お笑い芸人のエスパー伊東さん死去、63歳 カバン芸で大ブレーク 多発性脳梗塞で闘病
歌手で俳優の神田沙也加さんが18日、滞在していた札幌市内のホテルで倒れているのが見つかり、搬送先の病院で亡くなりました。35歳でした。関係者によりますと部屋の窓から転落したということで、警察は自殺の可能性もあるとみて調べています。 関係者によりますと、18日午後1時ごろ、札幌市内のホテルの14階部分にある屋外スペースで倒れているのが見つかり、病院で手当てを受けていましたが死亡しました。 滞在していた上層階の部屋の窓から転落したということで、警察は現場の状況などから自殺の可能性もあるとみて詳しい状況を調べています。 神田さんは俳優の神田正輝さんと歌手の松田聖子さんの長女で、2001年のデビュー後は歌手や俳優、声優としても活躍し、大ヒット映画「アナと雪の女王」の日本語吹き替え版では主人公・アナの声を演じました。 神田さんは18日、札幌市内で上演されているミュージカルに出演する予定でしたが、直前
プロ野球のヤクルトなどで監督を務めた野村克也さんの妻でタレントとしても活躍した野村沙知代さんが亡くなったことが関係者への取材でわかりました。85歳でした。
100歳をすぎても現役の医師を続け、高齢者が活躍できる社会の在り方などについて提言を続けた、文化勲章受章者の日野原重明さんが、18日朝、亡くなりました。105歳でした。
鳳啓助さんとのめおと漫才で一躍人気を得て、テレビや舞台で女優としても活躍した京唄子さんが6日に亡くなりました。89歳でした。
大相撲の元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)が31日、東京都内の病院で死去した。61歳だった。 同親方は2015年名古屋場所を全休し、膵臓(すいぞう)がんの手術を受けた。その後は職務に復帰していたが、最近はがんの転移が見つかったとされ、闘病を続けていた。 九重親方の略歴は以下の通り。 ◆九重貢(ここのえ・みつぐ)元横綱千代の富士。本名は秋元貢。1955年(昭30)6月1日、北海道松前郡福島町生まれ。70年秋場所初土俵。75年秋新入幕。81年秋から横綱に。通算1045勝。優勝31回。三賞7度。金星3個。89年には国民栄誉賞に輝いた。91年夏場所限りで引退後、年寄陣幕襲名。92年4月に九重を襲名し部屋の師匠に。08年2月に理事初当選。広報部長、審判部長、巡業部長などを経て、12年2月から事業部長。15年名古屋場所を休場し、膵臓(すいぞう)がんの手術を受けていた。家族は夫人と1男2女。現役
舞台やテレビドラマなどで存在感のある演技で人気を集めた俳優の今井雅之さんが28日未明、東京都内の病院で、大腸がんのため亡くなりました。54歳でした。
訃報です デイリーポータルZをいつも読んでくれている皆様にお知らせです。ライターの大塚幸代さんが亡くなったとの連絡をもらいました。突然のことでどう受け止めていいかわかりません。 2002年、デイリーポータルが始まったときから執筆参加して共にサイトを作ってきてくれました。この状況についてコメントする言葉が見つかりませんが、まずは感謝を、これまでサイトに残してくれたものを振り返りながら、大塚さんに感謝をしたいと思います。 ありがとうございました。 デイリーポータルZ 林雄司 *** ご親族からメッセージを頂きましたので以下に記します。 「この度はデイリーポータルZを毎日楽しみにされている皆様に大変ショックなご連絡となり申し訳ありません。 次回の更新で予定していた「仮題駒込調べ(本人はもう少しキャッチなタイトルをつけていたことでしょう)」も取材を行う前に、藤枝奈己絵先生の作品が面白いので人気爆発
映画「トラック野郎」「仁義なき戦い」シリーズなどに出演した元俳優の菅原文太さんが28日午前3時、転移性肝がんによる肝不全のため死去していたことが1日、分かった。30日に福岡・太宰府天満宮で家族葬が行われた。 81歳だった。宮城県仙台市出身。菅原さんはファッションモデルを経て、58年に映画俳優として本格デビュー。渋い語り口と温かみある演技で愛され、任きょう映画などでいぶし銀の存在感を発揮した。12年11月に俳優業引退を宣言。山梨県で農業を営んでいた。 菅原さんは高校まで仙台で過ごし、上京。早大を中退した後は、180センチの長身を生かしてファッションモデルをしていた。58年に新東宝にスカウトされて映画俳優としてデビューした。吉田輝雄、高宮敬二、寺島達夫ら二枚目俳優たちと「ハンサムタワーズ」と呼ばれ、親しまれた。 広島を舞台に暴力団同士の抗争を描いた「仁義なき戦い」(73年)では、義理固い若い衆
