「何のために生きているんだろう」「生きる意味なんてないんじゃないか」そんなふうに考えたことがある人はいないでしょうか?苦しいときときや悩んでいるとき、私たちはいつの間にか、そうやって考えてしまうものです。でも、「生きる意味」って、そんな簡単に見つけられるものではありません。しかし、生きる意味っていったい何なのでしょうか。 結論を先に言えば、「生きる意味」などどこにもありません。なぜって、世界のあらゆるものに意味を与える源泉となるのが「生きること」であり、生きることに意味を与えるものはないからです。世界のあらゆるものには意味がありますが、「生きること」には意味がありません。私たちが生きることは、「生きる意味」なんかで表せないほど、かけがえのない、素晴らしいことなのです。 たしかにそれぞれ生きていく中で、「これが生きる意味だ」と感じることもあるかもしれません。しかし、それは決して本当の生きる意
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
突然の出会い: プラウベルマキナについて 日本がバブル経済に突き進み始めた頃に3,500台ほど作られ、数年後にひっそり生産が閉じられた超短命製品プラウベルマキナW67とご縁があった。 その生産数の少なさからまともな個体と出会うことがなかったのだけど、使わないデジタル機材一式を売りに行った帰りにガラス…
「ソープへ行け」と僕は彼女に言われた。 僕が人生で初めて告白した彼女だった。 優しくて、賢くって。とても綺麗で。 20歳超えて童貞なんて信じられない。私に幻想を抱かれても困る。 汚物をみるような目で、心底哀れむような目で、僕はそういわれた。 ぼきん、と僕の中で何かが折れる音がした。 そうか。幻想は求めてはいけないんだ。愛情なんて求めてはいけないんだ。 僕は少ない学生生活の残りを全て勉強に費やし、一流と言われるような企業に入った。 そして、得た金のほとんどを風俗に費やした。 そうか。やっぱり彼女のいった通りだった。とても簡単なことだったんだ。 それから、お金を使うのが惜しくなった僕は、適当に女を探した。 なるべく効率を上げるためには、弱い女が良かった。 親から愛されなかった女子高生や、夫から愛されていない人妻や、愛とかとくに考えていない頭が弱い女子大生。 みんな、簡単に僕と寝て、僕を愛した。
文化系トークラジオLifeがこの間「友達」をテーマにしたので(→http://www.tbsradio.jp/life/20070422/)、古谷実の『わにとかげぎす』について何かヒントをと思い、メールを送ってみました。 古谷実に特化した内容だったので読んでもらえるか心配でしたが、さすがはLife、読んでくれました!!以下に送信したメールの抜粋を。 僕は古谷実原理主義者と名乗りたくなるくらい、古谷作品に強く同調してしまうんですが、今回のテーマを聞いて、連載中の『わにとかげぎす』に触れないわけにはいかないと思いました。 古谷実は、『稲中』以来ずっと疎外感・孤独感との格闘を描き続けてきましたが、『ヒミズ』を経てついに『シガテラ』で「結局ひとりなんだ」ということを描いてしまったように思います。しかし『わにとかげぎす』は、またもう一度孤独から出発しています。これまでとは異なる孤独との付き合い方を模
個体/集団 - Double Line 「凝集」は、モラルハザードとリスク回避によって、維持が可能な集団を形成しコーシャスシフトしていくこと。これはコーシャスシフトを発生させる主因が存在することで発生する。 「開放」はその力場エネルギーによって個別の判断で分散していく。 「自壊」は「パニック」に近いと思っている。「混乱」によって「場」が攪拌・霍乱され「凝集」と「開放」という状態が同時にできるのではないかと推測している。 基本的に、「中心」に回転する力場から拡がるようにして閉鎖と開放を繰り返す。これは自己成就予言が言葉として「成る」ものだろう。個人の自己成就予言によって個人から力場が微弱ながら形成され、そこにある言葉とイメージから、受け手の「感じ方」も変わってくる。「中心」に回転する力場から拡がるようにして閉鎖と開放を繰り返す。個人の自己成就予言によって個人から力場が微弱ながら形成され、そこ
