減税日本の小林興起代表代行は、代表を務める名古屋市の河村市長が、日本維新の会との合流を断念する考えを示したことを受け、維新の会に入党したいとして離党届を提出しました。 減税日本の代表を務める名古屋市の河村市長は、日本維新の会との合流を希望していましたが、維新の会側が難色を示し、見込みが立たないとして、21日に合流を断念する考えを示しました。 これを受けて、減税日本の小林興起代表代行は、「維新の会と減税日本の合流に向けて橋渡し役を務めてきたが、合流がなくなった以上、党にとどまる理由がなくなった」などとして、21日午後、離党届を提出しました。 このあと、小林氏は維新の会の平沼国会議員団代表と会談し、入党したいという考えを伝えました。 減税日本には、先に民主党に離党届を提出した橋本勉前衆議院議員が20日に入党し、小林氏が離党しても、所属する前衆議院議員はなお5人いるため、政党として存続することに
ありませーんw それで…本当に出演するんでしょうかね? 今のところソースはこの人だけなんですけど。 ※誤報確定です。よかたですね
合流した太陽の党メンバーへの配慮などが背景にあるが、既成政党からは「大衆迎合で、思いつきの政策を発信してきた結果だ」などと批判が出ている。 維新の会の橋下徹代表代行は20日のTBSの番組で、「(首長と国会議員の)兼職禁止規定というものがあるが、この禁止を外してもらえれば、僕は次の参院に挑戦させてもらいたい」と述べ、首長と国会議員の兼務を禁止した地方自治法が改正されれば、大阪市長のまま参院選に立候補する考えを表明した。 維新の会は、8月にまとめた維新八策で「参院廃止を視野に入れた衆院優位の強化」「二院制だとしても現在の参院は廃止」と掲げている。橋下氏は「まず参院改革の一歩として、自治体の長が参院に入り、さらに次のステップを迎えるのではないか」と説明した。 維新八策や、9月にまとめた党規約は「企業・団体献金の禁止」が明記されているが、橋下氏は20日、この撤回も表明した。関係者によると、太陽の党
減税日本代表の河村たかし名古屋市長は21日、日本維新の会(代表・石原慎太郎前東京都知事)との合流を断念する考えを明らかにした。河村氏は第3極の結集に向け、合流を目指してきたが、実現には至らず、今後は選挙協力などを模索する。 河村氏と石原氏は今月15日、減税日本と太陽の党の合流を発表。その流れで、日本維新の会に合流する方針だったが、代表代行の橋下徹大阪市長が政策の違いから難色を示し、合流はいったん白紙になった。 河村氏は20日にも都内で石原氏と会談。改めて合流を要請したが、協議はまとまらなかった。河村氏は21日朝、記者団に「合流は断念した。ただ、色んな道があり、第3極で協力しないといけない」と語った。 また、これまで石原氏が結成する新党への入党を公言していた減税日本代表代行の小林興起氏はこの日、読売新聞の取材に「河村市長が合流を断念すれば、減税日本を離党し、維新の会から出馬したい」と述べた。
トップ > 愛知 > 11月21日の記事一覧 > 記事 【愛知】 <なごやオリエンタル物語>(上) 高級な味を家庭料理に Tweet mixiチェック 2012年11月21日 日本初の即席カレーとして売り出された当時のパッケージ=オリエンタル提供 六十七年前の十一月、日本初の本格的な即席カレーが完成した。手掛けたのは名古屋市中村区に本社を置くオリエンタル。宣伝カーを使ったり、個性的なテレビCMを流したり、積極的なPRも成功。小さなメーカーがアイデアと熱意で、カレーが国民食となる道筋をつけた。日本経済が疲弊し、ものづくりの自信が揺らぐいま、同社の歩みから再生のヒントを探る。 (この連載は栗田晃が担当します) 終戦直後の一九四五(昭和二十)年秋、中村区椿町。闇市が立つ街の一角で、日本の食卓を変える研究が進められていた。 当時三十五歳の星野益一郎(ますいちろう)は、妻の好美とともに、小麦粉やカ
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