
ことしのノーベル医学・生理学賞の受賞者に、免疫の働きを抑えるブレーキ役となる物質を発見し、がんに対して免疫が働くようにする新たな治療薬の開発などに貢献した京都大学特別教授の本庶佑さんが選ばれました。
焼夷(しょうい)弾に焼かれ、泣き叫び裸で逃げる9歳の少女――。1972年、ベトナムの旧サイゴン(現ホーチミン)郊外で撮影された「ナパーム弾の少女」は、ベトナム戦争の惨禍を世界に伝え、反戦のうねりを生んだ有名なピュリツァー賞受賞写真だ。 被写体の「少女」キム・フックさん(55)と、撮影した元AP通信のニック・ウトさん(67)に私が初めて会ったのは米ロサンゼルス支局長だった2012年。ウトさんも当時、APのロサンゼルス支局にいた。現地記者の集まりで彼と知り合ったことから、キム・フックさんと二人三脚での講演活動を取材した。 やけどの痕が広がる背中や腕はずっと痛む。それでも彼女は恨みや怒りを乗り越え、戦争にかかわった人たちをゆるし、戦争の悲惨さを説いた。ベトナム生まれのウトさんは撮影するや彼女を病院へ運び、以来、支え続けた。そんな2人の記事を同年7月の本紙国際面に書いた。 私には心残りがあった。彼
回転寿司に行くと焼き肉やコーンがのった寿司が当たり前のように回っている。回転寿司は自由だ、寿司の無法地帯なのである。僕はその中でもエビアボカドマヨネーズが好きだ。ネットで調べるとこういう寿司は「邪道寿司」と呼ばれているらしい。 邪道と呼ばれているくらいなのだから、本業のお寿司屋さんはもしかしたら回転寿司のことを「てやんでい!あんなの寿司じゃねぇよ、バカ野郎!」と思っているのかもしれない。 実際はどう思っているのか知りたくなったので、浅草の寿司屋に行って店主に邪道寿司を食べてもらって感想をもらうことにした。 大学中退→ニート→ママチャリ日本一周→webプログラマという経歴で、趣味でブログをやっていたら「おもしろ記事大賞」で賞をいただき、デイリーポータルZで記事を書かせてもらえるようになりました。嫌いな食べ物はプラスチック。(動画インタビュー) 前の記事:自分のグッズがでるガチャガチャが作りた
2018年9月13日(木)告示、9月30日(日)投票の沖縄県知事選挙は、玉城 デニー 候補、佐喜眞 淳 候補、渡口 初美 候補、兼島 俊 候補の4人の争いとなった。 2018年9月26日(水)、青山 繁晴 氏(参議院議員 / 自民党 2016年全国比例)が、豊見城市内において、佐喜眞 淳 候補(無所属 / 新人 / 推薦: 自民、公明、維新、希望)の応援演説を行った。 ■ 2018年9月26日(水)夜 青山 繁晴 氏 演説(文字起こし) ありがとうございます。 皆さん、こんにちはー! (聴衆「こんにちはー。」) 参議院議員の、青山繁晴です。 今日、ここに来るのを、誰にも頼まれてません。 (聴衆の笑い) 自由民主党にも頼まれてない。 安倍総理にも、頼まれてない。 (トーンを下げて) 本当は、佐喜眞さんにも頼まれてない。 (聴衆の笑い) 誰かに頼まれて来たりしない! 祖国の沖縄、日本の誇りの沖
タイ生まれ、無国籍。激動のタイを記録してきた 報道カメラマンとして、第2次世界大戦後、激動のタイを記録してきた瀬戸正夫さん(87歳)。波乱万丈の人生のなかで、瀬戸さんの思い出に残っている食事について聞く機会をいただきました。 瀬戸正夫さんプロフィール 1931年、南部プーケットで日本人の父とタイ人の母との間に生まれ、終戦後、両親と離れ離れとなり、日本人抑留キャンプで収容生活を送る。その後、日本国籍を失い、タイ国籍を取得するまで約20年、無国籍だった一方、職を転々とするなど、歴史に翻弄(ほんろう)された半生を送ってきた。朝日新聞バンコク支局(現アジア総局)で助手兼カメラマンとなり、タイを中心に激動の東南アジアを取材。また、日本のNGOの活動なども手伝いながら、少数民族やスラムの子どもたちなども撮り続けている。 ▲瀬戸さんと愛車の三菱ランサー ©️瀬戸正夫 ──お生まれはプーケットですよね。