「あなたにとって、自分のブログとはどういう場所ですか?」という問いで樹形図を作ってみたらどうなるだろう? ちょっと考えただけでも、互いに相容れない*1いくつかのモデルがある。 キャリアアップのためのプロモーションの場所だよ 自分の成長の記録を綴るところだよ 自分の芸を披露するための舞台だよ リアルで発表する機会のない話題を置くところだよ 同好の士とか気の合う仲間とダベるところだよ 社会を変えていくためのアジテーションの場所だよ これこれの専門分野を普及・啓蒙させたいよ おこづかいを稼ぐ手段だよ 等々。前提だけでこんなに違うのだから、そりゃあ衝突も平気で起こるし(「俺は芸を披露したんじゃねえ!」みたいな)、ブロゴスフィアの断片化も どしどし進むわけだ。 ちなみに自分について言えば、「自分の成長の記録を……」が主で「リアルで発表する機会のない……」が副のつもりだけど、主目的が日和り気味なのは確
昔、所属していたサークルには、練習が遅くなると自分を含む女の子数人を先輩が車で順番に送る習慣があった。私はいつも最後だった。 その人は大先輩で、8年つきあってる彼女さんがいて、自分とは年が12歳も離れていたから、信用しきっていた。好きでも嫌いでもなかったしね。 で、うっかり眠ってしまい、気が着いたら車は知らない山の中に止められていて、まぁ要するに無理矢理やられてしまったんだ。私は当時18歳で処女だった。 それまでずっと「好きでもない人とセックスするのなんか信じられない!初めては本当に好きな人とする!」と言い張っていたし、本当にそう思っていたのに、その時は頭の中が麻痺したような感じになって「早く終わらないかな」とか考えていた。 抵抗したけれど力では全く敵わず、「ここであまり騒いで殺されたくない」「寝てしまった自分が悪い」「今、車から降りてもここがどこか分からないから帰れない」という自分でも信
――たしかに、エッセイでない主張文の場合や、ツッコマビリティを低下させたい場合は、アウトラインを紙に構成してから書くほうがいいかも。(つまらなくなっても! 9.network つきあい|コミュ|組織 5,お約束(習い事) てつづき|技術 公正って、なんだろう。 辞書的な意味は分かる。原則、公正であるべき職業や場があることも分かる。 しかし、一人の人間が生きていくうえで、その個人として、常に公正であるべきではないだろう、むしろ公正でないことを求められる場合も多々あるだろう。 同じ人間群に対して、公正に対応したほうがうまくいくときと、公正でなく対応したほうがうまくいくときとがあるだろう。 公正はひとつの便宜、ひとつの手段。不公正もまた同様。それぞれ適した場がある。そして、どこに適すると考えるかは、また人によって異なる。大多数の人が、ここでは公正であるべき、と思う場もあれば、その逆に思う場もあり
それは、けっこう、天才的に、芸術的に。 そして、そういう才能に溢れた人は、その才能に依拠して生きるようにもなる。 で、と。 人は自分の弱みというのを覆い隠すように自我を形成しつつ、その暴露の恐怖を感じ取っている。だから、人の弱みを見つけ出す才のある人にその恐怖を投影して恐れる。 これは、恐れるなというのが無理。 そのために、弱みを持つ人は、それが弱さでないかのように自我を強化することがある。 では、その自我強化と、弱点突き芸人の芸と戦ってどっちが勝つか。 これは、弱点突き芸人のほうが勝つ。 普通の人は負ける。 というか自身の弱点で滅びる。 あるいは、人は悪には勝てないようにできている。 弱点突き芸人というのは悪だ。そしてそれは悪ゆえに人を魅了する。 もし、戦うなら戦略は逆の構図を採らないといけない。 悪のターゲットは己の中にあるのだと知ること。しかし、克己というだけではなく、その弱点は弱点
アメリカのイラク迷走、それは第2次世界大戦のせい 戦後日本とイラクの違いは――フィナンシャル・タイムズ(1) 2007年5月31日(木)19:43 (フィナンシャル・タイムズ 2007年5月15日初出) FT国際担当コラムニスト ギデオン・ラクマン アメリカはどうしてイラクで戦争することにしたのか? 開戦から4年以上もたって、この問いに未だまともな答えが出ていない。これは異様なことだ。この戦争は本当に「大量破壊兵器」が全てだったのか? 本当のねらいは、中東の勢力地図再編という壮大な計画だったのか? あるいは米国は単に、2001年9月11日の同時多発テロの後だけに、自分たちの力を盛大に誇示したかったのか? それともこれは「石油のための戦争」だったのか? 私が思うに、2番目にあげた「中東再編」が最も重要な動機で、そのほかの要素も全部影響したのではないか。その上で私はもうひとつ、第五の要
