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名言と人生に関するmisakinのブックマーク (2)

  • 小沢一郎版夷陵之戦: 極東ブログ

    太平洋戦争が終わって12年後、あるいは日の切り離された土側を日と呼び直して主権を回復してからなら5年後の昭和32年に私は生まれた。戦後すぐに生まれた団塊世代からは一巡しているくらいの歳差もあり、私は彼らのように単純な反抗の世代とはならなかった。戦中世代と団塊世代の人たちの少なからぬ人たちは、GHQイデオロギーのままに、私の父の世代にあたる戦争世代の人びとを糾弾した。あなたたちが戦争を起こしたのだ、と。それでも戦争を選んだのだ、と。父の世代は沈黙した。反抗する世代に返す言葉は空しい。幼い私はその沈黙をじっと見ていた。年上の団塊世代も見ていた。そして平和とはなんだろうと考えた。 なにが無謀な戦争に駆り立てたのだろうか? 私は戦争に加わった人びと、あるいは結果的に荷担した人びとの思いも探った。そこで見えてきたものは、英霊であった。死霊である。そんなことをしたら、そんなことを言ったら英霊に申

    misakin
    misakin 2010/09/15
    [そんなことがあってよいものかという怒りとともに私が見たものは、彼女が英霊となり、彼女の死を無駄にするなとしてわき起こる暴力の姿だった。また死霊がいた。」
  • @nifty:為末大オフィシャルサイト「侍ハードラー」:コミュニケーション

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    misakin
    misakin 2010/06/08
    「もし今人が受け止めてくれなくても、わかってもらえるという気持ちは元々あったかもしれません。おそらく私が私と認識できぬ、その時、母は私を全肯定していたのでしょう。」
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