沖縄県知事選で、県民が選んだリーダーは、翁長雄志(おながたけし)氏の遺志を継ぐ玉城デニー氏(58)だった。米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に、再び示された「ノー」。だが、安倍政権は工事を推し進める構えで、玉城新知事は厳しい県政運営を強いられる。 玉城氏は翁長氏の支持層と無党派層を取り込むことに成功し、大勝を収めた。 前回知事選で、翁長氏は辺野古の埋め立てを承認した現職の仲井真弘多(ひろかず)氏への反発も追い風に、保守、革新の立場を超えた「オール沖縄」の結集を呼びかけて大勝した。 今回はオール沖縄が崩壊寸前だった。移設計画を推し進める安倍政権との先の見えない対立が続き、辺野古の工事が着々と進んだ。2月の名護市長選など県内の首長選挙で連敗し、保守層の一部が離脱。さらに翁長氏という軸を失った。 とはいえ「辺野古反対」の意見は根強い。玉城氏は、そうした県民感情を広く取り込むことを狙った。 「
わたしが作家・小松左京の名前を知ったのは、1964年のことである。 京都大学人文科学研究所(人文研)の助手として10年がすぎ、前年から1年間、アメリカのアイオワ州グリネル大学で交換教授として教え、帰国したばかりのころであった。アメリカ生活は3度目であったが、まるまる一年も日本を離れたのは初めてで、帰国したときには一種の精神の空白状態。それを埋めるべく、誰かれつかまえては、この間に読むべき本は出たか、必読書は何かとたずねてまわった。すると助手仲間の多田道太郎、樋口謹一、山田稔の各氏や謹厳な高橋和巳までもが異口同音に、小松左京という新進作家の長編小説『日本アパッチ族』こそ必読書であるという。 さっそく買い求めて読んでみたが、たしかにおもしろい。人間が鉄を食うという発想が奇抜だし、その設定を押しとおす腕力と図々しさ。山田稔が山田捻(ひねる)という名前で出てきたりもする。抱腹絶倒するとともに、こん
天皇が「深い悲しみを新たにいたします」と述べた平成最後の終戦記念日、靖国神社(東京・九段北)には安倍晋三首相はじめ現役閣僚の姿はなく、中国や韓国も一頃ほど神経をとがらせなくなった。しかし、その落ち着きの裏で、靖国神社は“爆弾”を抱えていた。来年、天皇の「代替わり」と創立150年が重なる大きな節目を目前に、前代未聞の問題発言が神社トップである宮司から飛び出したのだ。 ◆「そう思わん?」「わかるか?」 靖国神社では今、来年の創立150年に向け、境内のいたるところで改修工事が行なわれている。だが、その内部では、修復不可能なほどの“綻び”が生じていた。 6月20日、靖国神社の社務所会議室で行なわれた「第1回教学研究委員会定例会議」で、その重大事は起きた。今年3月に第十二代靖国神社宮司に就任した小堀邦夫氏(68)が、創立150年に向けて新たに組織したのが「教学研究委員会」だった。これからの靖国神社が
警視庁によりますと、1日午前6時20分ごろ、京王線の電車が東京・世田谷区の代田橋駅と明大前駅の間で、倒れていた塀とみられるものと接触したと通報があったということです。電車内に乗客がいたかやけが人がいたかなどは現在わかっていないということで、警察で確認しています。 ▽新宿駅とつつじヶ丘駅の間 ▽新線新宿駅と笹塚駅の間 ▽調布駅と橋本駅の間 ▽それに井の頭線の渋谷駅と明大前駅の間のそれぞれ上下線で運転を見合わせています。
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