言うまでもなく、不妊症には男性側、女性側双方に原因が求められます。男性側には精子減少症、無精子症、精子無力症などがあり、女性側には卵管閉塞症、排卵障害、子宮内膜症などがあります。 この中で卵管閉塞症と子宮内膜症が原因のものの一部は、婦人科の外科的手段により、それ以外はホルモン療法により治療が行なわれます。排卵誘発剤の使用方法の進歩により、排卵障害が原因の不妊症は、比較的治療成績が良いとされていますが、それ以外の不妊症の治療成績は、あまり芳しいものとは言えませんし、ホルモン剤による副作用は避けて通れないものです。 (直接ホルモン剤を使わないで、「内分泌システム」を上位から支える「治癒システム」を正常化する方法もおすすめ出来る治療方法です。)(後述) 各種検査によりこれらの原因が特定されない、不妊症を「原因不明の不妊症」と言い、全体の10〜15%を占めると言われています。現代医学では解明
斎藤環から茂木健一郎への手紙 はじめまして。 はじめておたよりします。斎藤環と申します。 茂木さんの著書は何冊か読ませていただきましたが、その精力的な活動のすべては、とうていフォローし切れていない点をまずお詫びいたします。 そのかわりといってはなんですが、妙なエピソードからはじめさせていただきます。 じつは私は、茂木さんとこれまでに何度かニアミスしているんですよ。たとえば、私は2006年の夏休みにフライブルクに行ったんですが……(といえばピンと来るかも知れませんね)、ルフトハンザ機内で私たち家族の斜めうしろに茂木さんが座っておられました。驚いたのは、往路だけならまだしも、復路の機内でもほぼ同じ位置関係で、なんというか、この「偶有性」には驚かされました。思えばあの時点で、この企画は萌芽的かつ徴候的に成立しつつあったのかもしれませんね(笑)。 私の茂木さんへの親近感はこれに留まりません。私たち
前にも書いたが、健全なことやってるとやっぱり文章が書けなくなる。 今日みたいにバイトで「働いたぞ!」的なちょっと幸せ疲労感を感じていると、途端に文章が書けなくなる。いや、まあ「今お前文章書いてんだろ!」というツッコミはもっともなのだが、正確に言えば文章を書く上で器用じゃなくなるとでも言うのだろうか。普段考えて温めてるような話題だと不健全な生活してたら、自分で言うのも難だけど結構器用にエントリ化できる。ところが、こう何かある意味満たされてしまっているというか、明日のための活力に冷えたビールが飲みたくなるようなポジティブな自分が作られていると、どうにも不器用になってしまう。 これ以上書いても自己分析なだけなのだけど、まあ書くと、おそらく身体的な不器用さと文章的不器用さが天秤にかかってる部分があるんだろうな。 文章が器用に書けるときは実生活が不器用になっているのに対し、実生活で器用に動けるときは
例えば「日立の製品は安くて質が良い」と書いても誰も信じてくれないわけですが、そんな「個人的意見」でも繰り返し言い続けると…… ■ People Often Think An Opinion Heard Repeatedly From The Same Person Is Actually A Popular Opinion (ScienceDaily) 「同じ人から何度も同じ意見を聞かされると、それがポピュラーな意見だと信じてしまう」とのこと。"Journal of Personality and Social Psychology"の最新号に掲載されている研究結果だそうですが、どんな内容かというと: ハーバード大学など6大学1,044人の学生を対象に行われた実験が行われた。 学生は「3人から意見を聞かされるグループ」「1人から意見を聞かされるグループ」「(1人から)繰り返し意見を聞かされ
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