昭和の映画の最盛期を支えた看板スターで、寡黙な男性を演じて、日本を代表する俳優として国際的に活躍した高倉健さんが今月10日、悪性リンパ腫のため東京都内の病院で亡くなりました。 83歳でした。 高倉さんは福岡県中間市に生まれ、明治大学を卒業したあと東映のニューフェイスにスカウトされ昭和31年に俳優としてデビューしました。 昭和40年代、「網走番外地」や「昭和残侠伝」などのシリーズで東映の任侠路線のスターとして爆発的な人気を得ました。 また映画の主題歌をみずから歌い、「網走番外地」や「唐獅子牡丹」は大ヒットしました。 昭和51年に東映を退社したあと「幸福の黄色いハンカチ」で不器用な生き方しかできない刑務所帰りの男を演じ、国内のさまざまな映画賞で主演男優賞を受賞しました。 硬派でシリアスな演技を得意としているほか、コマーシャルで使われた「不器用ですから」のセリフが代名詞的な存在になるなど、謙虚な
大相撲元小結でタレントの龍虎さん(本名・鈴木忠清=すずき・ただきよ)が29日午前11時、静岡県掛川市の病院で急死したことが30日、分かった。73歳だった。 都内の自宅で同日夜、取材に応じた貴子夫人(53)によると、死因は循環器疾患で、心筋梗塞とみられる。家族で同市内を旅行中、坂道で歩き遅れて追いついてこない龍虎さんを不審に思った夫人が、呼びに戻ったところ、倒れている龍虎さんを発見した。長女珠子さん(21)長男規裕さん(20)が心肺蘇生措置を施し、救急搬送されたが、意識が戻ることはなかった。 龍虎さんは29日朝、日帰り旅行で同市内を訪れていた。久々の家族旅行を楽しみにしており、貴子夫人は「朝は5時半に起きて、車を出したり、楽しそうだった」。過去に心筋梗塞を患っていたが、最近は体調も良さそうだったといい、同夫人は「異変に気付いてあげられず、心残りです」と涙ながらに語った。 龍虎さんは、57年初
内面をにじませた深みのある演技で存在感を示した俳優、演出家で画家としても知られた米倉斉加年(よねくら・まさかね)さんが26日、福岡市内で亡くなった。 80歳だった。 福岡県出身。1957年に劇団民芸の演劇研究所に入り、一時退団したが2000年まで同劇団で活躍した。名優・宇野重吉に師事し、舞台「桜の園」「ゴドーを待ちながら」などに出演。芸術座公演「ラブ」ほかの演技で1966年の紀伊国屋演劇賞を受賞した。森光子主演の「放浪記」「おもろい女」など商業演劇でも活躍。2007年に劇団「海流座」を結成、出演と演出の両面で力を発揮した。 一方でテレビ、映画にも進出。NHK大河ドラマ「風と雲と虹と」「花神」「勝海舟」、NHK連続テレビ小説「藍より青く」、映画「真田風雲録」「動乱」「遥かなる走路」や「男はつらいよ」シリーズなど多数に出演。面長の個性的な顔だち、知的な演技で親しまれた。 1970年ごろから絵日
アカデミー賞作品賞や監督賞に輝いた歴史映画「ガンジー」(1982年)で知られる英国の映画監督、俳優のリチャード・アッテンボローさんが24日、死去した。90歳だった。英BBCが長男の話として伝えた。 英ケンブリッジ生まれ。42年に俳優デビューし、米映画「大脱走」(63年)、「ジュラシック・パーク」(93年)などに出演した。ミュージカル映画「コーラスライン」(85年)、南アフリカのアパルトヘイト下の黒人解放活動家を描いた「遠い夜明け」(87年)も監督した。 英BBCによると、近年は妻とともに老人ホームで暮らしていたが、6年前に階段から落ちてからは車椅子生活だった。2004年のスマトラ沖大震災と津波で、タイで休暇中の長女や孫娘ら親族3人を亡くした。英キャメロン首相は24日、ツイッターで「映画界の巨匠だった」と、その死を悼んだ。(英エディンバラ=渡辺志帆)
兵庫・尼崎市の非公式キャラクターとして、各地のイベントなどで人気のちっちゃいおっさんを世に送り出した、アップライト社長の池田進太郎さんが、出張先のフランス・パリで死去していたことがわかった。39歳だった。 各報道によると、池田さんはフランスで開催された「ジャパン・エキスポ」に出演するため渡仏、パリに滞在していたが、7月1日に倒れ、そのまま息を引き取ったという。ちっちゃいおっさんは今回が初めての海外進出だった。 アップライトは同社ホームページで、7月2日付けのお知らせとして、「本日よりフランス パリにて行われました『Japan Expo 2014』ですが、ちっちゃいおっさんの体調不良のため当初の予定より制限された出演となりました。ちっちゃんおっさんの出演を楽しみにしてくださったファンの皆様、文化ステージ、15周年ステージを楽しみにしてくださった皆様には心よりお詫び申し上げます。また、今回急き
