Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee ハン・ガン『別れを告げない』斎藤真理子訳(白水社)について、東京新聞のコラム「海外文学の森へ 81」に書きました。今日5月21日夕刊に掲載されています。 ****** これは「幻視者(ヴィジョネール)の文学」ではないか、というのが筆者の見立てだ。ヴィジョネールの作家・詩人についてはフランス文学に長い歴史がある。ネルヴァルとかミショーとか。もちろんフランスだけではないけれど(ドイツの美術とか)、この作品を読んで脳裏に浮かんできたのは、そのことばだった。60年代のフランス文学全盛時代に学生だった者にとって「ヴィジョネール」はある種、特別な意味を含んだ呼称なのかもしれない。例えば梶井基次郎なんかは「ヴィジョネールの作家」と
日本語、台湾語、中国語、3つの言語をあやつりながら瑞々しいデビュー小説集『来福の家』を上梓した温又柔さん。小説・イラスト・コミックと、様々な表現方法で「言葉」と「記憶」をモチーフにした作品を発表しているアーティストの小林エリカさん。共通の知人がいたにもかかわらず、今まで会う機会のなかった初対面のお二人。存分に「ことば」について語り合っていただきました。 『来福の家』は「名前小説」 温又柔さん(以下・温)●エリカさんとは、私が2009年に出したzine(小部数の出版物)『たった一つの、私のものではない名前~my dear country』がご縁なんです。版元の<葉っぱの坑夫 http://happano.org/>さんの方から、エリカさんが私のzineを気に入ってくださっていると教えてもらったのがお名前を知った最初なんです。ちょうどエリカさんの著書『この気持ち いったい何語だったらつうじるの
日本語、台湾語、中国語、3つの言語をあやつりながら瑞々しいデビュー小説集『来福の家』を上梓した温又柔さん。小説・イラスト・コミックと、様々な表現方法で「言葉」と「記憶」をモチーフにした作品を発表しているアーティストの小林エリカさん。共通の知人がいたにもかかわらず、今まで会う機会のなかった初対面のお二人。存分に「ことば」について語り合っていただきました。 『来福の家』は「名前小説」 温又柔さん(以下・温)●エリカさんとは、私が2009年に出したzine(小部数の出版物)『たった一つの、私のものではない名前~my dear country』がご縁なんです。版元の<葉っぱの坑夫 http://happano.org/>さんの方から、エリカさんが私のzineを気に入ってくださっていると教えてもらったのがお名前を知った最初なんです。ちょうどエリカさんの著書『この気持ち いったい何語だったらつうじるの
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