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歴史に関するmllemarianneのブックマーク (2)

  • WWEにおける「日本」の描写・恐怖からCOOLへ - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    アメプロにおける「日」描写はどう変わったか ブログは世界史専門ブログと銘打っておりますが、個人的にアメリカン・プロレス(以下アメプロ)が非常に好きで、どうしてもプロレスと歴史を絡めて何かを書きたいという衝動にかられます。 その書きたい衝動にかられて、WWEのヒールレスラーに見る「アンチ・アメリカ」という記事を書いたところ、賛否含めそこそこ反応をいただきました。 この時はアメリカの現代史とアンチ・アメリカ文脈の変化という点にトピックを当てましたが、今回は「アメプロにおける日の描写の変化」という点を見ていきたいと思います。 注意していただきたいのは、「日人レスラーの歴史」ではなく、どう「日」が描写されたかという観点でして、故に日人ギミックの外人レスラーというのも登場してきます。 なんであの人を出さないんだ!事案が多数発生しような予感がしますが、あらかじめご容赦願います。 1. 「狡

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  • 2004-12-20 - 我以外皆我師

    渡部亮次郎のメイルマガジン「頂門の一針」(2004/12/19)より。 司馬遼太郎について 馬場伯明(04/12/15) 平成9(1997)年2月、新聞に小さな記事が載った。「昨年2月に72歳で死去した文化勲章受章者の司馬遼太郎さん(名、福田定一)の課税対象遺産額が約26億4千万円に上がることが、大阪国税局東大阪税務署の14日の告示でわかった。・・・このうち、のみどりさん(67)が約16億8千万円、長男(44)が約9億6千万円を相続した。・・以下略」(平成9年2月14日日経新聞夕刊)司馬には子供がいたのである。 しかし、息子の存在はそれまで表に出ていなかった。人気作家の司馬遼太郎にぶら下がり商売をしてきた出版社、新聞、テレビなどのマスコミにはこれをとりあげる「勇気」はなかった。まさに、世紀の「文壇タブー」であった。 「噂の真相」(1998年6月号)は、司馬遼太郎の離婚したとその息子(

    mllemarianne
    mllemarianne 2016/06/12
    司馬遼太郎に何が足りないのか、腑に落ちたのはこれを読んだときだった。
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