AP通信によると、世界的なラテンアメリカ文学ブームの中心となった小説「百年の孤独」の作者で、ノーベル文学賞を受賞したコロンビア人作家、ガブリエル・ガルシア・マルケス氏が、17日、メキシコ市の自宅で死去した。87歳だった。3月下旬に入院、4月上旬に退院したが自宅療養が続いていた。 1928年コロンビア北部アラカタカ生まれ。大学中退後、新聞記者としてローマやパリに駐在するかたわら創作を始める。独裁政府の弾圧で新聞が廃刊になるが、55年に初の作品集「落葉」を刊行した。 59年のキューバ革命後、カストロ議長と親交を結ぶが、政治とは一線を画す。メキシコで映画の脚本などを書きながら、67年に長編「百年の孤独」を刊行。奇想天外な事件や大洪水に錬金術など神秘的な事が起こる村マコンドを舞台に、ある一族の歴史を描いた神話的物語で、世界的ベストセラーとなった。
3月14日に亡くなった宇津井健さん(享年82)が、それまで内縁関係にあった妻と、亡くなった当日に入籍していたことがわかった。 JR名古屋駅から車で10分ほどの繁華街の中にある130年の歴史を持つ由緒ある大きな斎場で3月17日、宇津井さんの告別式がしめやかに営まれた。 宇津井さんは2006年4月に妻・友里恵さん(享年74)を亡くしていたため、喪主は長男(51才)が務めると思われていた。しかし、この日、親族の代表として喪主の挨拶をしたのは、加瀬文恵さん(80才)という女性だった。 加瀬さんは名古屋きっての高級クラブ『なつめ』のママ。同店には“ヒゲの殿下”の愛称で親しまれた故・三笠宮三笠宮寛仁さま(享年66)にはじまり、トヨタ自動車の名誉会長から、元参議院議長の扇千景(80才)、松平健(60才)、中村玉緒(74才)、林真理子さん(59才)といった各界の重鎮たちが足を運んでおり、その顔ぶれか
イタリアメディアによると、世界的に有名なイタリア人指揮者、クラウディオ・アバド氏が20日朝、伊北部ボローニャの自宅で死亡した。80歳だった。 伊北部ミラノ出身。ミラノ・スカラ座の芸術監督やウィーン国立歌劇場の音楽監督、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の芸術監督を歴任した。胃がんを患い、闘病を続けていた。(ローマ=石田博士)
歌手やテレビ司会者として人気のタレント、やしきたかじん(本名・家鋪隆仁=やしき・たかじん)さんが死去していたことが7日、わかった。64歳だった。昨年3月、食道がんの治療に伴う休養から1年2カ月ぶりに復帰したが、その後再び体調不良を理由に休養していた。 やしきさんは、京都を拠点にシンガーソングライターとして活動を開始し、昭和51年に「ゆめいらんかね」などでデビュー。59年の「あんた」、61年の「やっぱ好きやねん」がヒット、脚光を浴びた。 また、機転の速さと歯に衣きせぬ発言からテレビやラジオ番組で活躍。出演番組はいずれも注目が高くなることから“浪花の視聴率男“の異名をとった。現在も関西テレビ系「たかじん胸いっぱい」、読売テレビ系「たかじんのそこまで言って委員会」、テレビ大阪系「たかじんNOマネー」のレギュラー番組を持つ。 一方で、一般社団法人「OSAKAあかるクラブ」の理事長として大阪復権へ向
世界的な大ヒットとなった映画「アラビアのロレンス」の主演を務めた俳優のピーター・オトゥールさんが、14日、ロンドンの病院で亡くなりました。 81歳でした。 オトゥールさんはアイルランド出身で、1955年にプロの俳優としてデビューし、1962年に世界的な大ヒットとなった映画、「アラビアのロレンス」の主演を務め、一躍、脚光を浴びました。 その後も「冬のライオン」や、「チップス先生さようなら」などで主演を務め、シリアスな役からコメディまで幅広くこなした演技派として知られています。 また、アカデミー賞の主演男優賞に8度もノミネートされながら1度も受賞には至らず、2003年にはその功績がたたえられて名誉賞を受賞しています。 1975年には腹部に悪性のがんが見つかりましたが、大手術を経て奇跡的に回復し、その後も数々の映画に出演しました。 オトゥールさんは、去年7月に俳優を引退すると発表し、代理人により
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