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2014年7月1日のブックマーク (3件)

  • オプテンノール (船) - Wikipedia

    船首から見たオランダ客船時代のオプテンノール オプテンノール(オプテンノート, オランダ語: Op Ten Noort)は、1927年にオランダ王立郵船会社(nl:Koninklijke Paketvaart Maatschappij, KPM)が就航させた旅客船である。太平洋戦争の勃発後、オランダ海軍に徴用されて病院船となったが、1942年(昭和17年)2月下旬のスラバヤ沖海戦で日海軍により拘束された。その後、天応丸(てんのうまる)や第二氷川丸(だい2ひかわまる)の名で、日海軍の病院船として運航された[1][2]。終戦直後の1945年(昭和20年)8月19日、舞鶴沖合(若狭湾)で自沈処分。戦後は、賠償問題や財宝伝説により注目された[3][4]。 オプテンノールは、オランダ王立郵船会社(KPM)のオランダ領東インド向け客船として1923年竣工の姉妹船プランシウス(5955総トン)に続き

    オプテンノール (船) - Wikipedia
  • 『香住漁港の徴用船 その1』

    El Despacho Desordenado ~散らかった事務室より~2015年1月4日から「Diario de Libros」より改名しました。 メインはの紹介、あとその他諸々というごっちゃな内容です。 2016年4月13日にタイトル訂正。事務机じゃなくて「事務室」です(泣)。 陸軍による中国戦線への徴用とその顛末 陸軍による漁船の徴傭は1938(昭和13)年に始まりました。当時は日中戦争(支那事変、日華事変)勃発から数えで2年目、長期化と戦線拡大に伴う揚子江沿いの物資輸送に用いるのが目的でした。『戦う日漁船』にもこの時期に「西日の漁港からある程度まとまった数」(p.33)が徴用されていた事実が記されています。 この徴用において特筆すべきは陸軍が募集し、希望する漁業者側がそれに申し込む、という形だった点です。 ここで『香住漁協史』下巻の634~635ページに掲載されている、第一次

  • http://argevollen.com/

    mikemaneki
    mikemaneki 2014/07/01
    主役機っぽいのより雑魚っぽい箱な感じのやつのがカッコいい